意識の声 No.6 より
1991年 1月号
私が昨年末から考えるようになったのは、地球人の最大の欠陥は『恐怖心』から逃れられない点にあるということです。昔からの生老病死の四苦なるものが人間にとりついた悪魔と見なされてきましたが、人間のこれらの呪縛を当然と思い、なかば悪魔達と妥協してきました。このために地球人独特の観念が生じており、それによる低次元な想念帯が巨大なものとなって我らの惑星を取り巻いています。失業と金欠の不安、病気と死の恐怖、健康であっても人間間の不和による憂鬱――これらの恐怖は地球人の六十兆の細胞に染み込んでおり、どんなにもがいても、この恐怖・不安からの脱却は不可能のように見えます。「自分は絶対に恐怖・不安はない」という人は地球上に一人もいないでしょう。そこで絶対的な安心感を得ようとして人類は無数の宗教を作り出してきたのですが、いずれも人間を腹の底から満足させてはいません。むしろ宗教同士の闘争を生じており、場合によってはよけいに恐怖心を植えつけられています。
以上のような実状にかんがみて、私がGAP活動の意義を考察してみますのに、結局アダムスキー哲学なるものは、地球人最大の欠陥である『恐怖心』を除去するために伝えられたユニバーサルな哲学ではないかと考えるのです。したがってGAP活動なるものは、もちろんアダムスキーの宇宙的体験と宇宙哲学を広く一般に伝えることを第一義としますが、これの研究活動に携わる人々個々の目標としては、まず自己の有する恐怖心や不安感を根絶させて、青天白日の透明きわまりない『大安心』の境地に至ることにあると考えるようになりましたですね。人間が他人を避難攻撃するのも結局は恐怖心や、そこはかとなき不安感から生じるコンプレックスの裏返し以外の何物でもないと言えるでしょう。
一方、真の大安心の境地に至れば、百万の大軍が襲来しても恐怖することなく、悠然として転生するでしょうし、あるいは転生する前に安全な地へ移動するでしょう。なんとなれば、そのような境地に達すればテレバシックな感性が発達して、事前に襲来を予知できるであろうからです。テレパシックな能力のない鈍感な人間ほど恐怖心を起こすことは人間社会を観察してわかることです。だからこそ私達はテレパシーその他の超常的な能力の発達をめざして月例会その他で研鑽を積んでいるのです。
GAPは非科学的だ宗教的だと批判する人は気の毒ながらある種の状態から脱しきれないと言えます。なぜならば、科学に頼りきっても、必ずしも科学は人間の魂の安らぎを確立してくれないからです。それでGAP活動では哲学が重視されるのです。
勿論、科学は重要です。だからこそ私は三〇年に渡るUFO研究活動において科学的実地検証を無数に実行してきたのです。特に毎年のように米カリフォルニア州デザートセンターへ調査に行くのは一九五二年十一月二〇日の歴史的大事件を科学的に検証するためです。私はUFO研究のあらゆる面での実証主義に徹しているつもりです。(中略)
私は月例会などでよく言います。地球人に太陽系の実体を伝えるものは究極において科学であると。なんとなれば、我らの太陽系の地球以外の惑星群に高度に発達した文明が存在することを人間に探知させるものは結局惑星探査機であるからです。そのようなコンセプト(基本概念)のもとにGAP活動を「非科学的」と非難するのは、いささか見当違いではあるまいかと思うのですが、まあ、いいでしょう。人間同士のくだらぬ論争を越えて、宇宙から来る人々の活動は依然として行われていますし、アダムスキーの主張の正当性が実証される方向に世界は確実に動いていますから――。
ただし私自身は科学者ではありませんし、宇宙開発のプロジェクトに関与したこともありませんから、多少の科学知識があったとしても、「科学的、科学的」と囀ったりはしません。科学的な宇宙開発は、れっきとした本物の科学者が多数いらっしゃいますから、その方々に期待して、私は自分の使命の達成に専念するだけです。
デンマークのハンス・ピーターセン氏が言っていましたですね。「UFO研究団体は多数あるし、個人研究家も多いけれども、ビジョンを持つ団体や個人は少ない」と。そうです。何の研究にしてもある種の理想主義的なビジョンを持たねば、ほとんど意味をなしません。そのことをピーターセン氏が強調するのですが、『科学』に固執するのあまり目標が確立されない状態では、ただのロボットになってしまいます。
難しいことですけれども、私達は科学を重視すると同時に、科学では未解決な『人間の真の魂の安らぎ』を与えてくれる高次な『何か』を追求し、自分がまず大安心の境地に至るとともに、苦悩する人達を慰めて同じく大安心の境地に至らしめ、互いに調和した生活環境を確立するように努力することがアダムスキーの主義に添うものであろうと思うのです。これを宗教的と批判する人があってもメクジラたてる必要はなく、むしろ逆に相手に対して同情を寄せて理解してかかることがテレパシックな能力発現の基本になるでしょう。テレパシー能力は自他一体感の高揚が基本をなすのですから――。
ついでながら、私達のテレパシーは見世物的なものではなく、シンボルマークにあるような『万物を見通す目』を開発することにあります。お互いに頑張りましょう。
万物を見通す目