投稿者 タオリ 日時 2002 年 5 月 22 日 09:41:25:
#ある青年と老人の対話
「僕はもっとがんばらないと幸せに成れないんです。」
『なぜだい?なぜ今幸せで在れるのにその幸せを選ばず、
君は明日へと幸せを先延ばしにするんだい?』
「今の僕のままじゃダメなんです。認められないんです。」
『認められないッて誰に?』
「親に世間に学校に会社に...」
『認められないと、どうなるんだい?』
「自分の価値や尊厳が無くなります。」
『それが無くなるとどうなるんだい?』
「すごく生活しにくくなります。」
『生活しにくくなるとどうなるんだい?』
「お金や財産、それに伴う個人的権限がなくなります。」
『それが無くなるとどうなるんだい?』
「僕の生きる価値がなくなります。」
『では自分の生きる価値を獲得するために、例えば君が自分が望む限りの私有財産やそれに伴う個人的権限を手にしたとしよう。
君の言う、多大な自己の努力と熱意によって。では改めて問おう、
あらゆる自己の野望を実現した君に是非聞きたい?
君は次に何を望む?世界制覇?銀河征服?宇宙征服?
いいでしょう全て叶えてあげましょう。
あなたはもはや創造主です。
では再度、創造主にまでなった君に問います?
次に何を望みますか...?』
「....思い付きません。
もう自分が次に何を欲しいのかイメージできません。」
『そりゃそうですよ。元々の自分についての記憶やイメージを否定し拒絶し、無理矢理それらをぬり消すように野望を実現してったのだから、一つその野望を叶える事にあなたは共感や慈悲をなくしてゆき意識を孤立させていったのです。ピラミッドの頂上にたどり着いた時には完全に行き詰まります。つまり存在できなくなるのです。なぜなら君が存在できるのも、自分の記憶のプロセスを思い出せる間だけだから、過去を失った者に未来はないのですよ。
そして、また弱さや恐怖を失った者に強さや勇気が無いように、
闇を記憶していない者に光りを求める事はできません。』
「そうですよね、僕はいつも光ばかり求めてきたし、
自分に強さや力ばかりを期待していました。」
『友よ人生のあらゆる事は相対的であり、
絶対的な単一的な価値など何一つ無い事を忘れてはゆけない。
善悪でさえ、ただの条件の配列の変化でしかないのだよ。
真に善なるもの、真に悪なるものは何一つない。』
「では理想を未来に求めることは幸福には繋がらないのですか?」
『友よ幸福とは自己の理想の条件付けによって達成するのではなく
人生のどのような条件も環境も相対的であり一つの輪で在る事。
これをどれだけ理解し洞察するかにかかっている。
輪の中でああせねば、ここせねばなどとと、未来に向って条件を変えようとあくせくしても、ただ無常に輪は回るものである。
時には条件的に大富豪として生きる事もあれば、
時には条件的に売れない画家として生きる事もある。
重要なのは見かけではなく、背後に在る意識が、
その人生の条件付けにどれだけ深く気付いているかなのです。』
「条件付けに気付くとは一体どういう事なんですか?」
『つまり条件付けられた自己を体験し記憶する事によって、
始めて全く条件付けられる事のない純粋な意識に、
注意を向けることが可能になる。という事ですかな。』
「でも理屈では解るんですが、
やっぱり僕なら障害や病、貧困などの条件付けの下で、
生きてゆく人生は与えられたくありません。」
『友よ、どんな条件の付いた人生でも意識の多様性を高めるためには体験する価値がある。なぜなら、さっきも言ったように、
大切なのは見かけではなくその背後にある意識なのだから。
だからこそ全ての人生は対等なのだよ。
何かを得るという観点から各々の人生を見れば、
確かに対等ではないかもしれない。
しかし、ただ無条件の幸せが在るという事を意識できるか否か?
という観点から見たとき全ての人生は対等である。』
「では、どんな条件付きの人生でも理想的に変えようとなんて、
思わない方がいいのですか?」
『友よ我々は自分も含め他者や国家、世界の条件付けを変えようと
絶えず何かと争っている。なぜなら誰もが幸せで在るためには、
自分がこうあるべきという条件を満たす事が必要だと、
誤って考えているためだ。だが私は自分も含め改めて問いたい。
他人の苦しみを犠牲にしてまで、自己の条件付けを
理想的に変えようとする必要が本当にあるのだろうか?と。
ただ自分の人生や国家や世界の条件付けに気付く事ができれば、
意識の教材としての役目は充分に果たされているのだから、
例え自分の理想通りに人生の条件を変えられなくても、
そんなに絶望しなくてもいいのではないのだろうか?』
「でも人生は一度きりだから、誰だって
やっぱり夢や理想を実現したいと思いますよ..。」
『友よ、君の意識が今の自分の条件付けの体験を
受容=記憶しているなら、死を超えて希望と慰めがある。
だから未熟な自分にそんな罪悪感や不満を抱くことは、
実は筋が通っていない。なぜなら他人の苦しみを犠牲にして、
自分の理想を追い求める事がこの世の全ての苦しみを
生み出しているのが現状だからだ。』
「でも、それじゃ僕らは自分の人生に対して
あまりに無力じゃないですか?」
『友よそう、それなのだ無力には凄まじい力が秘められている。
無力とは力が無いという意味ではないのだ。
限り無く透明に近い自由であり調和なのだ。
そして、無限の蘇生力を備えている赤ん坊のようなものだ。
この宇宙には天球から天球へ様々な条件や環境を整えた、
惑星や生命が沢山生きている。故にその無力透明な力を通して、
自らの惑星や生命の条件付けを自由に導けるように君もいつか
なるはずなんだ。だから、どうせ無力だからと言って宇宙の法則を支配し操縦しようとなどと修行する必要はありませんよ。』
*そして、数年後。青年は老人に手紙を贈った
「親愛なる友よ、僕もようやく気付きました。この等身大の人生で
何とかしなければならない事なんて本当は何も無いんですんね。
ただ意識のもっと深い所で、何かが動いてるだけであって..。
ただ難しく考えるのやめ、(ただ在ること)以外捨て去り、
今という時の本質と共に座ると、
一見バラバラに見える事柄から一つの意識の調べを奏でてる事に
気付くことができるようになりました。
貴方のお陰です。感謝しています。ありがとう、友よ。」
では、友よ貴方が光輝な太陽の意識によって高められますように
(おわり)