意識の声 No.28 より
1992年11月号
今年もあますところ二ヶ月。全くアッというまに一年が過ぎてゆきます。「光陰矢のごとし」どころか、高速に近いと申しても過言ではありますまい。これは人間個々の主観の問題でもあります。よく話すことですが、四七年前の一九四五年の八月一五日に大戦争が終結し、私は松本航空隊から数日後に故郷へ復員したのですが、それがツイ昨日の事のような気がします。こうした錯覚から人生を一片の夢にたとえる思想が起こりがちです。しかし、アダムスキーが言っていますように、それは人間が一種の夢を見ながら生活しているからであって、現実を直視せず、またその深奥に潜む絶対的なモノを感じ取ろうとしない茫漠たる感覚の結果であると言えるでしょう。現実の刻一刻の変化を受け身でもって注視し、その内奥の実体の把握に努力するならば、七〜八〇年の人生は永遠の長さに感じられるかもしれませんですね。
先般の総会でお話ししたことですが、万人を絶対的に「善」そのものとみなして(みなすことが出来なければ、必死になって、みなすように努力して)生きるようにすれば、素晴らしい変化が自分に生ずるでしょう。そのような努力こそ、人生を価値あらしめることになるでしょうし、よき惑星への転生の土台になるでしょう。眼前にどんな愚劣な人間がいても、その内部に潜む「絶対善」のみを必死になって見つめる人こそ、まさに創造主の子と言えるでしょうが、なかなか難しい事です。
しかし、あまりにも深刻になるのは禁物です。リラックスして明るい和やかな楽しい感情を持ち続けることの重要さもアダムスキー氏は説いています。ときには飲みながら談論風発もよいでしょう。その意味で月例セミナーはきわめて有意義です。お互いに楽しく過ごそうではありませんか
皆様のご発展をお祈りいたします。