投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 05 日 22:07:59:
回答先: Re: ローマ・カトリック教会とアダムスキーについて 投稿者 空に太陽がある限り 日時 2002 年 11 月 04 日 23:26:03:
|> 仏像崇拝を止めよ! われは唯一の神である 他にかみを作つては
|> ならない!
|> これらのことばの意味を再度考えてみて下さい。
アダムスキーが他のコンタクティーと異なっ特色は、現実の私たちの住む社会をいかに進歩させてゆくのか、その社会から遊離したり超越したり分離したりするということではなく、その社会の中に接点を持って、その社会を変化させてゆくという側面を持っているものと考えられます。これまでの培ってきた社会体制との対話と言う側面があるのです。そしてその中の欧米や西欧の人々の生活様式や価値観に大きな影響を及ぼしている、ローマ・カトリック教会のような伝統的で保守的な世界的宗教団体との対話と接点いう側面があったのかもしれません。「金星・土星探訪記」の中に「多くの機会に私は、世界の大宗教団体に他の惑星に人類が存在することを認めてもらう必要があることを述べましたが、それは次第に実を結びつつあります。もし一つの大宗教団体が異星人の存在する事実を認めるならば、その知識は世界中に広まり、他の宗教団体もこれに従うようになると考えられますしかし、このことは急速に達成できないことでしょう。次はバチカンの機関誌に掲載された記事の再録です。・・・・・・以上は進歩を意味する一つの変化です。宗教も科学も同様に進歩しなければなりません。」と書かれておりますが、一つの巨大宗教団体が、対話と接点をを通して、新しい世界観を受け入れて変化してゆくのであれば、それは、進歩を意味する一つの変化として社会が進化してゆく方向に向かってゆくということかもしれません。しかし、反対にその新しい世界観を受け入れをしないということであれば、独善的な巨大宗教団体として、歴史は過去にあった戦いと殺戮の歴史を繰り返してしまうということなのかもしません。その意味でアダムスキーは、これまで培われてきたキリスト教社会の変化と進歩を求めていたのかもしれません