投稿者 ikawa 日時 2000 年 12 月 29 日 21:38:31:
お久しぶりです。ikawaです。
20世紀も終わろうとしていますね。そこで感じたことを書いてみました。
遂にあの2001年がやってくる。先日、ある書店に行ったら、newsweekという雑誌が目に留まった。その表紙を飾っていたのが、2001年宇宙の旅のラストシーンの一場面であるスターチャイルドである。そして、2001年か〜と思った。
newsweekを衝動買いして、読んだ。
その内容は、やはり科学技術的観点を中心とした記事であり、私にとって満足のいくものではなかった。明らかに精神的な側面による予測はなかった。というより分からないというのが正直なところだろう。
2001年になってもHALの様な反乱を起こす意識を持ったコンピュータは、誕生してなかったが、私たちの周囲にある機械類はコンピュータが組み込まれていて氾濫している。こんな状況である。これらコンピュータは誤りがあるし、故障もする、不完全なコンピュータであり、人間の設計通りしか、動かない。
”意識”といえば、アダムスキー氏が多用した”宇宙の意識”を思い出す。
地球人にとって漠然としているが、宇宙には”意識”や”意志”が存在しているという思想である。
というより、異星人たちにより科学的に実証されたことのようだが、地球では未開の世界である。
”意識”とは何か?アダムスキー氏は、万物に内在しているという。
心はテレパシーを運ぶ媒体であるという。
また、心は荷電微粒子であるという。
アダムスキー氏の”意識”という言葉の意味をくみ取ろうと努力すればするほど、その広大さ、深遠さに気づくのである。”意識”は発展している存在であるような感じである。そのように思っていると、久しぶりに宇宙哲学を読み返したくなった。
アダムスキー的に考えてみると、コンピュータのミクロ構造と人間の意識が一体となるとき、意識を持ったコンピュータHALが誕生するかもしれない。
この場合、コンピュータは人間の意識のコントロール下におかれるだろう。
このような時代が来るためには、人間自身が自分の心や意識の主人にならなくてはならない。アダムスキー氏が私たちにもっとも伝えたかった事の一つである様な気がする。
20世紀が終わろうとしている今、ふと感じたことを書いてみた。