意識の声 No.102 より

1999年1月号

 

★何かを求めようとして探し歩いた日々

 

 今から五〇数年前、敗戦後の大混乱の虚脱状態の中にあって、戦死をまぬがれた私がこれからは自分の時代が来るのだと大いなる希望に燃える一方、生涯の探求の的になる「何か」を求めようとしたのですが、それが何であるのか、さっぱり分かりません。標的が浮かび上がってこないのです。実際にはカルマの法則によって私の目標はすでに決定していたのですが(それはUFOです!)、当時そんなことは夢想もしない頃で、両親の遺伝なのか画家になろうと考えたり音楽家になることを夢見たりしたのですが、いまひとつピンとこないのです。だいいち、こうした芸事は師匠なくして独習で大成するものではありません。実際には後に油絵の勉強をやったり、学校のピアノを借りて練習をやったりしたのですけれども、やはりダメです。指導者皆無の田舎芸術はモノにはならないのです。ピアノが買えないために後にはクラシックギターに転じましたが、これとても独習ですから田舎ギター演奏の域を出ません。文学の道を志望したこともありましたが、これもやはり優れた作家の指導を受ける必要があることを知ってやめてしまいました。

 

 そして二九歳の夏に運命の日が訪れたのです。この件はすでに何度もお伝えしましたから詳細は省略しますが、アダムスキーの最初の著書『Flying Saucers Have Landed』の邦訳版『空飛ぶ円盤実見記』を田舎の書店で発見したときの驚愕と歓喜! これこそ多年探し求めた秘宝だったのだと、飛び上がらんばかりに欣喜雀躍したことは先刻ご承知のとおりです。これで私の人生の目標は決まりました。肩書きや資格等はいっさい無用。ただひたすらにアダムスキー問題を広めるだけが私の役割だったのです。秘境に埋没していた燦然と輝く宝石を発掘したような気分で昂然たる意気に燃えて四〇数年をまっしぐらに過ごしてきた私に心残りはありません。いまはただ私に対して誠意をもって支持応援して下さった方々に満腔の謝意を表する次第です。

 

 

 

★あるメッセージ

 

 私にはある方面から与えられた激励のメッセージが二〜三あります。これは門外不出の秘録なのですが、理由あってここにその一つをお目にかけましょう。次のとおりです。

 

 「久保田へあなたは地球での転生をくり返していて、古代エジプト文明、メキシコのマヤ文明であなたは宇宙的な問題に関して関連がありました。イエスの時代にもイエスに貢献することになりました。そういう宇宙的な宿命を持っています。

 

 宇宙的な問題に関して、あなたは大衆に事実を知らせる任務にあります。それで過去世から宇宙的なものを身につけてきて、それを生まれ変わりのときに潜在意識の中に持ってきています。そして大衆に宇宙的な事実を知らせるのが、あなたの宿命です。

 

 あなたの来世は、今生を終えたならば地球以外の惑星に転生して新たなレッスンを受けるでしょう。あなたはどんなことがあっても『宇宙の父』に関する貢献をします。それはあなたの宿命ですから、これからも信念をもってやって下さい。私達は常にあなたを援助します。いろいろな人を尊敬しなさい。あなたは今まで尊敬と寛大な気持ちをもってやってきましたので、これからも頑張って下さい」

 

 私がただの好奇心や物好きでGAP活動をやっているのではないことが、これでお分かりでしょう。それを理解して頂くためにメツセージをあえて掲載しました。これをお見せしたからには、私はますます謙虚な態度で人々を尊敬しながら生きてゆこうと思っています。よろしくお願い致します。

 

 

 

★大宇宙との一体感が根本的に重要

 

 全米のベストセラーになった「Don’t Sweat The Small Stuf」の邦訳版「小さいことにくよくよするな」が出ています。要するに人生の些細な小事にとらわれてくよくよするなという一種の哲学を打ち出しているのですが、「完壁主義におちいるな」「成功は焦らない人にやってくる」「頭で悩みごとの行きだるまをつくらない」「死んでも、やるべきことはなくならない」だの、なんのことはない、誰でも考える日常の常識的な生活の規範を述べた内容です。しかしこの本がベストセラーになるのは、こんな常識的な生活法に違和感を起こすほどに現代人はゆがめられてきたからなのでしょう。だいたい、人間一人を盤石の絶対的な境地に置く精神的な基礎を持たないで小さいことにくよくよするなという教えは、下手をすれば、むしろ「小さい物事」によけいにとらわれて悩む自分を発見するか、または行き当たりばったりのいい加減な人間になるだけです。

 

 どうすれば絶対的な境地に入れるか。それは「自分と大宇宙との一体感に徹すること」にあります。古来あらゆる宗教の教祖はそれを求めてきましたし、哲学にしてもそうです。私がよく引き合いに出すプラトンのイデア論にしても究極には万物は大宇宙の根源的なるものとの一体性に帰するのです。人間を作り出した『宇宙の創造主』との一体性です。プラトンの哲学などは死物化したと思われていますが、とんでもない、これほどに雄大な宇宙的思想はありません。「現代までの西洋哲学の主義思想は(少なくともサルトルの実存主義までは)、遥かな大昔にプラトンがすべて説いてしまった思想を焼き直しているにすぎない」とは哲学者がよく言っていることです。

 

 そこで私の提唱する『大宇宙思念法』が重要な意味を帯びてきます。つまり自分を大宇宙の一部分、というよりも大宇宙そのものと観じて自分を無限に拡大するならば、それは人間として最高の境地に達することになります。そうなれば小さいことにくよくよするどころか、むしろどんな小さい物事をもおろそかにしないで心から感謝をもって処理できるようになるはずです。前者と後者では雲泥の相違があります。どちらが他人から尊敬の目で見られるかは自明の理です。

 

 

 

★若さを保つための一つの秘訣

 

 元の話に返りますが、敗戦直後の大混乱期に私が海岸で海を眺めて暮らしたのは二二、三歳の頃で、あれから半世紀が経過したのですけれども、まったく昨日のような気がしてなりません。「現在は過去以外の何ものをも含んではいない」とフランスの大哲学者ベルグソンは言っていますが、これは一理あるでしょう。しかしこれを言いかえれば、人間の記憶は大変なものだという意味にもとれますし、過去の記憶を保つからこそ未来への大いなる希望を増大させるのだとも言えるでしょう。嫌悪に満ちた過去の忌まわしい思い出などは捨てるほうがよいのですが、そうもゆきません。人間は過去を簡単に忘れるものではないのです。そこで記憶を良い方向に生かしてゆくならば若さを保つための良薬になります。若き日の颯爽とした躍動感に満ちた健康体を思い出してそのような肉体のイメージを自分の内部に描き続けるならば、そのとおりに若さに満ちた健康体になれるはずです。私が老人との付き合いを極力避けるのは、老人達がやたらと年齢を自慢したがるからです。「俺は大正ヒトケタだ。あんたよりも俺の方が三つ四つ兄貴なのだ」などとばからしいことを言って得意になる老人のなんと多いことか。異星人は数百歳の年齢で二二、三歳にしか見えないという事実が地球人に絶対に信じられない理由はここらへんにもありそうです。

 

 

 

★懐かしい名画の思い出

 

 敗戦後の虚脱状態から私を救ってくれたものに映画があります。なにせ大混乱期に西洋文化の先端として外国映画が怒濤のように流れ込んだものですから田舎映画館で熱狂的に見まくりましたね。当時私は上映前にマイクで解説までやっていました。今でもフランス名画の「うたかたの恋」、メキシコの「真珠」、アメリカの「誰がために鐘は鳴る」日本の「聞け、わだつみの声」その他の名画の素晴らしい場面が脳裏から離れません。特に「うたかたの恋」は往年の名優シャルル・ボワイエと絶世の美女ダニエル・ダリューの名演による悲恋物語で、白黒映画の時代に写真的にみてもこれ以上の名画はなかったろうと今でも思っています。それとジョン・スタインベック原作の映画化「真珠」の哲学的な深遠さと昔のメキシコの土俗的なエキゾティシズム。いやもう酔いしれたものでした。ところがこれらのビデオが入手可能らしいことが最近分かって驚いています。入手したならばGAP関係の何かの集まりで上映会を開催しましょう。優秀な映画は下手な道学者の説教よりも人間の心を打つのです。皆様には今年もお元気でお過ごし下さい。 合掌再拝