投稿者 意識子 日時 2000 年 8 月 22 日 10:41:15:
ここに集う、「ある英智」を感じている人々。
言葉遊びではなく、それを実体験したい人々。
そんな一人だった、カナザワたち。
表現の違いがあるにせよ、カナザワたちが求めていること、
あるいは感じていること、アダムスキーが知ったことには基本的な
差異はないと感じています。そんなあなた方にも読んでもらいたい
と思います
------------以下抜粋---------------
意識の本体
自分の右手を(そのように)動かすための「意識」(とは、どうい
うものなのか)を、
(誰かに説明する心算で)「表現」してみる。
―→どういうものを用いても構わない。
―→どのような遣り方をしても構わない。
―→どれほど宜い加減でも(出鱈目でも)構わない。
とにかく(無理遣り)「表現」してみる。しかし、
「表現」できない。
▽
意識の内容―意識しているもの」(が、どういうものなのか)は
「表現」できる。
∞ 意識している「映像」は、どういうもので――、意識してい
る「皮膚感覚」は、どういう もので、意識している「印象」は、
どういうもので、といったことは「表現」できる。
それが、どれほど宜い加減な(出鱈目な)(間違った)ものであっ
ても、それは「表現」である.とする。
▽
∞ 「光(映像)」「音(声=言葉=)」「味」「匂い」「皮膚感覚」
「衝動や印象」を伴わない「意識」を、「純粋な『意識』」と呼
ぶ。
「光(映像)」「音(声=言葉=)」「味」「匂い」「皮膚感覚」「衝
動や印象」。 これを「光〜 衝動や印象」と表記。
∞ その「意識」から、その「意識」が伴っている「光〜 衝動や
印象」を取り除いた、純粋な「意識」である部分を、「意識の本
体」、あるいは「『意識の本体』としての『意識』」と呼ぶ。
∞ 『意識の本体』としての(純粋な)『意識』」こそが、
「意識」。
▽
「意識」は、「光(映像)」「音(声=言葉=)」「味」「匂い」
「皮膚感覚」「衝動や印象」では「表現」できない
〔――如何なるものを(如何なる手立てを)用いても「表現」で
きない〕。
表現
「意識」以外の、凡ゆるものは「表現」できる。
(―→その「表現」は、出鱈目でも、間違いでも、構わない)
▽
∞ イシコの(所謂(イワユル))「心」とは、
イシコの「意識」に「映像(光)」や「衝動や印象」が浮かん
でいる状態。
イシコの「意識」が「映像(光)」や「衝動や印象」を意識し
ている状態。
∞ イシコがしている(所謂)「思考」とは、
イシコの「意識」に「言葉(声=音=)」や「映像(光)」が
浮かんでいる状態。
イシコの「意識」が「言葉(声=音=)」や「映像(光)」を
意識している状態。
▽
∞ それが「(如何なる手立てを用いても)『表現』できないも
の」ならば、そこが、仮令(たとえ)「意識」の中だったとして
も、それは造り出せないそれは、想像することすら出来ない。
∞ 〔それが「(如何なる手立てを用いても)『表現』できない
もの」ならば〕、仮令「造物者」でも、それは造り出せない。
大意識(1)
(1)〔如何なるものを(如何なる手立てを)用いても〕「表現」
できない唯一のもの。――それが「意識」。
(2)「意識」を「表現」するには、「意識(そのもの)」を、
そこに持ってくるしかない。
▽
(3)∞ 「意識」は、「『光(映像)』『音(声=言葉=)』
『味』『匂い』『皮膚感覚』
『衝動や印象』では『表現』できないもの」という形で(のみ)
存在する
〔「――(如何なるものを用いても)『表現』できないもの」と
いう形で(のみ)存在する〕。
―→【「表現」できない唯一のもの =「意識」.なのだから】
∞ 「意識」は、「意識」という形でのみ 存在する。
存在できる。
(4)「意識」を存在させるには、「意識(そのもの)」を、そ
こに持ってくるしかない。
(5)「意識」は、「意識(そのもの)」からしか生まれない。
▽
∞ 「人間がしている意識」を生み出している「意識」を、Dove
は「大意識」と呼んでいる。
(――中学時代のDoveのノートには「宇宙の意識」と書いてあっ
たが)
▽
【「大意識」=「大意識がしている意識」】
(6)∞ 「意識」を生み出しているのは、「脳(を形作ってい
る、その『 物質 』)」。
【「 物質 」=「物質」が持っている「能力(性質)」】
―→【「意識」を生み出しているのは、「大意識(がしている意
識)」なのだから】
∞ 「(『意識』を生み出している)脳(を形作っている、その
『 物質 』)」は、「大意識(がしている意識)」そのもの。
-------------以下、略------------------
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