篠さんの思いで
本間 勇三
篠さんが亡くなってからはやいもので1年が経ちました。私にとっては、僅かな期間のお付き合いでしたが、成長と進歩の糧としてご教示いただいた事柄は、沢山有り、東京から四国の香川県の郷里に帰ってから、篠さんにお会いするまでの23年間の宇宙的進歩に匹敵します。いや23年間は宇宙的な進歩からは停滞していたといっても過言ではないでしょう。現実の社会生活にどっぷりつかり、もがいていた23年間から目を覚ましていただいたのが、篠さんでした。
篠さんを四国の香川県にお招きして「生命の科学」の勉強会を2011〜2014年まで毎年1回、計4回開催しました。四国内はもとより、広島、岡山県などから多くの参加者を迎え、充実した勉強会を執り行う事ができ、「生命の科学」の具体的な研究・実践についてご教示いただいたことに心から感謝しています。
勉強会以外にも個人的に数回来県され、ごいっしょに食事をしながら貴重な情報、エピソードなどをお聞きし、日本GAP(1999年解散)で勉強していた「生命の科学」などの宇宙哲学全般の理解を更に深めることができました。篠さんが監修をして、「生命の科学」の翻訳を纏めたことにより(日常生活の実践も行ったことはもちろん)超能力が発現されたこと、また、より深い理解へと達した知見の披露、更に日本GAP時代の本部役員の実績からも、篠さんが本物の宇宙的動機を伴った探求者・実践者であることは明らかです。
具体的には、ジョージ・アダムスキーがモハービ砂漠で金星人オーソンとコンタクトした地点を確認に5回も行ったこと(篠さん以外に5回もフルに参加された会員は、他にいないとのことです)、日本GAPの月例会の司会を13年間毎月出席され、一回も休まず皆勤であったことなど、並外れた信念の持ち主であった方であるといえます。私には足元にも及びません。そのような方と身近に接することができ、生命の深い理解と進歩を感じる充実した5年間でした。
篠さんとは、日本GAPの時代から存じ上げており、駅は違いますが同じ小田急線沿線に住んでいたこともあり、日本GAPにおける総会の翌日の都内観光の帰り、また観測会など帰りに同じ列車でごいっしょになり、車中でよく歓談させていただきました。年齢が一回り余り離れていたため、私の悩みなどすぐに解決策を教えてくれました。そのほとんどは、相手のささいな言葉、態度を私が気にしすぎることでした。その後、私は実家が兼業農家で後を継ぐため昭和63年秋に四国の香川に帰郷することになり、篠さんとは、それ以降、平成23年までの23年間は年賀状のやりとりのみで、特に電話したりすることもなく、事実上交流は途絶えたままでした。
ところが、私にはここから転機が訪れます。篠さんが創めたCC会の「生命の科学」勉強会に、徳島の日本GAP会員の方が出席され、その時、篠さんとお会された時に、当方の事が話題になったのがきっかけで、その徳島の方から私へ連絡いただいたお蔭で、篠さんとの交流が再び始まりました。後でお会いしてお聞きしましたが、GAP開散以降も私のことを気にかけていただいたようです。
それまでは、CC会のホームページに掲載されていた、篠さんの「生命の科学」の勉強会に関心を抱いていましたが、会社を転属してから東京へ行く機会も無くなり、漫然と自分なりに「生命の科学」の書籍を読んだりする程度でした。23年ぶりに篠さんに電話してみましたところ、会話の中でなんと、「生命の科学の書籍を読むだけで能力が出てくる」とおっしゃったので、私は驚きと興奮を覚え、篠さんの研究・実践方法を教えてもらおうと思いました。
篠さんから、アダムスキーの書籍には、「生命の科学」の第一課を読んで(アメリカ人は)早くも成果を上げているのに、どうして自分は能力が出てこないんだろうと疑問を感じ、英文の原書を読むことを思いたったとお聞きしました。それを聞いたときに、同じような取り組みをされた方を思い出しました。私はある時期に、家庭の事情でカウンセラーの勉強をするようになり、定期的に講習会に出席したりしていました。ある講習会に参加したとき、産業カウンセラーの指導的立場の方から、お聞きしたのですが、その方は、仏教に非常に関心があり、大学で仏教の研究をしたいとの希望に燃え、大学に入ってから、教授の指導により経典の原文であるサンスクリット語の翻訳をしながら、勉強していったそうです。そうしたら、日本語の経典に書かれていることは表現が違うところ、また経典の内容が原文に比べ少し足りない個所があったりして、経典の理解が更に深まったとおっしゃっていました。このことから原文を読むことの大切さを再認識した次第です。
それから、私は篠さんに幾度と無く携帯電話とメールのやり取りで、「生命の科学」の各課の記述内容において、湧き起こる疑問について質問し教えていただきました。篠さんが仕事で関西方面へ出張されたときに、香川まで出向いて来られ、2〜3回、個人的に飲みながら歓談しました。スペースプログラムから人生経験まで、幅広くご指導いただいたことにより、また視野が広がりました。とにかく何でも質問してよいとの了解を得て、定期的に質問、情報交換などさせていただいたのが有り難かったです。
お付き合いしてからの篠さんの印象は、生命の科学の妥協無き探求・実践者だと思いました。また、気負いもなく謙虚で気さくな方で、自分のフィーリングにも誠実な方だと思いました。すごい人だなと印象に残っていることは、「怒りの感情は、ある程度の年齢まで持ったことがない。仕事上の方便で使うため、怒りの感情を覚えた」と述べられ、それって地球人のレベルを超えているのでは?と一瞬思ったことがありました。たぐいまれな方だと驚いた次第です。
篠さんが、「生命の科学」を知人に翻訳してもらい、それを監修して纏め上げた訳文を読むことによって、私は、何十年もこのかた誤解していたことが判り、これに気づいたことも幸いなことです。一例を挙げますと、第九課に記述してある意識を用いた宇宙旅行における宇宙飛行士の記述でした。久保田先生の訳では、地球から飛び出した現実の宇宙飛行士のことと受けとめたのですが、篠さんの訳文では、宇宙の意識を用いて宇宙を旅行する者という意味と理解しました。テレパシーという言葉が一般化する前から翻訳に誠心誠意打ち込んでこられた久保田先生の間違いを責めている訳ではないのですが、篠さんのお陰で真の意味を発見できたことに感謝しております。
昨年の5月初旬に、私は久々に仕事で東京に出張し、午後の空いた時間に、東京駅で篠さんとお会いし、駅のすぐ近くの百貨店のレストランで昼食を取りながら、篠さんの近況や「生命の科学」関連の重要なことなど、時間も忘れて会話したことを思い出します。元気そうなお姿だったのですが、一つ気になることがありました。右腕が上がらなくなったと言われたのです。この時、私はさほど気にせず、足もみも効果がありますよとお薦めした程度でしたが、それは病状が悪化している兆候だと後で知りました。篠さんと直にお会いしお話したのは、これが最後でした。
その後、9月初旬まで、メールと電話のやりとりで、11月に、第5回目の「生命の科学」の勉強会を開催する準備を進めていたのですが、清水さんから10月7日に訃報を受け、衝撃をうけました。一言も、病気のこと、苦しいことなど言わなかったし、そのような表情も無かったのですから。その時、ふと、2年前の香川での勉強会で言われたことも思い出しました「最近買った中古の車より、後数年間で私の方が先に行きますから」と言われたことです。軽いジョークの一つとして気にもしなかったのですが・・・。自分は何と鈍感なことかと情けない気持ちになりました。
篠さんと再会してから何度と無く、篠さんに、「生命の科学」の新訳は、いつごろになるのですかと催促したりしましたが、完成間じかのところで逝かれました。その願いは、残された私たちに委ねられたように思います。幸いなことに清水さんのご尽力により、CC会のホームページに篠さんの新訳が掲載されております。この新訳書は、「生命の科学」の研究と実践のよき手引書として後世に引き継がれる遺産だと思います。
自分も篠さんを見習って、「生命の科学」の研究と体験で得たことなどを、宇宙の真実に関心のある方々の役に立つよう、伝える努力をして行きたいと思っています。
ここまで、ひたすら「生命の科学」を中心とした宇宙哲学の研究と実践に打ち込んでこられた篠さんと支えてこられたご家族、また篠さんと共に歩んでこられた関係者の皆様に心から御礼申し上げます。