意識の声 No.46 より

1994年 5月号

 

<大宇宙一体化法>

 

 従来「大宇宙瞑想」と称する観法を行っておりましたが、この「瞑想」という言葉は宗教的だと批判する人が絶えませんでした。もちろん宗教とは何の関係もない言葉ですけれども、日本人は宗教と精神世界探求関係の言葉との区別がつきませんから、ちょっと精神的な専門語を持ち出すとすぐに宗教だと非難するわけです。たとえば一九世紀の心理学の黎明期にドイツのヴントらによる生理学的心理学で「内観法」という方法が提唱されたことがあります。この言葉も宗教と間違えられる傾向がありました。

 

 そこで私はかねてから考えていたのですが、この瞑想は自分と宇宙の意識との一体化を図ることを目的としていますから、「大宇宙一体化法」と当座名づけることにしました。考えてみれば、私たちは無限の宇宙の「中に」存在する個体であり、外側にいるのではありません。つまり母なる宇宙の子宮の中に育まれている胎児のようなものです。たまたま足を地球という惑星の地表につけているにすぎませんが、実際には大宇宙空間に浮かんでいる実在物です。言いかえれば、人間は大宇宙空間に遍満する創造主の「意識」の波動に包まれているとも言えます。そこで「大宇宙一体化法」と呼ぶ方が適切です。

 

 具体的に申しますと、「私とは、すなわち大宇宙そのものである」と観じるのです。私が銀座や有楽町などの繁華街を歩くとき、それはすなわち大宇宙が歩いているのであり、今この原稿を書いているときも、それは大宇宙が書いているのである、というフィーリングを持ち続けるのです。そうしますと、予期し得ない素晴らしい物事が発生してきます。たとえば、先般、夜間、ベットに仰向けになって、この大宇宙一体化法を実習しておりました。突然、声なき声ともいうべき強烈な印象がわきおこってきました。それはかねてから疑問に思っていたエジプトのギザの三代ピラミッドに関する解答でした。あの巨大な四角錐の意味が突然分かったのです。「あの四角錐の各面は人間の四つの感覚器官を象徴している。それらを統合させて宇宙の意識(創造主)と一体化させるために、あのように頂上が尖塔となって天空の彼方に伸びているのだ」というものでした。
これに関しては異論や否定が出るかもしれませんが、それは承知の上です。しかし、今まで予想もしなかったこのようなインフォメイションが与えられたのを、全くの偶然だとは思いたくありませんね。以上の他にも私には思いがけない良いことが次々と発生しています。

 

 

 

<想念の持ち方でどのようにもなる>

 

 今さら説くまでもありませんが、人間の幸・不幸は全く本人の想念の持ち方にかかっています。「自分は幸せなのだ」と思い続けて、幸せになったイメージを描き続けるならば、必ずその通りになります。逆に「自分は不幸せな惨めな人間なのだ」と思って、常に暗いイメージを描く人は、人生から浮かびあがることはできません。こうした想念法を昔から私はイヤというほど説いてきたのですが、実践する人は多くはなかったようです。反復思念法をミラクルワード、イメージ法をミラクルイメージと名づけて推奨しましたが、この英語は私の造語であるために本物の英語ではないと思ったのか、この言葉を絶対に口にしない人がGAP内部にかなりいたことを知っています。しかしこの英語がれっきとした本物の英語であることはアメリカ人が保証しています。ですが今は「反復思念法」「イメージ法」と呼んでいます。

 

 それはともかくとして、およそ人間が何かの能力を開発するか、または自分に奇跡を起こそうとするのなら、それなりの行法を実行して精神を鍛えなければダメだということを、この頃しみるほど痛感しています。何もやらないでいて、ある朝目覚めたらすごい超能力者になっていたとか、大宇宙との一体感を腹の底から起こした、というようなことはあり得ません。これは英語の学習を全くやらないで、ある日突然、英語をベラベラとしゃべり出すよな奇跡は発生しないのと同じです。

 

 現在はスポーツの各分野でもイメージ・トレーニングが応用されるようになったのですから、イメージを描くことの重要性は一般に認識され定着してしまったと言えるでしょう。私が昔から提唱してきたイメージ法が今やっと市民権を得たのですから、これは間違っていなかったと自負しています。同様に、アダムスキー中心のGAP活動も絶対に間違っていないと確信しています。後世、日本GAPは世界の歴史に大きく浮上してくるでしょう。その名誉は私にではなくて、私を支えて下さった皆様方に与えられるべきものであることを書き残しておくつもりです。