篠芳史さんを想う
清水 正
2015年10月7日、Cosmic Consciousness会(CC会)で長年講師を務められた篠芳史さんがお亡くなりになりました。享年73歳でした。
篠さんは、ジョージ・アダムスキーのUFOと宇宙哲学を研究するグループ『日本GAP』で本部役員を務め、月例会では司会も行ってその活動を献身的に支えてきました。1980年代に日本GAPが急速に拡大した時期においても、久保田八郎会長と新規会員とを繋ぐ架け橋として重要なポジションを担い、篠さんの持ち前の明るさや気さくさでいろいろな人に分け隔てなく声をかけ、新しく参加された方やうまく周りの人に溶け込めない人などが救われたという話も聞いています。多くの人から頼られ慕われて、人としての器の大きさを感じさせる方でした。
久保田会長が1999年にお亡くなりになり日本GAPは解散しました。1997年から『日本GAP横浜支部』のホームページとしてインターネット上で活動していましたが、解散後は『Cosmic Consciousness』と名称を改め再スタートを切りました。日本GAPの機関誌のバックナンバーの掲載や掲示板による率直で有意義な意見交換など、日本GAPのエッセンスが詰まったホームページになったと思います。
そんな中ひとつの転機が訪れました。篠さんが「宇宙哲学の勉強会を開きませんか」と私に声をかけてきたのです。「責任は私が持つ。講師を務める。ジョージ・アダムスキーの『生命の科学』の新訳があるのでそれを基に勉強会を始めましょう」と。心のこもった力強い言葉でした。篠さんは 『Cosmic Consciousness』のホームページを見ていて、これからの活動の可能性をずっと感じていたようでした。私は篠さんの申し出に感謝し有難くお話を受け入れました。
それからは篠さんと会う度に勉強会について語り合いました。時にお酒が入りながら、篠さんと未来を語る時間はとても楽しく愉快で私にとって至福の時でした。会の名称はホームページをそのままに『Cosmic Consciousness会(CC会) 』とし、東京の池袋を拠点として2007年3月から始めました。
その年の8月からは講義の他に「宇宙の意識と親しむ方法」と「宇宙の意識を意識する方法」というネーミングの『宇宙の側にある意識』=『創造主』を意識する一種の瞑想のようなトレーニングも加わりました。トレーニング中に使うお花は篠さんがいつも持ってきてくださり、それらは篠さんのお家で大切に育てられた季節感あふれる色とりどりの草花でした。
こうしてCC会は軌道に乗り、隔月の開催ですが、毎回のように参加してよかったと思われる有意義な勉強会になったと思います。
昨年の8月、CC会主催のUFO観測会を長野県蓼科方面で行いました。この日は篠さんも楽しみにしていたことと思います。「足の調子が悪く行けなくなった」とメールをいただきましたが、すでに病状はあまりよくなかったようです。心配をかけない配慮だったのでしょう。
最期の講義は2015年7月に行われました。篠さんの『生命の科学』の解説講義はいつも言葉の意味をしっかり捉えた丁寧なものでした。最期の日、次の言葉が特に印象に残っています。
「死に対する恐怖は全くないんです」
「(死ぬことは)学校の入学先(転生先)を決めるようなものです」
「来生の目標を立てるだけでも、今生の心構えが少しずつ変わってきます」
「(今)とっても面白いです」
その生涯『生命の科学』を勉強し続けてきたからこそ出る篠さんの人柄を物語る言葉だと思います。「来生は別な惑星に生まれ変わる」「CC会で生命の科学を皆さんと学び自分を成長させたい」と話をしていたことが思い出されます。
これまで全身全霊でCC会に打ち込んでこられた篠さん、そしてその活動を長年支えてこられたご家族ご親戚の皆様、共に学びご協力いただきました皆様に深くお礼を申し上げます。