意識の声 No.92 より
1998年 3月号
★エゴからの脱却とテレパシー開発の一方法
かなり以前に日本GAP紀南会の代表である松口幸之助君が伝えてくれた話ですが、彼がむかし中学生であった頃、井上倭子先生とおっしゃる方がおられたそうです。この先生は幼児の頃からお母さまから一つの教えを受けられました。それは「人間というものは、どんな人でも、その人の心をタマネギの皮をむくようにむいてゆくならば、最後には『善』だけが出てくる。だから、あらゆる人を絶対的に善人と見るようにしなさい」という教えです。そこで井上先生は子供の頃から必死になってそれを実行されたそうです。するとやがてテレパシーの能力が出てきて、相手が何を考えているかが分かるし、遠隔透視的に他所にいる人の事も分かるようになったということです。しかも悪い事は決して近づいて来ないのだそうです。素晴らしいではありませんか。
この場合、万人を絶対的に善人であると見るのは至難ですけれども、それはゾロアスターが言ったように「悪人は熟さない善人にすぎない」と見て、すべての人は結局善人なのだと、頭から思い込む以外に方法はないでしょう。そのようにすれば、習い性となって、本当に万人を善人と見るようになってきます。万人を善人と見ることは、すなわち創造主の魂を見ることになります。創造主の魂は絶対に善であるにちがいないからです。そうすると、この感覚は創造主を通じて万物と一体化することになります。この徹底した一体化は空間を流れる想念波動を感受しやすい最高の状態になりますから、そうなるとテレパシーの受信状態が活性化することになります。以上が他人を絶対に善人であると見るときの感覚の作用です。ただしこれは仮想にすぎない他人のマインド(心)による誤った判断に同調することではありません。マインドは絶対的なものではないのです。
私は万人を見るときに、各人の体の内部に創造主の魂(アダムスキーの言う宇宙の意識)が「光」となって輝いている光景のイメージを起こすようにします。その光は透明な白銀色で「善」の象徴です。どんなに醜悪な人間が来ても、そのようなイメージを描いて見つめるならば、やがては相手との一体感が生じて、自分がテレパシックになるでしょう。げんにそのような体験はときどきあります。ただし、その感覚を絶えず持続させることは大変に難儀です。気がついたら相手を嫌悪している自分を発見して、ワーッ、神様、ゴメンナサーイ!と、大声で詫びたくなります。しかしそれでも「絶対善」観を続けるべきでしょうね。だいいち、そのような生き方をしないと良き惑星に転生できないでしょう。ここが大切なところです。