意識の声 No.68 より

1996年3月号

 

来世紀にはアダムスキーが世界的に浮上する

 

 近来書店に直販しているユーコン誌の売れ行きが落ちて、直販を断る店が増えてきました。これは昨年の某教団の大騒動の悪影響によって、超能力やUFOなどのいわゆる超常現象がすべてイカサマであるかのごとき印象を一般人に与えたことと、これに追い打ちをかけるように、これらの超常現象を徹底的に否定した単行本などが出回り始めたせいもあるようです。しかし私は断言しますが、これはいっときの過渡的な現象でして、恒久的なものではありません。何度も申しますように、来世紀の二〇年前後になれば、地球人が太陽系の諸惑星に大文明が存在することを常識として知るようになり、さらに西暦二〇五〇年前後には地球人が大宇宙船で公然と諸惑星間を友好的に往来するようになります。そのことが私には明確にわかっているのであって、だからこそこのGAP活動を続けているのです。ただしその頃私自身や私の名前は消えているかもしれませんが、それは意に介しません。私がこの活動を続行しているのは、なんといってもアダムスキーの名を不滅にすること。会員の方々が良き惑星に転生するための方向づけをすること。一般地球人が宇宙に対して覚醒すること。これらが目的です。ですからユーコン誌の売れ行きはいわば二次的な問題ですが、宇宙的カルマを持ちながらもユーコン誌の存在に気づかない人達を覚醒させるのが主目的です。「書店で『UFOコンタンクティー』という素晴らしい専門誌を見つけた。自分が多年探し求めていたのは、これだったのだ!」といって感動してGAPに入会してこられる方が少なくありません。したがって書店卸にご尽力を頂いている皆様方には全く恐縮ですが、一書店で断られても、売れそうな他の書店を見つけて直販にご協力のほどをお願い致す次第です。

 

 

 

国家の救いは科学にある

 

 戦前の昔、カール・ヒルティーの『眠られぬ夜のために』という一世を風靡した名著がありました。その第一巻の一月一日の項の冒頭に次のことが述べてあります。

 

「絶えず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい。これは 一般的にいって、人生の多くの苦渋と心配事を最もたやすくのり越える道である。最も偉大な、しかも同時に、一般に最もわかりやすい思想は、現在では、キリスト教の形をとる神の信仰である」とあります。ここまで読むと、なんだ、キリスト教の宣伝ではないかと思われましょうが、実際はそうではなくて、次を見ますと真意がわかります。

 

「もしあなたが人生の幸福を心から望むならば、キリスト教を神学や教会主義と取り替えてはならない(神学や教会などに頼るなという意味)」一中略ー「キリストの言葉と比べられるものは、どんな哲学にも見いだすことができない」

 

 そこでユーコン誌次号のアダムスキーの講演集の中で彼の言う次の言葉が鮮明に浮かんできます。「我々が真に宇宙的になろうとするのなら、教会で話を聞くことではない」

 

 結局イエスが説いた宇宙的な哲学は後世に確立されたキリスト教という宗教団体の手に握られてしまって、そこでは教条主義、階級闘争、派閥争い等が渦巻いているだけの話です。ただし無教会主義の立派な団体もあります。イエスは宇宙の法則である「愛情」の哲学を伝えたのであって、当時の堕落した既成宗教を批判したからこそ磔刑に処せられたのです。以上を考えますと偉大な哲人の宇宙的な思想がいかに歪曲されてきたかがわかります。

 

 スイスの哲学者で国際法学者であったカール・ヒルティーは一種の聖者とみなされたようですが、しかし彼も容易に一般には理解されませんでした。イエスから二千年後にこの現状ですから前途遼遠のように見えますが、しかし私が最大に期待するのは科学です。こうなれば科学力によって地球人が大宇宙船を建造して近隣の惑星を訪問し、天国のような環境を直視して仰天し、事実を地球へ報告すれば、愕然とした世界に巨大な改革の機運が怒濤のごとく沸き起こって、地球社会の真の覚醒の発端となるでしょう。これは幕末にアメリカの黒船の来航により、日本中が驚天動地のショックを受けて急速に開国と文明開花の機運が生じたのと同じです。

 

 以上が私の持論です。したがって「久保田という男は科学を理解せず、物事を疑うことを知らない、何でも信じ込む間抜けな奴だ」というふうに書いた本があれば(各種出回ったようですが)それは私という人間を百パーセント理解しない本です。アメリカやヨーロッパをあれほど何度も訪れて徹底的に現地を調査してきた私ほどに実証主義をつらぬく研究者はざらにいないでしょう。低次元な本に惑わされないことですね。

 

 

 

読書と忘却について

 

 本といえば、私がささやかな人生において読んだ書物の数は知れていますが、それでも私なりに一応、無数の本を読んできたとは言えるでしょう。昨年には本の置き場がなくて四百冊ほど処分しましたが、それでも狭いマンション暮らしのために書物はあちこちの部屋に分散させており、足の踏み場もない状態です。

 

 そこで問題は私の有する知識です。膨大な数の書物を読んだのならば、その知識は大変なものだろうと思われましょうが、ナー二、たいしたことはありません。その理由はせっかく読んでも、その内容をかたっぱしから忘れるからです。「忘れた」ということは「元から知らなかった」というのと同じですから、膨大な知識も何もあったものではありません。しかし人間は奇妙なもので、たとえ内容を忘れても一度読んだ本がそこに置いてあれば、その本の内容を「知っている」という錯覚におちいって、それで満足するのです。こうなると山のような書物に囲まれて生活することの空しさはたとえようもなく、むしろ寂寞(せきばく)を覚えるほどです。「アダムスキーはほとんど書物を持たなかったけれども、しかし世事万端に至る豊富な知識を有していた」と、昔アリス・ウェルズ女史が私に話してくれたことがあります。特にその記憶力は驚異的だったと言っていましたね。結局、問題は記憶力にあるのです。宇宙哲学でも「過去世からの記憶」を保つことが根本的に重要だと述べてあります。現世においても一度学んだ事は記憶してこそ身につきますので、脳力を鍛えるために私は酒を飲まないのです。記憶は外国語学習でも最重要な要素です。多数の英文を記憶してこそ会話や読み書きが可能になります。