意識の声 No.39 より
1993年 10月号
大宇宙思念法(大宇宙瞑想)
この頃私は大宇宙の創造主に関する概念を強烈に意識し続けておりまして、ほとんど終日、創造主に呼びかけているような有様です。地球人が太陽系の他の惑星の人々と根本的に相違するのは、大宇宙の作り手であり、また大宇宙の万物を支えている「創造主」なるものの存在に対する認識に欠ける点にあるという意味のことが『第二惑星からの地球訪問者』の中で異星人、特に母船内のマスターによって力説されています。この点が最大に重要な問題であることに気づいた私は、いわゆる超能力の開発もさることながら、人間が存在する根源的な理由を探求して、その範疇でスペース・ピープルの領域に肉薄するべきだと考えました結果、絶えず創造主に呼びかけることが必須の条件であるという結論に達したわけです。呼びかければ呼びかけるほど私たちは創造主の存在を知覚することになり、知覚すればするほど創造主の世界に入り込むことになります。そうなりますと確かに身辺の様相が変化してきます。言い換えれば、環境が変わってくるのです。
具体的に説明しますと、「無限の大宇宙の創造主さま。創造主さまの無限の生命パワーに生かされている私は、絶対に完全であり、絶対に健康であります」という想念を起こして、これを反復思念し続けるのです。これは私が提唱している大宇宙瞑想を行ないながら思念を続けると、もっと効果的です。私の大宇宙瞑想というのを説明しますと、両足を少し開いた状態で直立して顔を少し上向きにし、両目をつむって、鼻から少しずつ息を吸いながらそれを下腹に落として腹をふくらませながら、全身に大宇宙の創造主の生命パワーが充満するようなフィーリングを起こします。このようなフィーリングは慣れれば瞑想を行なわなくても歩行中でも起こすことができるようになりますが、実感をわきおこすにはやはり大宇宙瞑想を実習しながら同時に思念をするほうが効果的です。
下腹に息を落とすのを腹式呼吸といいますが、これは他のいろいろな行法でとりいれられていますから、他の行法の特に気功の真似をしているのだと思う人があるかもしれませんが、別段真似をしているのではありません。数十年にわたる私の求道の人生で自然に到達した方法です。だいいち私は気功というものを知りません。気功に関する本はかなり読みましたが、指導者について実地に習練をやったことはありません。なぜかといいますと、いかなる気功の本の中にも、大宇宙の創造主という概念がとりいれられていないからです。これはスペース・ピープルがもたらした創造主という"実態"の世界に入り込むこととは異なるように思われるのです。たしかに気功では大自然中の「気」というものを体内に取り入れるという思念のもとに行なわれているようですから、その意味では理論に終始する西洋哲学とは一線を画するものといえるでしょうが、それにしても別な惑星群の大文明の存在や無数の太陽系、無数の銀河系等の充満した果てしない三次元空間の大宇宙の対する理念というようなものは、少なくとも私が読んだ気功の本の中には出てきませんでしたね。中国の気功師が気を発揮して、数メートル離れた人間を吹き飛ばす実演をテレビで見ましたが、けっしてケチをつけるわけではありませんが、私にはむなしく感じられましたね。その実演がホンモノであることは分かりますが、むなしいのです。
なぜか? 少なくとも偉大な進化を遂げた別な惑星の人々はいかに超能力を発揮しようとも、他人を吹き飛ばすようなことは、冗談にしてもやらないだろうと思うからです。彼らの思想には徹底した「愛と調和」が基盤になっていますので、いわゆる超能力の発揮には「他人を助けること」が前提になっているはずです。もちろん自分の難病を癒したりするのに自分で気功的な能力を発揮することは一向に差し支えないどころか、医薬に頼りすぎて自分の体を単なる物質としかみないでボロボロにしてしまうよりは、はるかによいことではあるのですが、もっと宇宙的な方向を目指すならば、やはり無限の大宇宙に無限の生命が創造されている実態を認識する方向に進むべきでしょう。
というわけで、私の大宇宙瞑想なるものは気功の真似ではないことがお解りになると思います。しかし私はこれを他人に強制するつもりはありませんので、実践する人はそれでよし、実践しない人もそれでよし、という、きわめて自由な立場を持しています。