投稿者 スターダスト 日時 2002 年 5 月 21 日 21:39:03:
回答先: 恐怖なしにお金を使う人 投稿者 コスモス 日時 2002 年 5 月 15 日 05:48:04:
新約の聖書の使徒達のおはなしを読むにつけ
イエスの最高の弟子、ペテロとヨハネが
完全な融和集団をめざしていたことがよくわかります。
(ちょっと濃い話で申し訳けありません)
私有財産の完全否定が、かなり目立ちますが
むしろ、命のワインを飲み、パンを裂くことの
本当の意味を、、、
私達は忘れてしまっているような感があります。
私はもちろん、キリスト者ではありませんが
みんなが持ち寄ったパンをみんなが
平等に分け合っていく、
そんな人間イエスの山上の垂訓のシーンが大好きです。
最後の晩餐でもそうでした。
そしてペテロやヨハネも全く同じことをしました。
私有財産の否定ではなくて、、ですね。
そもそも、財産なんてないのだ。。という感じでしょうか。
否定もクソもない。
そもそも、お互いを命の兄弟であると明確に認識すれば
煩瑣な哲学的な、財産の私有化とか公有化とかの
認識は消えうせるハズ、、、、
と思っていたりします。
とりあえず、今の私の見の周りにおいて、最善をつくすのみです。
新約の使徒行伝において、
あれだけの集団が
全てを分かちあうこと、、
これは驚きです。
分かち合うことは結果論であって
戒律ではありません。
あの、古代において
現在でも影響を与えた
ビッグバンのようなインパクトに
参加した、心貧しき者たちにとって
人間イエスの語った、ただの一戒、
すなわち
「愛しあう」
ことが、すごく自然だったことでしょう。
直感的に、当たり前だったことででしょう。
生命の奔流が、あの時代に噴出しました。
悲しみに満ちた
今の時代においてさえ
もっと優れた胎動があり
私達は、ビッグバンするに違いありません。
ま、とりあえず
隣人を愛することから
はじめましょう。
自戒自戒。