大宇宙の無限の力による長寿健康法
塩谷信男 (医学博士)
塩谷先生は九五歳。山形県上山市出身。東大医学部卒。京城帝大医学部助教授を経て多年都内で医院を経営後、引退するも、独自の宇宙観により正心調息法を編み出してこれを実習しながら幼少時の虚弱体質から強健な体力をつくり、さらに難病患者を奇跡的に治したり、その他多くの奇跡を演じておられる一種の超能力者で、いまだにゴルフに打ち興じて、昨年は最優秀ゴルファーとしてテレビで放映されたほどの驚異的な体力の持ち主。
以下は一九九六年九月に開催された日本GAP総会での先生による講演録。驚くべき若々しい声で長寿を保つ極意を披露、大いなる夢と希望を与える貴重な話を展開された。
宇宙の力を探求する機運が生じた
まあ、よくこれだけいらしったね、この嵐の中をね。
(編注=総会が開催された九月二二日は台風一七号の暴風雨により最悪の日となった)
今日はね、この嵐をついていらしっただけの充分に報いられるお土産をあげますよ。よく聞いて下さいね。
始めに宇宙の無限力について、ちょっと触れておきます。それはね、宇宙には大きな大きな力が満ち満ちているのです。しかし科学者は認めません。実験的につかまえることが出来ないからです。
けれども、だんだん増えてきました、認める人が。実際に認めるのではないですよ。想像するの。この宇宙の、なんというか、言い様のないこの素晴らしい大自然のこの姿を見たときに、大きな大きな力があるということを想定しなかったならば説明がつかないんです。どうしてもそういう力があるに相違ないと、想像のもとにこれを想定するわけですね。そういうふうになってきましたね。
昔からもちろん、そういう人達はいたんですよ。しかし二派に分かれています。クリスチャン。アインシュタインもそうですがね。これこそ神の力だと言いますね。そうするとそこでストップして進展がありません。
こいつを(その宇宙の力を)ひとつつかまえてやろうという連中もだんだん増えてきました。面白いことに近年そうなのです。そしてアメリカやヨーロッパで国際学会が開かれて学者が集まってけんけんがくがくやっています。
面白いことには、これは百匹のサルではないのですが、素人というか一般の人のあいだにも宇宙宇宙ということが言い出されてきました。なにか宇宙という言葉をつけないと時代遅れな気がするというので、やたらにつける人が出てきたんです。これは結構なことです。あなた方は当然、宇宙に目を向けていらっしゃるからね、素晴らしい方々だ。私も話のし甲斐があります。
大宇宙の力を発見して応用
私はね、昭和六年のむかしむかし都内の渋谷に医院を開業したときに、私は西洋医学の)医者、普通のありふれた医者でした。でも「生命線研究所」という看板を出しました。それはクスリを使ったり注射したりするほかに、私は手をあてて病気を治すことをやっていましたのや。そのために実は大学から放逐されたんです。
そうしたらその当時、ここから出る放射線(と言って、てのひらを見せながら)、これに私は生命線という名前をつけたんです。だから看板にも「生命線研究所」と書いたんです。
こうやっているうちに、これは生命線というようなケチなものではない、もっともっと大きな力がここから出てきているなあ、と思ったわけ。
この力は何だろう? ところが説明がつかない。いろんな連中もやっぱり(研究を)やったり、外国の文献を見たけど、どれも一つも感心したものはなかった。私はこれはね、神の力だと思った。宇宙の力だと思った。
あれやこれややっているうちに、とうとう辿りついたのは、我々を包んでいる「うちゅうー(宇宙)」(大声で力いっぱいに叫ぶ)の無限の力を、私は想念の力でここからこう、放射した(と言って右手で身体を示す)。
その紙を見て下さい。集束放射と書いてあるでしょう。集めて放射するとね。そう思って、とどのつまりたどりついたのが宇宙の無限力です。これを患者さんを治すだけではなくて、私が歩いている人生の道程、これにはいろんなことがありますが、それに応用して素晴らしい効果をあげました。えらい効果をあげました。その話はここでちょっとおいておきます。
中学の恩師より健康法を教わる
これから健康法の話になりますが、まずそこに図表があるでしょう。それを見て下さい。真ん中の線は人間の平均的な健康度をあらわしています。それから縦の線は私の年齢、ゼロから九四歳まであります。それから斜線、それは私の健康度を出しています。
そうしますと、おわかりのように、私は生まれたときは、ずーっと下の方で死線に近い。ということは、この赤ん坊は何日生きているだろうか、どうまもなく死ぬだろうという程度の赤ん坊であったが、死に損なった。
けれども、それから生きてはいたんだが病気ばっかり。虚弱児童です。病気の製造元であり卸問屋でした。
それがね、とにかく中学まで入った。それが書いてあるでしょう、一四歳で中学入学。それがね、先生の中に腹式呼吸をやっていらっしゃる方がいて、
「塩谷、おまえ、丈夫になるぞ、これをやるといいぞ、教えてやろう」と言って教えて下さったのです。それが私が腹式呼吸にとりついた始めでもあり、健康法にくらいついた始めでもありますのや。
そして二〇歳。あの当時は、あなた方の知らない兵隊検査というのがあった(編注=正式には徴兵検査)。全部日本の青年はそれを受けた。その図表の横一線の健康度の人は全部これは甲種合格。私はその下の方にまだあった。第二乙種。当時の日本人として肩身が狭かった。けれども上がっていった。(編注=戦前の徴兵検査は満二〇歳に達した日本国籍の青年が受検しなければならない最重要な身体検査であった。完璧な健康体で体重・身長・胸囲のバランスのとれた者を甲種として陸海軍の兵役の義務を課し、健康体なるも右の三種類のバランスが少しくずれた者を第一乙種、以下健康度の低下に伴って第二乙種、第三乙種まであり、丙種は伝染病その他の重病患者または身体障害者。ただし第二次大戦中の日本は戦争末期に兵力増強のため第三乙種まで徴兵したようである)
そして二四歳で私は大学を卒業した。そのときには普通の健康度、誰にも優りもしないが劣りもしない。その二四歳から六〇歳まで普通のアベレージの(平均的な)健康度をもって人生を歩いてきました。
独自の健康法を確立
けれど、そのあいだ、いつもいつも健康法があたまにあって、あれをかじり、これをかじりしました。殊に昔からの呼吸法、これに興味をもってやってきた。そしたら六〇歳を間近にしまして、とうとう、これだ!という健康法を作りました。おそらくこの健康法に優る健康法は世界中にないと、わし自分でレッテルを貼った。それなら、わしがこれをやったならば、世界中に類のないような健康体や長寿になるだろうと思いました。
なぜそんなことが言いたかったと言いますと、それは今までやってきた腹式呼吸に、宇宙の無限力の活用をいれましたのや。そしてこれを見たときに、これに優るものはないと、会心の笑みじゃない、先を出したいくらいだった。それからそれを六〇歳から始めたわけ。ところが六〇歳からは人間は誰でも、だんだん健康度が落ちるでしょう。今迄通りにまっすぐに水平に行く人はほとんどいないでしょう。あったら不自然だ。そこから健康度が上がるなんてことは痴人のたわごとだ。
しかし私は(健康度が)上がると思っていた。上がってみせようと思って、そんな気ばっかりじゃないけどね、上がるという自信を持った。年齢では上を行く、健康度でも上を行く。
これをやりだしたら案の定じゃない、予想どおり健康度が上がりましたね。これは医学的にはありえないことです。人は下がる、わしは上がる。
そして九四歳まで来ましたね。そしたらね、面白いことにゆきあたった。私は二四歳で大学を卒業してから、ちょうど七〇年になるんです。それで、卒業七〇周年記念のクラス会を開いてやれと思い、名簿を見て生存者にみな案内状を出して、熱海でやろうと(呼びかけた。そしたら全員から返事が来ました。「出席」と言って。
何人出席したと思いますか。長野県の飯田市から一人出てきた。私が熱海で一人いた。たった二人。あと名簿を見て出した人はみな「何年も前に死にました」「今年の三月に死にました」という死亡通知。(集まったのは)たった二人。
九四歳ぐらいでたった二人とは情けないなあと思ったの。でも非常に意義深いクラス会をやりましたよ。そして大学へ書いてやった。若い者はしっかりしろと。
ということはね、健康度が上がったということは証明はないわけ。みなさんにもね。だからそれを証明せねばならん。それがあります。スポーツだ。
人間がスポーツをやれば、そのスポーツを物差しにしてあてれば、健康度がどうかっていうこと、体力がどうかっていうことが分かるでしょう? わしゃゴルフをやっている。それでゴルフを物差しにしてそれから測ります。六〇歳から九四歳までの三四年間を大急ぎでね。この中にはゴルフをなさらん方もいらっしゃるかもしらんが、そうすると中に出てくる言葉で分からんこともある。あってもいい。相撲をごらんになるといいね。今の勝負は上手投げであったかな、下手ひねりであったかな、どっちでもいいの。どっちが勝ったか分かればいいの。その意味で結果だけチェックして聞いていて下さいね。
驚異的なゴルフ歴
まずゴルフは六〇歳がスタート。いいですか。スタートが六〇ですよ、あんた。健康度はアベレージ(平均)。ゴルフの腕前もアベレージ。ハンデは一三。そうしてこれをやりだしましたら、やっぱり健康度が上がりだしましたのや。ほかの連中が見てますとね、上がってきた。
よし、目標をたれた、一つ。シングルになってやれ。それでやった。六五でシングルになった。また上がった。六八になった。その八のハンデを七〇すぎてもずっと維持できた。
ということはね、沢山の試合に勝ったということだ。勝たなきゃならないんだ。それはね、ちょっと数を数えられませんね。それは本当なの。
ただし輝かしい試合は数が少ないんです。シニア選手権。これは四回取りました。それからメダリスト。これは金メダルを五つ取りました。それから、あの当時、毎年プロのチャンピオンが出ると、アマチュアで挑戦するのがあるの。わしも挑戦しました。その次は河野光隆だった。これは大差で破った。それで金のトロフィーをもらいました。次に七〇代。七〇になると今度はグランドシニア選手権というのがあるの。これは五回取りました。そうするとね、あんた、六〇歳から始まったんですよ、チャンピオンに九回なっているんですよ、七〇代で。それなら八〇代になってからはどうか。
八七歳のときにね、今度はエイジシュートに挑戦した。八七歳だよ。そして八三で回った。エイジシュートはそれでおしまいだが、そのアンダーフォアーつまり年齢から四つ下よ。これはプロもひっくるめて日本級。これは別に記録には残りませんのや。プロもそこまではいきませんなあ。
今度は九〇歳になる。九二歳のとき、誕生日にね、ゴルフ仲間に宣言した。まだ日本にはアマもプロもひっくるめ九二歳のエイジシュートはいないんだから、おれはやるよ、とね。そして二ヵ月後に達成して日本記録を作りましたがね。
あのね、自慢話と聞いてはだめですよ。実際のことを言っているんだから。
それでね、今度は九四歳。あなた方が見ているのは今九四歳の私。私を見てね、このジイさん、九四歳とは見えないと思うでしょう。年も若そうだ。筋肉もよさそうだ。体力もありそうだ。おつむの方もまだボケていないなと、高い評価を下さると思う。
ところがね、あなた方が下さるその評価以上なの。ほんとは。それを言いましょうね。
偉大なゴルファーとしてテレビで放映
それはね、この話はお土産に持って帰ってもらいたいの。ただ聞きっぱなしでは困るね。それはね、ゴルフダイジェストから九三のときに挑戦状が来た。「先生、エイジシュート達成?」
やると言った。やるよとね。ただ万人が見るところ、そんなことはありえないことだ。だから彼らは安心して挑戦してきた。わしゃ安心してやるよと言った。
ただし、自信があったからだ。のは健康と体力。彼らが見るよりもわしゃ自信がある。それは腕前だ。これはてんで話にならない。だから一〇月以降だよと言った。一〇月までおれは腕を磨くと。磨いた腕でおれは挑戦すると。それでね、腕を磨き始めた。
九二歳と九三ね、日常生活ではなんの差も感じません。普通のゴルフやっていてもなんの差も感じません。一つ増えたなあなんて感じないの。ところがいよいよエイジシュートやろうとするだんになったら大変な違いがあります。このたった一つに。九二のときは何事もなくエイジシュートやっていました。三になったらなかなかいかん。だんだんフキが進んでくるとなお悪い。進むにつれて落っこちるんだから。
九月以降になったらとんでもないことになった。ここにおられる方で、そうお年寄りの方はいないようだな。九〇過ぎますとね、郵便切手を封筒の角に貼るでしょう。ところがまっすぐに貼れません。ヒュッと曲がりますよ、貼るときに。
ということは、パットは必ず狂うということだ。こんなパットが入らなくなるんだから。これは緊張すればプロでもなんでもやらかしているんだ。
始めのうちはそれだけだった。ところが、今度はこういう関節も(と言って肘の関節を示す)こういう関節も、最後には腰まで己れの意思に反した動きをするんですよ。シャーッと真っすぐ打ったつもりのボールが曲がるんです。ボールがあっちへハハーッと行く。あっちの池にバサッと行く。これではエイジシュートもへったくれもないですがな。ギブアップはしなかった。よーし、おれはおれのスイングを作る。どんなことでも来い。このスイングでこれをやっつけるから。
そうしてスイング改造でとうとうそれが一〇月が過ぎましたね。一年も過ぎました。今年の二月の末になって、とうとう塩谷式のスイングをこさえましたね。それからダイジェストに言ってやった。出来たぞと。おれはこれでもって来月から挑戦するぞ。君達見とれ。遠からずおれはやるぞ。そして三月第一回挑戦。四月にまた第一回挑戦。二回目に四月、とうとうやりましたね。どうだ!というわけね。
あなた方が聞いてもピンとこないかもしれない。これが登壇に値しますの。というのはね、今年の六月の二三日、日曜日、午後の一〇時半からフジテレビがゴルフの歴史というのを放送しました。その中にゴルフの歴史をいろいろあげた。当然のことながらゴルファーもあげた。どういうゴルファーをあげたか。ながーいゴルフの歴史の中で、世界的な大きな足跡をでんと記した偉大なるゴルファーを二人紹介した。
一人は当然のことながらボギー・ジョーンズ。これは世界中に文句を言う人はいない。もう一人は、日本の塩谷信男と書いてある。誰が見たって、テレビ見ているとアレッと言うでしょう。アホもはなはだしいと言うでしょう。
そして最後に掲示板が出る。その横に私を立たせて、この掲示板を見て下さいと言って、そのポーズをとらせた。そしてこちらから撮った。それを放映したわけです。ここに証拠がありますよと。その掲示板にはどう書いてあるか。「エイジシュート達成記念。塩谷信男。九四歳。スコア九四。アウト四六。イン四八」と書いてある。どうです?というわけ。
塩谷信男は輝くオンリーワン
これはレジメンタルで世界に無類のスコアなんだからね。その雑誌の中に、ボビー・ジョーンズは世界のナンバーワン、塩谷信男は世界のオンリーワンと書いてある。ボビー・ジョーンズも塩谷信男も一九〇二年三月生まれで、ジョーンズの方はわしより一週間前に生まれた。しかし彼はすでに鬼籍に入って久しい。したがって彼は彼のゴルフ歴の中に九四のエイジシュートをとっている。この記録は改められないというんだ。あたりまえね。しかしまた今後、世界中のゴルファーで九四のエイジシュート出す人があるかというと、ないっ!ゴルフダイジェストがそう断言するんだ。だから塩谷信男はオンリーワンだとこう言うんだ。
(編注=ボビー・ジョーンズの本名はロバート・トレント・ジョーンズ。ジョージア州出身。大ゴルフプレイヤとして不滅の名を残している。これに匹敵するのが日本の塩谷信男博士というわけで、『ゴルフダイジェスト』誌には「ボビーよ、待っとれ」と題する塩谷先生の随筆を連載中。
エイジシュートとは、一ラウンド一八ホールをプレイヤーが自分の年齢と同じか、またはそれ以下の打数で回ること。たとえば七二歳のプレイヤーならばパー七二のコースで七二打数以下で回ればよい)
聞いているともっともに聞こえるわね。私から見りゃね、それは日本人の日本人びいき。ボビー・ジョーンズは偉大なるゴルファー。わしは比較したこんなに小さなゴルファーにすぎませんのや。
ただ私として皆様に言いたいことはね、九四になっても、それだけのファイトを燃やす。実行する、と。いろんな盤根錯節があったが、それを切り抜けて、とにかく栄光座に登った。そのことを言いたいわけね。
本命は正心調息法
七〇とか六〇ではないんですよ。九四歳ですよ。それもこれもこの正心調息法をやっているから出来たの。これをやっていなかったら出来ませんよ。やったから、まず健康長寿でもあった。しかもこういう記録も達成できた。
しかし九四まで生きたってね、人の世話になって生きているような、大小便の世話をしてもらって生きているようなことでは、何の意味もありませんがな。
九四になっても、このような世界の栄光度に挑戦するような気力もあるし、精神力もある、体力もある。そのみなもとはこの正心調息法ですから、これを皆さんに教えたいわけです。
これをやれば私が一人だけ達成したのではなくて、やった人はまじめにやったら、そこまではいきますよ。こんなレコードを破るのは何でもありませんよ。ゴルフをやらない人はゴルフとは関係ない。健康と長寿がこの方法で達成できますよ。ゴルフはどうでもいい。だからあんた方もやって下さい。必ず達成できます。
わしが一人だけ出来て、あなた方が出来ないというのでは意味ない。なんぼ偉いことやったって人生に何のプラスにもならない。わしがやったことが、あなた方にも出来るというところに意味がある。しかもその方法は簡単なの。
正心調息法をやって奇跡的な事を実現させることは)誰も今まで出来なかったが、なぜ出来なかったか。宇宙の無限力を取ってくるなんて奇想天外なことをやった人はいないから。わし宇宙の無限力をこの正心調息法の中に入れたからだ。それで、この正心調息法ほどの健康法は世界にないとまで天狗になった、その点は。その天狗は鼻が折れなかった。ちゃんと実証しましたのや。そこが嬉しいわけ。
一番嬉しいのは誰でもが出来るということ。あなた方に出来るということは世界中の人にも出来るのですよ、これは。
正心調息法の実習法(1)
ここで話の前段をまず終わります。これから後段。後段は六〇歳のときにガッとつかまえた正心調息法を皆さんに教えます。それでまずおおざっぱにそれをつかんでみましょうね。
そこを(図を)見て下さい。
一つは「正心」というのは心の問題。「調息」は体の問題。これはあとでまた言いますが、正心のほうでちょっと言いたいことがあるの。それはね、正心と言う以上は正しい心と書いてある。皆さんは邪悪な心、ひん曲がった心、わるーい心、それに対する正しい心、と解釈されると思うの。そうじゃないの。そんなことは人間としてあたりまえのことなの、これは。健康法以前の問題です。
ここで言う正心は、正しい心の使い方です。いっぱい持っていながら使い方を知らんもんだから、宝の持ち腐れなの。
それは何か。一つ、物事は前向きに考える。二つ、感謝の心を忘れない。三つ、愚痴を言わない。
たったこれだけ。そしてその第一の物事を前向きに考える、とらえる、行動する。これは今ずーっとしゃべったでしょう。それがサンプルなの、実は。この健康法にはこう書いてありますよ、それを私はこのように実行しましたぞと。あらかじめ実績を皆さんにお見せしたのよ。
それでね、人間の心はね、みんな違いますのや。指紋がみな違うように、心も違うの。心は波動でしょう?波動はみな波長を持っています。独自の波長をね。そしてね、あなた方の体の中に起こること、周囲に起こること、これは環境ですね。
それから今度は(自分に寄って来ること、それはあなた方が人生を歩く上に突き当たること。これらはみんな心の波長に従って起こってきますの。だから感謝する人は、「いや、有難いな、またこんなに儲かっちゃった」とか、「ああ、また成功しちゃった」とか、「お客がいっぱい来て有難いな」と、「ああ、健康だ、長寿だ。人と争っても、けっして負けることはない」
おのずから感謝の心が起こるような事が起こります。これは自然なの。
ところが、全くイヤになっちゃった、また、おれはしっちゃったよと言ってね、嘆かざるを得ないようなイヤなこと、悲しいこと、人から見下げられる争いは負ける、試験を受ければ落っこちる、ケガはする、病気はする。愚痴をこぼせば、そうなりますね。これはね、神様も仏様も治すことはできないの。指紋も直すことはできないのと同じだ。
だけど直すことが出来るのは指紋と違う。つまりその人だけは治すことができる。その波長をね。そうして愚痴こぼしの濃い波長を感謝の波長に直すことができる、簡単に。直すことができなかったら何も言う必要はない。出来るから言うの。
その感謝の心にしてごらんなさい。感謝せざるを得ないような事が起こってくるんだから。サンプルがここにいるんだから(と言って自分を指し示す)わしゃ愚痴をこぼさない。いつも前向き。いつも前向きにズーッと歩いているから、全く予期しないことが起こってくる。
そしてね、もう一つある。百事如意と書いてあるでしょう、そこに。何でも思うようになると書いてあるね。何でも思うようになりますのや。たとえば九四歳の維持でも、万人が見てもだめだと言ったって、一人ここにいるんだから、やれるんだからね。
必ず、皆さん、前向きにね、行って下さいよ、人生をね。
正心調息法の実習法(2)
それで、だんだん話が進んできますがね、今度は調息になります。今のは正心ですよ。
はい、見て下さい。調息はね、吸息と書いてあるでしょう。鼻から息を吸うの。充息と書いてある。これは全部吸った息を下腹に収めるの。今度は吐息と書いてある。鼻から息を静かに出す。出し終わったら、そこで小息と書いてある。小さな息を一つする。これは普通の息でいいの。今まで大きい息をしているから小さいだけ。
これで一回が終わり。これを二五回やります。二五回終わったならば、今度は静息と書いてある。そのままの姿勢で普通の呼吸を一〇回する。それで終わり。
一連続に要する時間が二〇分前後。人によって違いますがね。呼吸の長さが違うから。たったそれだけ。それだけでね、あなた方が人生の本当の得ることの出来ない宝を得ることができますのや。
いつも見ていて下さい。サンプルはここにあるということをね(と言って自分を指し示す)。九四歳になって、これだけの若さを持っているし、これだけのファイトがわいてくるということね。そして全国を私はこうやって回っているの。これだけではなくていろんな問題で回っているんです。それを一人で歩くんですよ。一人で行くんだから。
自分で自分の白内障を治す
それでね、この呼吸法にもう一つ大事な事がある。そこに想念と書いてあるでしょう。そこを見て下さい。
吸息のときに「宇宙の無限の力が丹田に収められた。全身に満ち渡った」と念ずるの。そして「〇〇は健康になった!」と、今度は充息ね。「〇〇病は治った!」と念ずる。その次は「体内の老廃物はみな出て行った! 体はきれいになった! 若返った」と念ずるの。それが「想念」。
それからもう一つは「内観」。これは禅の内観とは違いますの。自分の心の目で見るの。これはあとで実際を言います。
ここでまた実際の問題に入りますよ。まずやっぱり私。私がたった一つの例なんですからね。
私もね、やっぱり年をとってくる。老人になりますのや。そうすると老人特有の病気も顔を出します。まず出したのは何か。視力が落ちてきた。目医者に行くと、ああ、白内障ですね、もうちょっと先にいったら手術をしましょうと言う。ああそうですか、と言って帰ってきた。そうか、これひとつ治してやれと思って、調息法をやるときに〇〇病が治ったと念じる方法が書いてあるでしょう。それで「白内障が治った、治った」とやっていた。
なんか目がよく見えるようになってきた。それで熱海に来たときに熱海の医者に見てもらった。白内障ですが、と言うと、いや白内障はありませんね、ただ少し白内障が出初めていますね、と言う。ああそうですか、有難うございますと言った。もちろん手術の話は出ません。出始めたんじゃないの。逆を見ているの。白内障が治って消えかかっているところなの。前を知らないと始めの出かかったように見えるわけ。それで証明が出来た。それでとうとう手術をしないで、こうやっているわけね。
思念とイメージ法で前立線肥大症を治す
次にまた一つ出てきた。あのね、ご婦人方の前でまことに恐縮ですが、シモがかった話をしますからね。科学者の立場にたって聞いて下さい。
小便が出にくくなってきた。ハハー来そうだなと思った。ご存じのように前立線肥大症です。わしの弟が二人、家内の兄貴が一人、三人の身内が前立腺肥大症になって手術をして治っている。わしも来たかい、よーし、こいつ一つ治してやれ、と思って、調息法のときに、「前立線肥大症は治った治った!」とやっていた。だが、ちっとも治らないの。だんだん悪くなってきた。
九〇歳になったときには、とうとうあんた、我々は(小便のことを)尿線と言っているんだが、尿線なんてものじゃない、糸を垂らしたようにハハハと出てくるだけ。
なかなか、さあ出たと思うまでトイレにいられませんのや、時間がかかって。いい加減なところで外へ出るから残尿がある。また行きたくなる。
とうとうわしも死ぬのかと思った。ハア、しゃくにさわる。面白くない。
この素晴らしい調息法をやって、なんで前立線肥大症ぐらいが治せないのかと、いろいろ考えたが、この方法に誤りはない。やり方にどこか問題がある。分かった。どう分かったか。
そのときに、そこに「想念」と書いてある。想念に力の入れ方が足りないんじゃないか、おまえ。
あ、そうだ。じゃ今晩から変えよう。その晩から「わしの前立線肥大症は治った、治った、治った!」ととなえて、尿がシューッと出てくるイメージを描いたわけ。
驚くなかれ、次の日からヒューッと出て来る。それが次第に毎日勢いがついて一週間たったらシューッですよ。治っちゃった!
私は喜んだ。ところが喜ばないのがいる。秘尿科の医者だ。話だけ聞いた人は「そんなバカなことはない」と言って、塩谷はフィクション(作り事)を作っていると言う。「あの本(塩谷先生の著書)も、いい加減なもんだな。あの本には前立線肥大症が治ったと書いてある。あの本がいかにインチキかということは、その一事で分かる」と言う。
あたりまえだ、医者がそう言うのは。実際に(真実を知っている医者は困った。説明のしようがない。そんなのないんだ。だからこれは世界でただ一例の奇跡でございますと言う。
現在あなたは世界でただ一人だけの存在ではない。人間の歴史を振り返ってみろ。五百年、千年といったいこういうことが出来た人間があるかと言ったら、ないと言う。いまだかつて人類史上類のない修行と思っていたら、なっちゃった。
ところがね、面白いことが起こってきた。わしが八七歳のときに、あるゴルフのカントリークラブに入った。ここには坂のホールがある。八番ホール。ティーからグリーンまで登りきり。これが九〇歳になったときには困るなと思った。ステッキをつかないと具合が悪いことになってきた。
ところがね、うまいんだ。パットはね、あれを逆さに持ってヘッドをこうやってやると坂を登るのにとても都合がいいの。うん、こいつはうまいぞと登っていた。
それからもう一つ。そのクラブはね、創立後、日が浅いもんだからメンバーはみな若いの。みんな昭和二桁代なの。一桁が少ないの。大正が二〜三人。だがわしゃ明治生まれでたった一人。だんとつのおじいちゃん。
このおじいちゃんが孫やせがれみたいな連中と一緒にね、なんのビハインドもなく回れるんだ。けれどもね、九〇歳になったらね、困ったことに、ホールアウトする、一八ホールをね。そしておしまいになると、足の先生、いうことがきかなくなる。とたんに疲れが出ちゃって。
みんな一団になってクラブハウスへ戻るとき、いつのまにか僕一人だけが、とぼとぼとぼと遅れちまうの。
こいつは面白くない。それである日、よし、こいつ挑戦だとやった。調息法のときに「わしの肉体は若返った! 若返った! あんな坂なんかなんでもない!」と思念して、イメージとしては、足取りも軽くステッキをつかないで、軽々と坂を上がる姿をイメージしたの。プレイが終わってから、疲れないで、みんなと一団となってクラブハウスへ戻る姿をイメージしたわけ。それを三〜四日やった。
私は一週間に一度ずつコースへ出るから、コースへ行く日が来た。そして何事もなく四番五番と登って行った。八番の方へ行ったら驚いた。この坂をね、かるがると足が上がるの。ステッキなどは必要ないの。あれあれあれとてっぺんまで上がってしまったがね。
それからね、終わって帰るとき、一八ホールをホールアウトしても足に疲れがきませんのや。みんなと一緒にね、今日は楽しかったねとか言って、一団となって帰れた。あとからトボトボと一人で帰るという姿はなくなった。
タクシーをやめてバスで帰る
それから、お風呂から上がって家に帰るとき、クラブではね、帰るプレイヤーをみんな三島の駅までクラブバスで送ってくれますのや。そこからJRで帰っていました。昔はそういうふうに僕はやっていたのに、九〇になってからね、そいつが辛くなっちゃってね、タクシー頼むよと言って、タクシー呼んでもらって、クラブの玄関から熱海の老人マンションの玄関まで、車の後ろにひっかえって帰るようになった。
ところがその日は違うの。タクシー呼んでくれと言わないで、クラブバスに乗って帰っちゃった。
翌日また驚くべきことが起こった。ゴルフの翌日は、九〇になってからはね、なかなか前の日の疲れが抜けないの。だから午前中は寝ているの。ところがその日は寝てないで、いつもとおんなじで、のこのこと起きて、もずもず動いている。結局は今もそれがずーっと続いているの。いまだにそうなんです。タクシーを頼みません。ということはね、あれが九〇代の始めでしょう。今は四年たっているけれどみんなから落伍しないの。
これは前立腺肥大症が治ったよりももっとむずかしいことです。人間の体はどんな体に対しても、こいつを治そうという自然治癒力が働きますのや。ナチュラリーに老いていって、しなびた筋肉が、こういう太いガチッとした筋肉になるということはありえないの。病気ならば、そういうことはありうる。治るんだ。
老いぼれた人でも、治ることはあるの。それは病気で弱った人、なんか原因があってしょぼくれた人、その原因がなくなったときに良くなる。それは元へもどっただけ。若返ったんじゃないの、それは。
ということは、今度はね、医者が困る。そういう人間はいないんだから。結局どういうことになるか、あれは人間ではない、怪物だとね。
ところが、怪物はね、ゴルフ雑誌だのスポーツ新聞などは、僕のことを書くときには必ずあたまに「怪物」と書いているからね。もう慣れっこになっているけれども。そうすると、この怪物さんは、いま世界にたった一匹しかいない。もちろん人類の歴史が始まって以来、一匹だ。またこれオンリーワンになっちゃたな。
イメージ法で物忘れを治す
ところがね、もう一つ面白いことが起こってきた。九〇歳のなかば過ぎになってきたときにね、ちょっと物忘れするの。人の名前を忘れるの。おしゃべりしていてね。固有名詞を忘れるの。それからちょっと話がつっかえるのが度忘れ。ところがこれは、わしより一五も二〇も若い連中がやっているの。わしは老人マンションにいるから。そのマンションに三百何十人がいて、わしは一番年上なの。でも年下の連中はそれを度忘れをやっているからね。しも彼らと同じところまできたなと思っていた。それにしても遅いからね、それでもましだと思っていたが面白くない。
よし、こいつは(度忘れをしないようになることは)、ひとつ挑戦だときた。どうやったかというとね、調息法の次に、
「わしの脳細胞は若返った、若返った、若返った!」という想念を起こして、内観でもって心の目で脳細胞を見る、そして脳細胞がみな元気でパッパッと働いているところをイメージ作りするの。
驚くなかれ、それでもうみんな忘れなくなっちゃった!
固有名詞も忘れなきゃ人の名前も忘れないし度忘れもしないの。年をとった人の中には、とんとんと二階へ上がって行って、「あれ、おれは何をしに来たんだ」と言う人があるんです。私のマンションにもそんな人が多くいますよ。
九〇歳の爺さんが、なんと四〇、五〇の若さまで記憶力が戻っていったんだから、これはね、肉体の細胞が若返るよりももっとありえ得ないことです、脳細胞は特別だから。あとで脳細胞まで話がゆくと思いますので、そのときに分かるでしょう。
これは今までの話とは格が違いますよ。その格の低いのから高いのまで三つも四つも世界の人類が果たし得なかったことを、私一人でやっていますのや。何をやっているかというと、宇宙無限力を使った呼吸法のおかげです。だから、私に出来るということは、あなた方にもみな出来るということです。あなた方に出来るということは、世界中の人がみな出来るということです。やっぱりここでもエブリワンの一人ということであって、オンリーワンではないんです。
これは話のアヤだと思って、あなた方も出来ると言っておだてているんじゃないですよ、本当のことなんだから。ということは、私がやった、そしてほかの人もやった。ハア前立腺肥大症が治った、白内障が治ったとか、沢山そんな人が出ていますよ。
だからね、ただ単なる話のアヤではないんですよ。実践の理を言っているの。特におもしろいのは前立腺肥大症です。何人かが治っていますけどね。みんな治ったのは一週間か、一番早い人は四〜五日と言っていました。そんなことで治っているんです。わしみたいに四年も五年もかかったというアホーはいませんのや。
創始者の私が、そんなに(治すのが)長いことかかっているのに、私の本を読んで知った人がみんな一週間そこらで治っているんです。分かりますか、その理由が。
単純なの。その本には、調息法をやった、ずっとやった、三年やった、四年やった、ちっとも治らない、だんだん悪くなったとは書いてないんです。強い想念を燃やして熱心にやったら翌日からよくなりだしたとしか書いてないから、それを読んだ人はみなそうだと思うんです。そして信ずるとおりに治っちゃったんです。みんなそうなんですよ。だって、徳島から来た便りによると、「うちの父親は四〜五回(の調息法)で治りました」と書いてあるんです。
その方法を作った私の方が大喜びして「おめでとうございました」と言うほかないんです。想念の力の入れ方によってそれほど違うんです。では、なぜ私がダメだったのかと言いますと、理由は簡単。わしは医者だから。
前立腺肥大症というものは、手術しなければ絶対に治らないという医学知識がある。もし治らなかったら手術すればいいんだという甘え心がある。自分では意識しなくても、この知識が頭の中のどこかにありますのや。潜在意識になっててね。だから治るという信念の力をしっかり込めたつもりでも、なまぬるいんだね。
そのことまでは分からなかったが、気をいれかえてしっかりやってみたら、ほら、その翌日から良くなったんです。三〜四年かかって、治らなかったのに、急によくなった。
ところが、皆さんはそんな医学的な知識がないのと甘え心がないから、私と同じような病気にかかっても、私よりも早くみんな治るんです。それなら、なぜ治ったか。話を聞いてらして感じたでしょう。それらの病気が治ったというのは、想念の力、意思の力なのだと。まさにそのとおりです。精神一到何事か成らざらんと言うでしょう。その格言に従って沢山の人がいろんな困難を乗り越えてきましたよ、精神力で。人間の極限までのところまでも乗り越えてきた。
治った、治った、治ったと念じただけでガンを治した人も沢山おります。脳腫瘍も、治った、治ったと念じて治した人がいますけれど、反復思念だけで私が体験した前立腺肥大症の治癒や若返りの例はありません。それらへ挑戦したとしても出来なかったのです。これは人間の精神力の及ぶ範囲より、もっと高い所に要因があるんです。これは宇宙の無限力が治してくれたんです。精神力を超えたところに治癒の原因があるんです。
「宇宙の無限力が丹田に収められた、全身に行き渡った」と念じるんです。そして集められた宇宙の無限力を一定の部位に持って行くんです。白内障に持って行くのもよいし、脳に持ってゆくのもいい。治るという想念の集束放射、そのせいなんです。
さらにここで申し上げたいことは、病気を治すだけではなく、人生百般のことにこれを応用していると言ったでしょう。そのとおり、これを応用しますとね、人間に不可能な事がどんどん可能になってきます。そうすると思うことがかなうから、どうしたって百事如意になるんです。
また繰り返します。私一人ではない。皆さんがそうなるということを、私はくどいほど言いたいの。聞きっぱなしでは困るの。実行して下さい。難問を沢山持っているでしょうが。
想念の強烈な集中力
それで、宇宙の無限力を使うとなぜそうなるのか。想念を集めたら、なぜそうなるのか。(ポケットから紙を取り出して)紙を太陽に照らしてごらんなさい。一時間たっても燃えないでしょう。一週間でも燃えない。十年、百年も太陽に照らしても燃えないですよ。ところが、ここにレンズを当ててみますと、たった一分で燃え始めます。無限の太陽の光を集めても、千年たっても燃えないが、これでやれば一分。なぜか。理屈は分かるでしょう。太陽の光を集めたからです。
それならば、どれだけの光をこのレンズが集めたか。なんのことはない、このレンズの)面積だけ。たったこれだけの面積の太陽の光を集めただけで、この紙は燃えたんです。
宇宙の無限力の場合は、このレンズの働きをするのが想念。精神力。集束放射は同じことです。
それからここにもう一つ同じ原理がきます。こうやってレンズをあてる場合、子供がやっても偉大なる科学者がやっても、結果はみな同じです。
しかしたった一つ条件がある。焦点が正しくここへ結ばなければダメなの。ちょっと近くてもダメ。ちょっと遠くてもダメ。ちょっと曲がってもダメ。たった一つ、ここに焦点を結ぶということが大事です。
ところが、想念の力で病気を治すという場合、どこにも傾斜もなければ、遠い近いもないの。あるのは強いか弱いかだけ。私が四年も三年も前立腺肥大を治せなかったのは、想念の力が弱かっただけです。ところが、その話を聞いてぼこぼこ治った人は想念の力が強かったんです。邪念が入らないからね。
だから、自分は正心調息法をやってますが一向に良くなりませんとか一向に丈夫になりませんと言う人は、ちょっと考える必要があります。どこか足りない、つまり精神集中の力が足りなかったんです。
これはただ単なる理論だけの話ではないんです。ちゃんと聞いていてもらいたいの。そして応用してもらいたいの。
たとえば、ここに泉がこんこんと湧いているとします。そのそばを通った旅人は、コップ一杯飲んで「ああ、おいしかった、喉の乾きがいやされた」と言って喜んで帰って行った。
次に来た人はバケツを持って来て水を汲んだ。水も飲んだ、手もふいた、シャツも洗った。そのあとに来た人はタンクを持って来た。タンクに水を一杯汲んで帰って、お風呂もわかした、炊事もした。しかし湧き出る水はこんこんとして変わりないの。
容器を持ってくる人がどれだけ入るのを持って来たか。それをどれだけ使ったか。それによって結果は雲泥の差になります。そこをちゃんと腹に収めて調息法をやって下されば、ほんとに有難いのです。
正心調息法の実修法
そこでこれから調息法の実修に移ります。姿勢は上半身を正しくします。下半身は座っていてもよし、あぐらをかいていてもよし。上半身を正しくするといっても、背骨を正しくする。ただしステッキを立てたようにポンと背骨を立てるんじゃないの。人間の背骨はナチュラリーに前後にカーブがありますから、そのカーブはそのまま生かします。ただし左右には曲げない。なぜかというと、これは、背骨は臼のような骨が重なっています。左右にここから神経が出ています。横に曲げると、ここから出ている神経の根元が押されます。すると押された神経で支配されている部分に何か異常が起こります。だから背骨はナチュラリーにまっすぐにこうして座ります。しかし左右には曲げません。
それから両手で印を組みます。両手を上げてごらんさい。手を組むのではなくて、おにぎりを握るように合わせます。それを下ろします。これが鈴の印を組んだ姿です。
そうして、今度は息を吸うの。そのときに鼻から吸う。しかし肺の下の方に吸う。そこは広いから。それで横隔膜が下がるの。そうすると息がもっと多く入ります。それはオヘソの下に吸うようなつもりになります。これが吸息です。
次は充息です。吸った空気を全部下腹に収めます、力を入れて下腹には空気が行きっこないんですが、かならずここに止まるんですが、そうすると横隔膜がグッと下がります。そうすると下腹に力の入り方がうんと違います。丹田に吸うようにして横隔膜を下げるんです。そうして今度はグンと下腹に力を入れます。それから息を吐くのですが、それは吐息です。
これを二五回やります。目は閉じるんですが、これは軽く閉じます。背もたれに、もたれない。肘かけに肘を乗せない。私が合図をしますから、それに従って二回やって下さい。あとは合図をやりませんから、ご自分でやって下さい。
いいですか、ハイ「吸息」「充息」「吐息」「小息」(と先生は大きな声で号令をかける。一同はこれに合わせて実修する) 目は閉じたままです。充息のとき、ウンとおなかに力を入れるときに、肛門をキュッとしめます。そうすると吐息になってくるときに、ひとりでにゆるみますが、それはかまいません。
はい、終わり。
呼吸の重要性
これから申し上げますことは、空気を吸うということの大事さです。あなた方はいまこの呼吸法で息を沢山吸ったでしょう。あのときに入った空気の量と、いまそうやっているときの空気の量と比較してごらんなさい。ずいぶん違うでしょう。肺は小さな部屋から出来ています。そこへ血管がずっと回っています。血液が行きます。何しに行くかと言いますと、体中から集めた炭酸ガスをみな持って行って小部屋に出します。そして各部屋に入っている酸素をもらって帰ります。
ところが、そうやって皆さんが普段に吸っている空気がどこまで肺に入っているかといいますと、ほんのわずかしか入っていないということは分かるでしょう。大きく吸ってみればすぐ分かります。そのくらいで皆やっているが、本当は体はもっと吸ってもらいたいの。体中の細胞はみなもらう酸素が足りないの。もっともっと欲しいの。欲しいところへこの調息法で空気をやるから細胞は喜びます。体というのは細胞から出来ています。そして、お腹に力を入れたでしょう。みんなのお腹は見たところ小さいね。けれどもこの中には腸がどのくらい長いのが入っているか知っている?
七メートルですよ。そのちっちゃなお腹の中にね。その長い腸がその中に入っているの。その腸をグルグルグルと血管が巻いているんです。
ということは、あなた方のお腹の中には一杯血液があるということです。
ところがその血液はね、ドヤーンとしてあまり気持ちよく循環していませんの。鬱血しちゃってます。そうすると、せっかく栄養物をとっても、出来立ての新鮮なのがなかなか行かないんです。ところが、そこへ一つグンと力を入れてごらんなさい。すると腹圧が高まるから血液がグーッと出てきますがな。そうするともっと栄養分もグーッと出て行く。次にまた入って来る。入って来た血液はこんどは取り立ての新鮮な栄養分を持ってずーっと出て行きますよ°
そうすると調息法をやって、空気はいっぱい入った、酸素も充分に入った、そうして今度は新しい取り立ての栄養分がどんどん来た。もう細胞は大喜び。そうするとね、細胞が一つ一つ元気になって強くなれば、その細胞で出来ている人間の体が元気になって強くなるのは当たり前の話です。ならなかった奇跡です。
調息法で細胞の活性化を図る
それからさらにもう一つ、お腹にグッと力を入れると、出来立ての栄養分が来るから、また細胞が喜びますのや。しかもお腹に力を入れた、抜いたとやっていると、全体の血液の循環が良くなります。そうすると新鮮な栄養分、酸素を持った空気が今までよりもズーッと体中を回ることになります。ということは、どうでもこうでも丈夫になっちゃうということです。
そのほかに、この一つの細胞の生きている時間というのは、そう長くはないわな。何日かすると死にます。たとえば四〇日とする。するとすぐに新しい細胞が来てスッと補ってくれる。ところがね、調息法をやって、一つ一つの細胞が元気になりますとね、ほかの人の細胞は四〇日で死んじまっても、こっちは四〇日たっても平気なんだ。五〇日までもずっと生きちゃう。一つ一つの細胞が長生きをすれば、その細胞で出来ているあなた方の寿命が長くなるんだ。長生きしたくなくてもしちゃうんだ。健康長寿。これが出来ちゃう。簡単なことなのね。
ところがね、まだある。ご婦人は骨粗しょう症というのを知ってるでしょう。あなた方は一〇〇パーセントかかるから。昔はこんなことを知らなかった。骨がスカスカになる。男だって年をとってくるとなるんですけどね。そこで言われますよ、カルシウムの入った食物をとりなさいと。
カルシウムが抜けてゆくのは、骨の組織のカルシウムをつかまえている力がなくなるから抜けていくの。だからカルシウムを食べても、沢山入ってきた、ハイ沢山出ていった、それだけのことなの。
ところが調息法をやると骨の細胞がみな元気になりますからね、カルシウムをなかなか放しません。
もう一つ。骨の細胞も死ぬの。死ぬと新しい細胞が出来てくる。そしてふさいでくれる。そこまでは一般の細胞と同じ。ところが年とってきますとね、骨の細胞が横着になる。死んだぞ、ハイ行くぞ、と始めは行ったくせに、年とると、ああ、そうか、じゃこれから行こうか、うんうん、なんていって。そこが行き着くまで空いていますね。だんだん行くのが遅くなるの。死んだぞ、ハイ行け、いや、厄介なこっちゃな、やれやれやれと言ってね、着くまで暇がかかりますね。
行ってくれるうちはまだいいの。死んだぞ、行けと言われて、わしもうやめた、行かん行かんと言う。そうすると、そこは一生空き家になるの。それがね、骨の全部に行き渡るんですからね。ただカルシウムが抜けていったのならば、骨全体をレントゲンで見て薄くはなっても、ああいうボコボコの穴はあかないはずです。これは行かないセンセイが出来ちゃうから、あんな空洞が出来ちゃうんです。
あんた方の骨は、まるで砥石のようにカチッとしている。少し年をとった人はおじいちゃんでもおばあちゃんでも軽石のようになってしまうんだね。そしてポキッと折れる。折れたらつなぎにくい。これはご婦人には非常に多いことです。まだいろいろありますがね。もう少し進めてゆきましょうね。
脳細胞の減少化を食い止める
今度はもっと大事なことです。さっき脳細胞は体の細胞とは違って、もっとむつかしいと言いましたね。根本的に違ったところがある。肉体の細胞は骨であろうが皮膚であろうが、死ねば必ずあとから別な細胞が埋め合わせに行くでしょう。ところが脳細胞のセンセイは全くの横着者で、細胞が死んだあと誰も行かないの。ああ、そうかと言ってるだけだ。お悔みにも行かないの。だからそこが空いちゃったりする。二〇歳のときがいちばんコンパクト。二一歳からもう減り始めます。
そうすると驚くなかれ、脳細胞のセンセイはね、一日に一〇万個落ちるんですよ、一〇万個。二〇歳のときがいちばんコンパクト。ちょうどつきたてのモチのようになっているんだが、だんだんだん細胞の間に隙間が出来てくる、食パンみたいにスカスカになってくる。
そういう脳細胞の姿は避けることはできない。みんな誰もなるの。どんな偉い人でも偉くない人でも同じ。それが一つ。
もう一つ困ったことがある。それはね、あなた方が体を動かしても必ず酸素が要る。ところが脳細胞のセンセイは、頭蓋骨の中にきちんと収まっていて、一ミリも動かない。それなのに、酸素をずっと欲しがるんです、体中のどの細胞よりもね。何十パーセントなんていうもんじゃないね。七倍欲しがる。
そうすると、いったい充分な酸素が行っているかと言うとですね、普通の人の場合は行ってないんです。皆さんももちろん酸素が不足していますよ。慣れているから分からないの。
ところが調息法をやってごらんなさい。今度は酸素が充分に行きますね、すると脳細胞は元気になるんです。そうして、一日に一〇万個落ちるはずなのが、六万個か七万個ですむわけ。それから残っている細胞そのものが強いの。ところが一般の人はだんだん年とってきますと弱くなってゆきます。しかし調息法をやっている人の場合はそうならないんです、酸素が行くからです。ピンピンしてますよ。だから物忘れしたりしないし、ド忘れしないし。老人よ、おさらばになっちゃうね。
脳細胞には酸素が重要
そうすると、この場合は、脳のファンクション(機能)つまり脳の働きが若く保てるだけじゃない、脳細胞の強さ、外からの悪い影響に対しても強いわけです。だから、どんな刺激がきても、酸素が充分に入っている脳細胞は影響を受けません。いちばん、あなた方に端的に分かるのはストレスの場合です。一歩外に出てもストレス、家の中でもストレス。人間はストレスの中に囲まれているんです。そこでパチンコなんかでごまかそうとかするんですが、それはごまかしであって、ちっともストレスの解消になっていませんがな。脳細胞は弱くなるばかりです。
あのね、馬。競馬の馬。充分に餌を食ってるからピーンと張って毛並みもいいでしょう。三割しか餌を食わされていない馬は、痩せてあばらが出てヒョロヒョロしてますがな、毛並みは悪いし。ドーンとぶつかられれば、ヒョロヒョロとして尻もちをつくんですよ、あれは。
競馬の馬はしっかりメシを食ってるから、ドーンときたって平気。それと同じです。
皆さんの脳細胞は、こう言っちゃ悪いけど痩せ馬。酸素を摂取していないんだから。その他にもまだ糖分や蛋白質などいろいろあります。それが足りないんだから。しかしそれにも慣れてきているから、こんなもんだと思っているの。
それと調息法をやって、だんだん年とってごらんなさい。頭の働きが違うことが分かってきます。
ストレスについてもうすこし述べます。これは大変なことなんですよ。というのは、ストレス学者は人間の病気の九〇パーセントはストレスが原因だと言っている。調息法によってストレスよおさらばになったら、病気の原因の九〇パーセントはおさらばですよ。
ヒマラヤで驚異的な体力を発揮
脳学者はね、こういうことを言っています。人間の脳細胞の七〇パーセントは眠っていると。働いているのは三〇パーセントだって。その原因が分からないと言っている。
この学説は誤りです。脳細胞はみな働いているの。働いてはいるが、おのれの持っている力の三〇パーセントしか出せないの。それはエネルギーが来ないからだ。つまり酸素が来ないからだ。そこを脳学者は知らない。
わしはよく知っている。なぜかというと、ヒマラヤの四〇〇〇メートルの高所へ朝日新聞の主催でトレッキングに団体で行ったんです。わしはそのとき七六歳。申し込んだらダメと言われた。いちばん年上が五二歳。七六歳では話にならないという。しかしわしはねばった。だけど主催者側は高山病が怖いからダメだという。実際、怖いんです。高山病で沢山死ぬんですよ。案外簡単に死ぬの。
そこでこっちは少し工作をやった。おれを必ず連れて行ってくれる。おれは必ずヒマラヤに立つという想念を強めた。そうしたら、いいよと言ってきた。ただし条件がある。若い元気な青年を一人連れて来なさいと。そしたら許可しますと。わしにはそんな青年がいないから、いませんと言うと、ダメですと言って、それでおしまい。つま私を許可したのは、こいつはどうせダメだ、こうなるんだから(と言って頭を横に倒す)。
そうしたら相手はこう言った。シェルパは五〇キロ以上は荷物を背負いません。あなたは六〇キロ以上はあるでしょうと言うんだ。つまり人間として連れて行くんじゃないの。荷物としてシェルパに背負わせて回ろうということなんだ。お慈悲だ。だが結局私を連れて行くことになった。
ところがお慈悲で行った私一人が高山病にならないで、みんなの看病をすることになったんです。診察したり手当をしたりね。隊長が一人、メンバーが一五人。全部で一六人いたが、わし一人が元気で、あとはみな倒れた。
なぜか? 私は調息法をやっているから酸素ボンベを吸っているようなものなんだ。なーんてことないね。そしそのとき僕は脳細胞と酸素の関係が、よーくいろいろと分かったね。一五人をいろいろと調べてね。こういうものかとね。体験しましたね。だからこういうふうに調息法の素晴らしさを強調できるんです。皆さんも大いにやってみて下さい。
(以下、紙幅の都合により省略)
正心調息法に関する文献は左記に用意してあります。
真和会