意識の声 No.11 より
1991年 6月号
去る五月二五日には予告どおりの『全国ネットワーク・テレパシーコールUFO観測会』を実施しました。東京本部は神奈川県秦野市内栃窪の高台の平原地帯で夕方七時より一〇時まで観測しましたが、大成功でした。何度か光体を見た人達がいますが、特に顕著な出現が見られたのは、七時四四分に天頂付近を南から北へ急スピードで飛ぶオレンジ色の光体を発見して大勢の人が歓声をあげたときと、さらに八時六分に今度は逆に北から南へ強烈なオレンジ色の光体が飛んだときです。後者の場合は当初ジグザグに飛ぶのが明瞭に確認できて一同が歓声をあげていました。いずれの場合も約二〇秒間目撃できましたが、光体は空中で消えたようです。詳細については七月発行予定のユーコン一一四号に写真入りで掲載しますから、ご期待下さい。
この観測会で私が痛感したのは、多数の人がテレパシーコールによる観測要領を理解していないということでした。「円盤よ出てこい」というような横柄な言葉で念じるのではなく、「偉大な惑星からいらっしゃいました宇宙の兄弟の皆様方なにとぞ出現されまして私たちをご指導下さいませ」と丁重に心の中で呼びかけるのです。このことは事前に配布した案内書に明記してありますが、どうもピンとこなかったようです。
私自身は過去、山中で数十回に及ぶ観測をやっており、ときには想像を絶する物凄い光景を目撃したことが何度かありますが、これによって体得したことは、テレパシーによる送信ばかりではなく、上空のスペースピープルからの応答を受信する能力を身につける必要もあるということです。つまり一方的に自分から送信し続けるばかりでなく、送信しては受信する、送信しては受信する、という手順をくり返すのです。そうすると、「今夜はもうこれ以上は出現しません」というスペースピープルからの応答を感受することができて、無駄な時間の浪費を防ぐことができます。このようにすれば、自分とスペースピープルとのテレパシーによる交信実験にもなるわけです。
二五日の観測会において八時六分に光体が出現したとき、その直後で私は「今夜はもうこれで出現しないな」という強い印象を受けたのですが、そのときは黙っていました。果たせるかな、そのあと一〇時まで出現はありませんでした。それでそのことを一〇時の解散時の挨拶で話したのです。「スペースピープルは多忙でしょうから、いつまでも同じ場所の上空に滞空して何度も出現し続けるということは常識的にはあり得ないことです。したがって、一度凄い出現があったならば、それで引き揚げる方がよいでしょう」と。とにかく今回の観測会で皆さん方は要領が把握できたと思います。
それはともかくとして、私たちの熱意に応えて下さったスペースピープルの方々に衷心より感謝する次第です。日本GAPがスペースピープルに見守られていることはこれでおわかりになったと思います。今後も観測会を実施しますが、この次は現地に着陸していただくようにお願いしてみましょう。きっと驚異的な光景が展開することでしょう。それにしても二五日は何から何までツイていましたね。前日の天気予報では二五日は「曇りときどき雨」ということでしたが、フタをあけてみると快晴そのもの。午後車で東名高速道を疾走するときは一点の雲もない日本晴れとなったのですから実に僥倖でした。また当日に限って夕方六時より東名高速の一部が工事のために通行止めとなり、そのために観測会場近くの高速道はうるさい車の流れがなくて、静寂そのものとなり、現地の土地の持ち主の方も気持ちよく場所を貸して下さって、すべてが幸運ずくめでした。有り難いことです。
テレパシーといえば、現在、東京月例会では私がアダムスキーの『超能力開発法』の解説をやっておりますが、なかなかテレパシー能力の発達が見られないと言ったりして「GAPはだめだ」と称して去って行く人もあるようです。これはGAPがだめなのではなく、去って行く本人が自律訓練を毎日実行しないからです。一ヶ月に一度の月例会セミナーに出るだけで急速に超能力が出てくるはずはありません。毎日のように自分で練習を積まなければいかなる能力も出てきません。これは自動車の運転練習と同じです。実際に自分でハンドルを握って動かしてみないことには潜在する運動能力は引き出せないのです。
私の見るところでは、人間は練習を積みさえすれば各種の素晴らしい能力が出てくるようです。顕微鏡を使用しなければ見えなくなるような微少な物が肉眼で見えるようになったとか、または速読能力を開発して数百ページの本をわずか一〇分で読むとか、その他いろいろな能力開発の実体を耳にしています。
こうした能力は開発に関して最もいけないのは、「そんなことがやれるはずはない」という習慣想念を起こすことにあります。「少なくとも自分にはそんなことはやれないね」と簡単に否定してしまうことが地球人の低次元な特徴です。「絶対自分にもやれる!」という強烈な信念を、なぜ一般人は起こそうとしないのでしょう?
一つの原因は学校教育にあります。科学的に因果関係が証明出来ることしか教えようとしない教育は、ゲーテの言う「集団教育というものは有能な人間をだめにするものである」という言葉を裏書きしているのかもしれません。夜空を飛ぶ不思議な光体を何でもかんでも『火の玉』だと片づけたがる学者を私はあえて誹謗するものではありませんが、(本人はそれなりの考えがあるでしょうから)、しかし八四名もの人間が明確に目撃したジグザグに飛ぶ未確認光体を物理的な火の玉現象だと、もし片づけるのならば、研究して世界中の膨大なUFO関係資料を検討した結果だけでも、すべてを火の玉だとは、どんなにボケても言いたくはありませんね。ただ笑いたくなるだけです。
テレパシーの問題に返りましょう。この能力を開発するにはアダムスキーの『超能力開発法』(新アダムスキー全集第二巻)を徹底的に熟読し、実践練習を重ねることが重要ですが、その書の中の「自分自身に対する関心を捨てることだ」という箇所にお気づきのはずです。これは非常に重要です。というのは、地球人はあまりにも自我を自覚しすぎており、そのために自他一体感をほぼ完全に失っています。これでは外界から来る波動を感受することが不可能ばかりか、個別感の高まりによって全身の細胞を萎縮させるだけで、開放的受信的にはなりません。
そこで、どうするかと言いますと、心で考えるのではなく、自分の意識(自分を生かす宇宙の意識)でもって万人の意識の中にもぐり込んでしまう、というようなフィーリングを強く起こすのです。うまく表現できなくて申し訳ありませんが、これを言い替えますと、「意識の世界において自分と他人との区別はない」というようなフィーリングです。このフィーリングを極端に強く起こしますと、確かにテレパシックな感覚が発生してくるのです。試してみて下さい。しかし世俗的な自他隔絶感に返ると、すぐにテレパシー能力は低下するか消滅します。この意識による一体感を持続させるのは至難の業ですが、そこは歯を食いしばって続けるならば、明らかに自分自身の大変化を自覚するようになります。私は過去何度かこれを実践してかなりなテレパシー能力が出たことがあるのですが、長く持続させることが出来ず、また俗人に返るということをくり返してきました。しかし今は真剣になってまたも実践を続けようと張り切っています。オーソン氏の「テレパシーを、私たちは送信者と受信者という二点間の『意識が一体化した状態』と呼んでいます」という説明も非常に重要です。こうした言葉はすべて私たちが実行できるものばかりですから、今はアダムスキーの原点に返ることが大切です。お元気で。