意識の声 No.71 より
1996年6月号
書物の重要性について
私はかねてからアメリカのペンシルヴェイニァ州にあるブッククラブに加入していまして、ここから毎月送られてくる書籍の通信販売のカタログを見るのを楽しみにしています。といっても財布の都合により、めったに購読しませんが、三月に来たカタログの中にマルクス・アウレリウスの『Meditations』(瞑想録)があるのを見て、なぜかひかれるものを感じて注文しました。この本は昔から岩波文庫で『自省録』という題で日本語訳が出ていましたから知っていましたが、ほとんど関心の的になりませんでした。しかし今回は英文版であったこともあり、それになぜかハッとするような吸引力を感じて取り寄せて読んでみましたところ、驚くべき内容であることを知ったのです。
アウレリウスというのは西暦二世紀の古代ローマ皇帝で、しかも偉大な哲人です。貧民救済や社会福祉に尽くした人で、最高の権力者でありながら限りなく謙虚であったこの人は、愛とか宇宙との一体性などを説いており、まさに宇宙哲学そのものであることを発見して驚嘆賛美し、その宇宙的にして深遠な思想に全身が浄化されたような思いでした。たとえば次のような数節があります。
●「私は善というものの本性は美しく、悪というものの本性は醜いことを悟り、悪いことをする者自身も天性私と同胞であることそれはなにも同じ血や種を分けているというのではなく、叡知と一片の神性を共有しているということを悟ったのだから、彼らのうち誰ひとり私を損ない得る者はない。というのは誰ひとり私を恥ずべきことに巻き込む力はないのである。また私は同胞に対して怒ることもできず、憎むこともできない。なぜなら私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手や、両まぶたや、上下の歯列の場合と同様である(これらが互いに協力し合うの意味)。それゆえに互いに邪魔し合うのは自然に反することである。そして人にたいして腹を立てたり毛嫌いしたりするのは、とりもなおさず互いに邪魔し合うことなのである」
●「宇宙の中で最も優れたもの(創造主)を尊べ。それが(創造主が)すべてのものを利用し、すべてを支配しているのである。同様にあなたの内にある最も優れたものを尊べ。それは前者と同じ性質のものである。なぜならば他のすべてのものを利用するそのもの(創造主)が、あなたの内にもあり、あなたの一生はそれによって支配されているからである」
●「もはや単に自己を取り巻く大気とともに息づくに留めず、これからは自己を取り巻く叡知と思索を共にせよ。というのは、呼吸能力を有する者にたいする空気のごとく叡知は至るところに行き渡り、これを取り入れ得るものの周囲に満ちているからである」
●「誰が何をしようと、何を言おうと、私は善人であらねばならない。それはあたかもエメラルドが次のように言うかもしれないのと同じことだ。『誰が何をしようと、何を言おうと、私はエメラルドでなくてはならない。私の(美しい)色を保っていなければならない』と。
●「あなたは多くの無用な悩みを切り捨てることができる。なぜならこれは全くあなたの主観にのみ存在するからだ(考え方で決まるの意味)。全宇宙をあなたの精神で包容し、永遠の時を思いめぐらし、あらゆる個々の物のすみやかな変化に思いをひそめ、誕生から(肉体の)分解に至るまでの時間のなんと短いことかを考え、誕生以前の無限と分解以後の永遠に思いを致すがよい。それによってあなたはたちまち広々とした所へ出ることができるだろう」(以上は英文版と日本語版を参考にしながら筆者が訳した文章)
以上のとおり全篇が珠玉をちりばめたような金言に満ちています。アウレリウスがイエスのことを知っていたかどうかは不明とされていますが、知っていたにしてもイエスの哲学を取り入れた形跡はないようです。したがって天性の求道者であったと言えるでしょうまさに聖賢の書に至れる愉しみありですが、これを単なる道徳啓発の書物とみるか、自分の魂の糧とするかは各人の好みによるでしょう。
一冊の書物から大きなショックを受けて自分の人生や運命が変わってしまったということはよくあることです。私にとってのダイナマイトはアダムスキーの書物でしたが、ここでアウレリウスの書をとりあげたのは、古今いずこにも真理の探求者は必ず存在するということ、したがって宇宙の真理が不変であることは容易に確認できることを表現したいがためです。アウレリウスは古代ギリシャ語で書いたそうですが、日本語版もギリシャ語の原典から訳されたということで、訳者の神谷美恵子女史の高度な実力に敬意を表する次第です。(マルクス・アウレリウス『自省録』岩波文庫、四六〇円)
一般化するアダムスキーの理論
アダムスキーが『生命の科学』を出したのは一九六四年です。この中で彼はイメージを描いて願望を実現させる方法を述べています(同書一八九頁)。これは私も早くから注目して、昔、田舎に住んでいた頃からこのイメージ法を応用しながら各種の願望を実現させていたものです。特に顕著な効果は、私がいずれ東京へ出て出版社を設立し、アダムスキー問題主体のUFO専門誌を全国の書店へ出すというイメージを描き続けた結果、これが見事に実現した実例です。詳細は省略しますが、私は上京三年目にして秋葉原のビルの一角に事務所を設けて、そこの社長となり、小人数ながら社員達と嬉々としてUFO専門誌『コズモ』を出版していたのです。これは後に『UFOと宇宙』に改題しました。発刊以来当分の間は私が独りで編集していましたが、実売で五万部売ったこともあります。後に紆余曲折があって、結局私はやめて後継者にゆずった上、GAP活動に専念して現在に至っていますけれども、私の出版活動が第一次UFOブーム発生の端緒となったことは否定できません。その間、私の身辺には不思議な出来事が連続発生して「誰かにひそかに助けられている」と実感していましたが、これは後になって正体が判明しました。怒濤の苦難の生活を大過なくすごせたのも、この方々のお蔭です。
それはともかくとして、アダムスキーの説いた願望実現のためのイメージ法が次第に一般で認められるようになり、現在は精神世界探求の分野でこの方法を説いた本が多種類出回っています。結局アダムスキーは正しかったのです。そして彼の説を支持した私の考えや態度も間違っていなかったと自負しています。たとえば精神身体医学の権威である帯津良一医学博士の『ホリスティック医学の治癒力』(法研、一九〇〇円)などは、まさにイメージ法による治療そのものでして、特にその中の『イメージの力を生活に生かす』という章ではイメージを描く瞑想法の指導が出ていますが、これは私が昔から実践してきた『大宇宙思念法』と実質的には全く同じです。現在、帯津先生の経営される帯津三敬病院ではカウンセリングによって患者さんにイメージ療法を応用してガンその他の難病を治療しておられるということです。ここでもアダムスキー哲学がすごく時代を先取りしていたことを痛感します。関心のある方は上の書をお読みになって下さい。
というわけで、唯物主義の西洋医学一辺倒であったわが国にもホリスティック医学の波が澎湃として勃興したことは喜ばしいことです。ホリスティック医学というのは、肉体をただの物質とみないで精神と相互関係にあるとみて、物心両面の全体的な様相から生命の根源を探りながら精神の力で病気を治そうという医学です。これは「全体」という意味をもつギリシャ語の「ホロス」から出た言葉だと同書に説明がしてあります。おそらく来世紀には世界の医学の主流になるでしょう。
ふたたびブーメラン効果について
かねてからジョセフ・マーフィi博士の提唱したブーメラン効果またはブーメランの法則をたびたび取り上げましたが、これも私達が重視するべき現象の一つです。ブーメランというのはオーストラリアの原住民が昔用いたL字型の木製の原始的な武器で、特殊な反りがつけてあって、獲物をめがけて投げると回転しながら飛んで行きますが、当たらねば空気力学の応用により弧を描いて自分の方へ返ってきます。そのため何度も使用できるのです。これは人間の想念波動にも応用されるのであって、他人に対してひどい憎悪の想念波動を放つ人は、それだけで相手をやっつけたように思っていますが、実は相手が意に介することなしに平然として無視していれば、その波動は発信者自身の方へ返ってきて、自分が難病になったり事故を起こしたりして苦しむようになるというのです。これは昔から「人を呪わば穴二つ」(人を呪えば自分にも悪い事が起こるの意味)と表現されていますから、昔の人もなんとなくこの法則に気づいていたのでしょう。いつぞやもある女性会員の方から聞いた話ですが、人からひどく憎まれたけれども、逆に相手にたいして憐憫の情をいだいていたら、その人がひどい事故にあって再起不能な状態になったので、ますます可哀相になったということでした。考えさせられる問題です。
現段階の地球は人間同士の愛憎の渦巻く闘争地獄のような世界で、生き抜くためには力と力の対決になりがちです。しかし力といっても腕力ではなくて「愛や善の力」を人一倍発揮するならば、その想念波動は最強力な防壁となって自分を護ります。いかなる悪質な敵が攻撃をしかけても、それはブーメラン効果によって相手自身に返って行きますから絶対に大丈夫です。その「愛」や「善」を高めるには、常にアダムスキーの哲学書かその他の聖賢の書を読み、そして大宇宙思念法か、これに類する瞑想法等を実践する必要があります。頭で思索しているだけでは真実の宇宙的な波動が放射されません。
美しく幸せな人生をすごすには
戦前の昔より「清く正しく美しく」という標語のもとに熾烈な軍国主義教育が行なわれていました。私もその教育を受けた一人です。これはまことしやかなモットーに見えますけれども、きわめて曖昧模糊としています。この標語の裏には当時の政府のある目的が潜んでいたのであって、多数の日本人はその洗脳政策によって無益な大戦争で散ってしまいました。重要なのは、まず自分自身の主観や価値観を客観視して自分と万物との関係を思惟することです。そうすれば「万物の中にある自分、自分の中にある万物」が直感できるでしょう。この段階から「美しく幸せな人生とは何か」という命題が明確になってくるのです。決して難しく考える必要はありません。電車やバスの中で疲れているお年寄りに快く席を譲ってあげる行為だけでも「自分は人を助けてあげた!」という善意に満ちた歓喜の想念波動が全宇宙に拡散して行き(実際にその波動は宇宙空間に広がるのです)、この波動が本人に間違いなく幸せな返礼をするのです。これを実行し続ければ必ず良い結果をもたらします。助けられた相手から返礼は来なくても、別な方面の思いもよらぬ所から返礼が来るでしょう。それは人間と万物が一体であるからです。