意識の声 No.5 より
1990年12月号
私はこの頃思うのです。あらゆる人の価値観は千差万別であり思想内容も多種多様ですけれども、そのすべてを理解してかかることこそ、真の意味での『万物一体』ではないかと。なぜならば、創造主は人間のあらゆるレベルでの想念を理解しているからこそ人間を生かすことが可能なのではないかと思われるからです。創造主に一定の価値観や基準があって、万人をそれに当てはめて合否を判定していたら、ほとんどの人間は不合格になり、抹殺されることになるでしょう。しかし万人が生かされているのは、創造主自身が価値観を持たず、むしろ万人の価値観を理解しているからだと思うのです。
そこで、人間もこれに習って万人の価値観、すなわちメンタリティー(ものの考え方)を理解してかかるようにするならば、自分自身に画期的な変化が発生するかもしれません。
息子や娘の行状が乱れているといって親が怒鳴りつけますと、彼らはふてくされて反抗的な態度をとります。この場合、親は自分の価値観で子供を測っているのですが、そこのところを転換させて、「この子には自分なりの考え方があるのだ。それを理解してやろう」と、相手の立場に立って考えてみることにすれば、子供も「お父さんが自分を理解してくれた!」と、目を輝かして喜ぶでしょう。
万人を理解する、という原理には計り知れぬ効果があるように思われます。「あの人は誰も理解してくれる」という安堵感と信頼感により、あらゆる人から絶大な信用と敬愛感が寄せられるでしょう。