投稿者 純 日時 2002 年 12 月 02 日 19:09:13:
地球社会での日常生活と貨幣制度は密接です。アダムスキー氏はお金について次のように述べています。
「73歳を数えるこれまでの生涯において私は欠乏したことがありません。これは私の必要とする物を私より創造主がよく知っていて、この世界での私の晩年において最も必要とするものを供給し給うのだという信念を私が持っているためです。(中略)私は創造主への奉仕が人間に必要とされる唯一の奉仕であることを身をもって証明しています。創造主からの報いは人間のそれよりも大きいのです」(アダムスキー全集5巻「金星・土星訪問記」より)
上記の教えに私はとても共感を覚え、日々そのような信念を強く持とうとしているのですが、よく成功哲学などでは、「お金自体に善悪はないので、血液のように考え、健全に流入・流出していけばよいのです」と説いています。もっともだと思うのですが、私はどうしてもときどき、お金(またはバイクやトラック)などを見ると「必要不可欠なものであるけれど、やはり病的だ。お金や排気ガスのない社会が常識なはず」と、感じてしまいます。それらが役立つことに感謝をしようと思うのですが、どうしても嫌ってしまうのです。
アダムスキー氏は、お金に触れたがらなかったと言われています。教会の建物に入りたがらなかったとも言われていますので、物質に残る人々の想念を敏感に感じてしまうサイコメトラーであったのかも?しれません。また、生涯タイプライターを打たなかったというのは指先の感覚と関係があるのかなあ?とも思ったりします。
親和の法則から言えば、アダムスキー氏はお金と疎遠な仲にあったのかもしれません。久保田先生との書簡交換を読むと、アダムスキー氏は来日講演を強く望んでいて、久保田先生も2度にわたり招聘のための募金活動をしますが失敗し、アダムスキー氏は他界してしまいます。これは
創造主が日本講演が不要(日本人がまだ受け入れ状態にない)と判断されたのか、それとも当時のGAPの会員が少なすぎて、宇宙哲学をもってしても招聘資金は集められなかったのかどうかは私はわかりません。
(来日しても私は会えなかったのですが、当時のビートルズの武道館講演みたいにビデオ映像では見られたのに!と思うと残念です)。
私自身は昔から商売が苦手で、それを克服するためにバリバリのビジネスマンになろうと努力して、最も会社の利益に貢献した社員に選ばれたこともありましたが、宇宙の意識にマインドを合わせて生きていると、気がついたら市民団体(公益法人)の運営をしている今の自分がいて、財政面は金銭感覚に優れた同僚に任せてしまっている状態です。
お金の存在しない惑星の存在を確信している皆さんの中で、私のように、紙幣や硬貨との親和に苦労している方々はいますでしょうか?
電子マネーなら問題ないのかもしれません。よく言われるように「歴史上、社会の情報伝達手段がお金になっている」のなら、石や紙の次は電子マネーなのかもしれませんが、コンピュータで個人情報が全て管理される社会も恐い気がします。