投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 03 日 23:40:18:
回答先: 日本のカトリック教会の内部に流れる宇宙的な流れ 投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 02 日 23:32:38:
|> アダムスキーとローマ法王ヨハネ23世の会見を通して、その託されたメッセージは、ローマ・カトリック教会の中に引き継がれていると思われます。私たちは、ローマ・カトリック教会と言うと伝統的で保守的な西欧的キリスト教会と考えてしまいますが、このアダムスキーとローマ法王との会見は、そのような世間的な表向きのキリスト教会のイメージと異なって、この教会の中には、一般のクリスチャンの考えを超えた宇宙的な流れが秘められていると捉え直す必要性があるのかもしれません。そしてその秘められた宇宙的な流れが、ローマ・カトリック教会を通して日本のカトリック教会の内部にも流れているとしたら、日本の宇宙哲学を研究している人々はどのように思われることでしょうか。アダムスキーのローマ法王との会見はキリスト教会の内部にも宇宙的な真実の流れがあるということを意味しています。アダムスキーのもう一つの隠された真実の流れが、カトリック教会の中に隠されているのです。
GAP運動とキリスト教会の摩擦の問題について、欧米や西欧ではこれまでのキリスト教世界の中に、新しい世界観を知らせてゆく社会運動は、当然これまでの伝統的なキリスト教的世界観との接触があり、必ずしも、アダムスキーが示した処の世界観を受け入れができないと言う社会体制もあったことと思われます。それゆえにアダムスキーのローマ法王との会見は、これまでの伝統的なキリスト教世界の信仰に生きているクリスチャンの人々にとっては一つの社会的事件であったのではないかと思われるのです。そしてそれは、クリスチャンにとってローマ法王がアダムスキー示したことを通して、彼に対しての受け止め方を改めなければならなくなったことと思われます。このことは伝統的なクリスチャンの人々にとっては大変な出来事であると思われるのです。たとえば、日本のカトリック教会の信仰者の人々であっても、この出来事は何を意味しているのか、この具体的事実に対して無視や否定をすることはできないはずです。それではそこから、どのような思考と方向性が生まれてくるのでしょうか。それはこれまでの伝統的なカトリック教会が変化してゆくということを意味するのでしょうか。また、これまで日本のGAP運動とカトリック教会との対話は成立が可能であったのでしょうか。またクリスチャンの人々との対話は可能なのでしょうか。日本のキリスト教会との接点と対話のために、このアダムスキーのローマ法王との会見は、社会的に重要な位置づけが必要のように思われます。そしてその上でこの問題が個人的な認識や価値観の問題を超えて、より多くのクリスチャンの人々にとっても意義のあるものと対話を通して変化してゆくことを願いたいと思います。