投稿者 ? 日時 2006 年 9 月 29 日 12:26:48:
回答先: 「創造主(父)の息子や娘」 投稿者 中尾達也 日時 2006 年 9 月 28 日 07:00:09:
平将門の首塚
平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)とは、平將門の首を祀っているとされるもの。東京都指定旧跡。
平将門の首塚伝承では、首は平安京まで送られ東の市・都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数ヶ所あり、いずれも平将門の首塚とされている。その中でも最も著名なのが、東京都千代田区大手町1-2-1外にある首塚である。かつてはマウンドと、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったので、古墳であると考えられる。但し首塚そのものは関東大震災によって倒壊し、現在では石灯篭と保存碑を残すのみとなっている。
この地はかつて武蔵国豊島郡芝崎村であった。住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたという。諸国を遊行回国中であった他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの天台宗寺院日輪寺を時宗芝崎道場に改宗したという。日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという神田明神の別当として将門信仰を伝えてきた。その後江戸時代になって日輪寺は浅草に移転させられるが、今なお神田明神とともに首塚を護持している。時宗における怨霊済度の好例である。
この地は、東京駅に近く皇居の間近かに位置するため、周辺にはオフィスビルが林立している。この一角だけは、それ程広い敷地ではないにも拘らず、鬱蒼とした木が茂り、現在でも、一種異様な雰囲気を醸し出している。また、一歩敷地内に踏み込むと、石碑の周囲に置かれる巨大な作り物のガマの数に驚かされる。そして、線香の匂いが絶えなく物静かで、そこに表通りの車の音がする場所である。
築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来たのも頷けるものがある。その事を最も象徴的に表わすのが、第二次世界大戦後に、GHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、不審な事故が相い次いだため、結局、造成計画を取り止めたという事件である。また隣接するビルディングから塚を見下ろすことのないよう、窓は設けられていない。
結果、首塚は戦後も残る事となり、今日まで、そのひと気のない様に反して、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示している。近隣の企業が参加した「史跡将門塚保存会」が設立され、聖域として護られている。近年、心ない若者の心霊スポット化してしまったのは残念なことである。
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