意識の声 No.73 より
1996年8月号
信念の人。神谷女史
信念のカといえば、本紙(意識の声)七一号(今年六月号)に、古代ローマ皇帝で聖者であったマルクス・アウレリウスの「自省録」(岩波文庫)をギリシャ語の原典から翻訳した神谷美恵子女史の凄い語学力に感歎した旨を述べましたが、その後、関心が高まるにつれて女史の事を調べてみたくなり、各方面に当たっている内に判明しました。その後「神谷美恵子著作集」(みすず書房)前一〇巻のうち、第九巻「遍歴」に詳細な自伝が述べてあることを知って、これを同書房から取り寄せて読んでみました。
神谷女史は知的レベルの高い家柄の長女として生を享け、子供の頃に外交官であったお父さんにつれられてスイスへ行き、そこで特殊な小学校で学ぶうちにフランス語が母国語として身についたそうで、これは大戦前の昔のことです。帰国してから東京のある女学校へ入ったけれども、英語が出来なくて困ってしまい、特別な方法で学習して英語の基礎を習得し、その後、旧制の津田塾(現津田塾女子大)の英文科で英語を学び、さらにアメリカのコロンビア大学文学部から医学部に転入しているうちに、戦雲急を告げる時局となったために帰国し、戦後東京女子医専(現東京女子医大)を卒業して東大医学部や阪大医学部等に勤務したという華麗な経歴の持ち主です。
しかしギリシャ語の基礎を学んだのは渡米する前の津田塾の学生の頃、肺結核で療養中、独学で勉強して新約聖書のギリシャ語版は楽に読めるようになったというのですから、知能の高い才女であったと思われます。終戦直後、安部能成文部大臣その他のお偉方による米占領軍総司令部との折衝には、すべて三〇歳頃の神谷女史が付き添って重大な問題の通訳をしたということで、これには驚きましたね。これは一般に全く知られていない事実です。一種の歴史的人物といえるでしょう。
問題は戦後です。当時の誰もが体験したことですが、食料と仕事がなくて敗戦後の日本中が大混乱を呈していた状況下で(具体的に言いますと、都会では道ばたにイモが一個ころがっていても、数名がそれにとびついて争奪戦を演じたという時代です)結婚して幼児を抱えた女史の苦労は言語に絶するものがあったようですが、その間の事情は実に淡々と述べてあります。そしてすさまじい信念の力によって困難を次々と克服し、やがて岡山県の長島愛生園で精神科医としてライ病患者の治療と看護に一四年間も従事して患者達から聖女のごとく慕われ、医学博士の学位を取得し、その後は津田塾女子大の教授になり、一九七九年に六五歳の生涯を終えています。
興味深いのは、長島愛生園に最初女史が医学生の頃に見学に行ったとき、園長の光田健輔先生が女史に向かって次のように語った言葉です。「何だってやろうと思えばできますよ。心がけひとつだ。やろうと思わないのがいけないのだ」(同書一九九頁)。この園長先生も信念のかたまりのような方であったらしく、女史が心から尊敬しています。
「信念ネ。そんなものはわたしには関係ないよ」と撫然たる面持ちで呟く人があるかもしれません。ちょっと待って下さい。あなたが日常なんとか生活出来ているのは、自分では気づかなくても大なり小なり信念の力によっているのです。「明日は会社へ早く行かねばならない。三〇分早く出よう」「明後日は名古屋へ出張に行かねばならない。その準備を今夜から始めよう。営業部関係の書類を明日中に全部そろえておこう」等々、計画をたてて、それに従った準備行動に移り、無事に仕事が遂行できるのは、すべて自分の信念の力をそれとなく応用しているからです。したがって困難事を克服するには、その信念のカを拡大強化すればよいのです。
ついでながら、神谷女史が「自分の一冊の本」と銘うって翻訳を決意されたのは例のマルクス・アウレリウスの「自省録」です。「一冊の本」というのは「最高の本」という意味です。これからみますと女史は大変な求道者でもあったと言えるでしょう。しかし諸学校でキリスト教的な教育をかなり受けたにもかかわらず正規のクリスチャンにならなかったのは、無教会主義の新渡戸稲造博士の影響を受けたからであると思われます。家族ぐるみのつきあいであったようです。こうしてみますと子供の頃から高度に知的な雰囲気の中でお嬢様として何不自由なく育てられたかの感がありますが、これはそれなりのカルマがあったのでしょう。
真実と虚偽の識別―――テレパシー能力の確実な開発法
他人の言動に関して、その内容の真偽を見抜くのは簡単なことではありません。とんでもないウソをまことしやかに述べたてる人もいるからです。どうすれば他人のウソを見抜けるか。それはアダムスキーが言っているように、自分のテレパシックな印象に従う、つまり内部から起こるヒラメキを重視するのですが、私は昔から人相学をやっていますから正面から人の顔を見れば本人の大体の性質は分かります。しかし本人がいま話している事柄の真偽を明確に把握するのは難事です。それにもかかわらず真実を知りたいという欲求はときとして爆発的に起こってきます。それは人間が「真実」を基盤にして生きるように造られているからです。
そこでアダムスキーの著書類を読むわけですが、練習不足のために思うように超能力は出てきません。そのためにアダムスキーに無関心になり、ひいては別な宗教的団体に加入して多額の金を取られたりして、自暴自棄になったりします。結局この原因は信者をだます教祖よりも、むしろ自分の心のヒラメキが足りなかったのだと言えるでしょう。
そこで以前にご紹介しました井上倭文子先生の事を再度お伝えしましょう。三重県で日本GAPの一支部である紀南会というグループを主宰している松口幸之助君という人がいます。この人は非常に純粋で、人を憎まず疑わず、ひたすら他人のために尽くすというタイプの人ですが、彼が中学生であった当時、右の井上先生が国語の先生で、親しく教わったそうです。この先生は物心のついた幼児の頃からお母様から特殊な躾を受けたのです。つまり、お母様が言われるには、「人間というものは、どんな人でも、その人の心をタマネギの皮を剥くように剥いてゆけば、最後には<善>だけが出てくる。したがって本当の悪人は存在しない。他人を見るときには、その人の奥底にある<善>だけを見るようにしなさい」。
そこで井上先生は子供の頃から必死になってそれを実行されたそうですが、その結果、なんとテレパシー能力が出てきて、他人が話す事柄の真偽が確実に分かるようになったばかりか、校舎内にいても玄関に来た人まで遠隔透視的に識別出来るようになったということです。万人を善人だと見れば悪人にだまされるではありませんかという松ロ君の問いに対して、悪い事は決してやってこないと先生は答えられたと同君は言っています。
なぜこんな凄い超能力が身についたのか。理由はアダムスキー哲学によって簡単に理解できます。つまりアダムスキーの言う「宇宙の意識」なるものは万物を生かす原動力です。そこで人間は自分の不安定な心を、この「宇宙の意識」に同調させて一体化させるならば、万事を知る「宇宙の意識」が真実を心に伝えてくれるというのがアダムスキー哲学の最重要な理論です。したがって、井上先生が万人の<絶対善>のみを見るようにされたのは、結局、絶対善である「宇宙の意識」と一体化したのと同じになりますから、その「宇宙の意識」から先生の心に真実が与えられるわけです。そこで結局、アダムスキーの宇宙哲学と全く同じ事を井上先生も実践しておられたということになります。これは「素晴らしい」という言葉を通り越した、まさに宇宙の法則の生きた実践例であって、アダムスキーの正しかったことがこれで証明されます。実践は困難ではありますが人間の生き方として最高のレベルと言えるでしょう。神谷先生といい井上先生といい、世の中には聖賢が存在するものです。私はこの頃このような宇宙的求道者に対する憧憬が澎湃としてわき起こるのですが、いかせん自身の低俗さに辟易するのみです。ひとつ猛烈に井上式開発法をやってみようかとも思うのですが、マインドが騒いで、どうにもなりません。「オヤジ、酒でも飲んで寝えや」と。
酒は昨年からやめているので今はビールも苦いのですが、付き合いで私だけが飲まずに仏頂面をしていると座がシラケますから、人の前では努力して少しは飲むのです。つらいですね。
過去世と記憶
私はよく過去世とその記憶について語りますが、これは非常に重要です。人間は無限に転生を続けますが、それはすべて学校の学年を終了して進級するのと同じですから、今生で自分の人生を学びつくさないと、来世でまた同じレベルに落とされて再度苦しむことになります。学校の留年と同じです。日本GAPの会員であった人で確実に別な惑星に転生された方を私は知っています。その女性は今生、極めて純粋で、金星へ転生したいというのが口癖でした。この転生はある現象で証明されています。
人間は誰でも過去世の記憶を保っているのですが、ほとんどの人は思い出せませんし、だいいち転生の思想なども持ち合わせず、生命は一回限りだと思っています。だから死を恐怖し、生きるために手段を選ばず、悪行を重ねます。したがって人間が「善」に徹するには、なんといっても転生の法則を知り、死の恐怖から逃れることが先決となります。そして過去世の記憶を保つことも必要ですが、これは至難の業です。というのは、この地球は非常に波動が低くて、そのために人間の体も低周波のもとに機能していますから、過去世の記憶を保つほどに高レベル化しないのです。しかし熱烈なトレーニングによって、ある程度、過去世を思い出すことは全く不可能ではありません。たとえば、二千年前にイエスがエルサレムで活躍していた当時、私もエルサレムに住んでいた記憶があります。今生私はエルサレムを三度訪れていますが、一九八三年の夏、最初に行ったときには、まさに遠い昔の故郷へ帰ったような感動に打ち震えたものでした。ただし私はクリスチャンではありません。イエスという人物をあくまでも金星から転生してこられた偉大な宇宙の法則の伝え手として認めているだけです。これを宗教の教祖にしたのは後世の人達です。
イエスが最後の晩餐を終えてゲッセマネの庭園へ祈りに行く途中、大祭司ピラトの官邸の横にあった石段を降りてから、ケデロンの谷を横切って向かい側のオリーブ山の麓の庭園にたどり着いたのですが、その長い石段は発掘されて残っています。それを登り降りしたときの強烈な印象は、「遠い昔、私はある夜、この石段を誰かと一緒に歩いたことがある!」というものでした。私達がそこを訪れたのは真昼でしたが、なぜか夜の月明かりに薄く照らされた石段のにぶい光が心中に浮かんでくるのです。
非科学的な話もいいかげんにしてくれという人がいるかもしれません。しかし転生の実在は常識的に考えられないというのならば、転生はあり得ないということを科学的に立証してみてくれと言いたいですね。たぶん不可能でしょう。実はこの転生についてアメリカの科学者群が研究しているのです。どだいアメリカは超進歩的な国でして、日本はそのあとを追いかけているといっても過言ではありません。
私達が過去の無数の転生を記憶しているならば、急速に素晴らしい発達を遂げることが可能になるでしょう。同様に今生で学んだ記憶を充分に保っているだけでも凄い進歩を図ることが可能になってきます。これは外国語の学習で証明できます。今は英語学習の重要さが叫ばれており、小学校から英語の授業を実施する機運が生じています。しかし日本人は語学に弱い民族であると言われ、そのことで日本人が劣等であるかのような錯覚が起こりがちです。とんでもない。日本民族は世界のトップクラスの民族です。それなのになぜ英語が出来ないのか。理由は簡単。学校で教わった英語を片っ端から忘れるからです。中学三年間の英語を完全に記憶しているだけでも国連大使が勤まると言われています。とにかく「記憶」ですね。沢山の英文を頭の中にインプットしておいてこそ英語がしゃべれるのです。覚えていれば勝ち、忘れたら負ける。きわめて簡単な原理で決まります。