原因と結果の法則
midyam
自己の肉体を観察しよう
微少な砂粒から人間の複雑な人体に至るまで、この宇宙に存在するすべてのものは、ある絶対的な秩序あるパワーすなわち宇宙の意識によって生かされている。私たちは人間として創造され、創造主が人間に課した、宇宙の因の永遠の探求という課題を解き明かそうとしている。私たちは人体を駆使してすべてのことを行う。ものを持ち上げることも話すことも、さらに考えることさえ肉体を用いて行っていることである。
しかし、人体にはびこる習慣細胞は長い間猛威を振るい、その勢力を伸ばしてきた。嫉妬、恐怖、イライラ、悲しみ、恨み―――これらすべてが自己の人体内部で化学的な反応とし起こり、自ら肉体に破壊と不調和をもたらしている。こうした破壊的想念は肉体の整然とした機能を乱し、混乱させているようであるが、この点をもう少し詳しく観察してみよう。
個人差はあるだろうけれども、恐怖の思念は腹部全体に巣食う習慣細胞が起こしているようであり、またよく言われるように、心配、イライラは特に胃の細胞が起こすのであろう。心配したりイライラしたりすれば胃を壊すとよく言われるが、実際は胃を構成している細胞の内、習慣細胞がそうした想念の発生源となって、胃全体に凶猛で破壊的電波のようなものを波及させるのではないかと思う。胃の習慣細胞が、直接心配やイライラの想念の発生スイッチを入れるのである。
その他、絶望の想念は胸部から肩にかけての細胞より発生し、それは全身にくまなくネットワークされているようである。絶望や失望のあまり、全身がガクガク震えたり、全身から力が抜けたりするのはまさにこのためではないだろうか。こうした習慣細胞が人体にはびこる限り、マイナスの想念帯から脱することは出来ないだろうし、勿論、肉体をも永続させることもできないであろう。
こうした低レヴェルの想念を消し去るためには、この発生源なる細胞群を宇宙的細胞の中に包み込んでしまうことが必要になってくる。これがなされると肉体は若返り、真の美しさを表現するようになるだろう。最初は習慣的細胞が強大で、その座を頑固に宇宙的細胞に譲ろうとはしないであろう。そして光の子と闇の子との戦いが続くだろう。
しかし私たちは客観的にならねばならない。自己を一段高いところにおいて下界を見晴らすような余裕を心に持つべきであろう。エゴの想念を一応認めて、決して尻を叩いて追い払うというよりも、宇宙的想念でそれを取り巻いて、もはや習慣的細胞がその場にいられなくなり、自ら撤退して行くというような悠然と堂々とした自己訓練が望ましいような気がする。
客観視と原因の探求
よく体験することであるけれども、ある友人が何らかの悩みや問題を抱えている場合、または人生等について語り合う場合、何を言ってやればよいか、どんな言葉を友人に与えてやればよいかが、自然に発せられることがある。自分でも驚くほど良いアイディアを発する場合がある。
これは何がその友人にとって必要であるのか、という問いを発し、自らの心を謙虚にしたとき、とめどもなく印象が湧き起こるためなのだろう。自分は相手を直視しながら、客観的に,わき起こるアイディアに対してオープンになっているために,何をすればよいかということを感受できるのである。
これを自分自身に対して応用すれば、必ず正しい解答が得られるはずである。常に自分自身を客観的に観察する訓練を積むのである。もう一人の自分が円盤に乗って上空から常に自分を見つめているイメージを描いていると実際楽しくなるし、自然と眼は上空へと向けられるようになる。実際、このようにしてスペース・ピープルは私たちを観察し、見守り,時にはさまざまな支援をしてくれているのではないだろうか。
とにかくエゴという壁の内側で生きる限り、それはいつも不安定で、決して周囲を見渡すことができない。原因を感知することが重要である。
意識の指令を即実行しよう
強大な力を持つエゴ細胞は、自分を懸命になって守り、その勢力範囲を拡大しようとする。時折、宇宙的な印象が心の中に入り込むときがあるけれども、それは瞬時にして抹殺され、投げ捨てられてしまう。
例えば路上に投げ捨てられた紙屑を目がキャッチし、すぐに「汚い」「オレには関係ない」というエゴ細胞が言い張る。それと同時に、「この紙屑を拾い、ゴミ箱に入れよう」という宇宙的想念が湧き起こる。この二種類の想念はたたかい、本人は心の中でどうするべきか迷いを起こす。周囲に人がいる場合には「みんながいる。恥ずかしい。もし拾ってもみんなから冷やかされるだけだ」というエゴ細胞の起こす想念が幅を利かせる。
この強力なエゴの壁は容易に崩せないだろうけれども、ここで、愛に満ちた宇宙的想念を起こし、加えて内部からのエゴに勝る強烈な決意によって、すぐに紙屑を拾い上げるのである!!
そして上空にいる自分(またはスペース・ピープル)は次のようなメッセージをくれるだろう。
「エゴ細胞の起こす想念は自己中心的で、非常に醜いものです。紙屑を拾うことにどれだけの時間と労力を必要とするでしょうか。誰でも簡単にできることなのに、エゴが介入して物事をかえって複雑に、困難にしているのです。しかし,それは見せかけに過ぎません。本当はすべてのものは簡単に、しかも精密に、完全にできているのです。難しいものは何もありません。あなたが宇宙的印象にしたがって愛を持ってなしたことが地球上で認められなくとも、スペース・ピープルは確実に認め、あなたを讃えているのですよ。勇気を持ちなさい。あなたの愛にあふれる行為は、宇宙の空間にとどろき、スペースプログラムに沿ったものなのです。」
これほど長くは言わないかもしれないが、要するに眼を宇宙に向け、スペース・ピープルを常に意識し、絶えず宇宙的フィーリングを人体に充満させておくように心がけることが重要だろう。
原因を知ろう
この宇宙は際限なくどこまでも続き、その至る所、どんなに微小な場所でも宇宙の法則は整然と働き、秩序正しく動いている。この宇宙は原因と結果が整然と入り組んで、すべてが現象化し、どこにも不可解なものはないし、宇宙の意識で生かされていないものはない。人間もそうである。人間も他の創造物と同様に、宇宙の内部にいるのであり,外部にいるのではない。すべてが原子や分子で宇宙の秩序正しい法則のもとで、精緻に構成されているのと同様に人体もそうなのである。したがって皆同じなのであり、分離はない。
当然人間も原因と結果の法則によって生かされているので、自分がどういう役割を持っているかを原因と結果の結びつきを仔細に研究することによって、今後どのようにすればよいかがわかってくるだろう。
地球人が幾度となく繰り返してきた過ちを、二度としないようにできるであろう。ここで過去に自分が蒔いた種(原因)を知ることが重要になってくる。
想念観察が最重要
現象の結果の背後には原因があり、私たちに気づかないところで整然と原因と結果に基づく宇宙の法則が働いている。私たちには長い間、背後にある因の世界を見ることなく現象にとらわれて生活してきた。そしてこの人生は真っ暗闇だと決めてかかっている。
宇宙的人間として目覚める方法は自己の半身に気づくことにある。自分というものが存在する限り、やはり存在のための何らかの原因があるはずである。それを知覚することである。
その方法は自己訓練以外にないだろう。人間自ら歩もうとしない限り前進はしない。人間すべてに少しでも進歩しようとする内部からの衝動がある。この衝動に素直に従ってみるのだ。アダムスキー氏が述べている想念観察はその最良の方法であろう。
まず変化するためには自分の起こす想念パターンを知り、エゴの細胞から来る想念を少しずつ消し去るのである。というよりもエゴの想念をコズミックの想念で包み込みエゴ想念の発生する余地をなくするようなつもりで訓練を続けるのだ。私自身もアダムスキー哲学に触れて以来、幾度となく想念観察に挑み幾度となく挫折した。しかしそうしながらも想念パターンが徐々にではあるが変化しつつあるようだ。
今までの想念観察で気づくことは、まずひどいエゴ的想念が起こっても決して失望しないで、むしろそれを認めてやり、何故その想念が起こったかを静かに考えること。また想念が肉体細胞にどのような影響を与えているのかを観察すること。一日の終わりにその日のまとめをし、明日一つでも克服しようとする目標を持つこと。想念観察手帳を常時携行すること。笑顔を絶やさないこと。そして、スペース・ピープルと共にいる、というフィーリングを持つことである。そうすれば変化せずにはいられないだろう。
変化の時が来ている!
21世紀が目前に迫った。この地球は,今までの宇宙史上で最も大きな変化を遂げる時期に差しかかっている,ということは各種の書物に口を揃えたように描かれている。われわれ地球に住む人々は,この地球という教室でさまざまなことを学び続けてきた。多くの過失,破壊,失敗を数えきれないほど繰り返してきた。しかし,その度に多くを学んできた。
この学びは今後も永遠に続くだろう。しかし,この宇宙は着実に次のステップに移行しつつある。われわれも前進しなければならない。
そのためにも,自分と宇宙の意識との融和を果たすべく,行動に移さなければならない。それは焦る必要はないが,急がなければならない気がする。自分自身を再度見つめなおし,自分自身の本当の姿を見つけようとしてみよう。創造主とともに常にあり、自分自身を支え生かしている存在に,親身になって気づくことである。気づこうとする努力が至急求められている。われわれの地球は,この宇宙ではちっぽけな存在だが,図りしれないほど貴重な存在である。
われわれ一人ひとりが変化しようとするパワーは,この地球を変化させる手助けとなるだろう。自分を見つめなおし,他に愛を注ぐことが,いまの時期,限りなく求められているのだ。共に21世紀を光り輝くものにするために。