投稿者 atom 日時 2001 年 6 月 07 日 22:06:59:
いつも何かを求め続け、それで満たされない時を過ごし、振り返れば懐かしくなる。時は遠いかなたに見えては急に近づいて去って行く。
この一瞬一瞬をいったい私は何をしているのだろう。自分が求めているものが見え隠れして、手を伸ばすとバタンと扉を閉ざすような・・・。
遠くへ行ってみる。動き回る。一生懸命仕事をしてみる。誰も私にかかわる人がいない時、心が自由になった気がした。楽しいとてもウキウキしてきた。
G・アダムスキーを知った。この大宇宙にすばらしい進歩を遂げた兄弟がいる。内部からの強い力のようなものが湧いてきて、遠くの星々を巡るような思いとなった。
知って間もない頃はアダムスキー哲学よりも発達した惑星の生活や精神面のすばらしさといった理想にとらわれて、それに引き換え地球はなんてひどい惑星なんだろうと、ここの人々の悪い面をよくよく批判していました。いやな面を注目しているということは、とかく憤りを覚えるもので、自然私には対決姿勢が現れました。しかしどんなことでもそうなんですが、ある物でもある人でも一面だけを眺めていても本当に理解したことにはならないと感じて、すべての可能性を見つめたり、どんなものでも宇宙的な実態がそれらを支えていることを意識すると、大きな目で捕らえられるようになったように思いました。小さなことでもすばらしい部分があると思いました。例えば、人の場合でもどんな悪人であっても意識によって生かされすばらしいことが出来る。役立てるという可能性があるから存在しているのだろうと思います。
それから時ということで、どんな人でも生き物でも、その現れる時期というのもあると思います。一時の状態で一人間を判断できません。植物もそうです。冬はつぼみの桜ではあの美しさはないと思います。時期またはいかに作るかでしょうか。人の場合いかにその人からすばらしい表現を引き出せるか・・・。私は今は亡き久保田八郎先生に感謝しています。このような高貴な宇宙哲学を紹介してくださった。私の内部から引き出してくださったすばらしいフィーリングは宝物です。久保田先生へ御礼を言っても言い尽くせません。
これからは多くの人たちからいかによいフィーリングを引き出せるかではないかと思います。毎日がレッスン、人々の出会い、いやな想念にいつのまにか影響を受けたり、一人になったとき怠惰なときを過ごすこともしばしばですが、これからも一歩一歩確実に実践に勤めたいと思います。