投稿者 ネハヨ 日時 2007 年 1 月 18 日 23:09:58:
回答先: イエスの言葉について、最近思ったこと。 投稿者 オーボエ 日時 1999 年 7 月 09 日 20:17:10:
この文章にしびれました。
素晴らしいですね。
人を裁くなとは言われていますが、救いということなんですね。
創世記にある「善悪を知る木の実」を食べた我々は確かに「救い」が必要だと思います。
ところで、アダムスキー氏(ヨハネの転生した姿)のコンタクトした金星人オーソン氏は、イエスの転生した姿であり再臨したことが述べられています。現在(1952年当時)なぜイエスの再臨が起きたのか、あるいは起きる理由を説明出来る方いませんか?
ネハヨ
|> G.A.全集などでも、
|> 真に宇宙的であるイエスの言葉について
|> 真相が語られています。
|> それとは別個なのですが、最近
|> 書物をひもといていて教えられたこと
|> 考えていることを書き述べてみたいと思いました。
|> 1.裁きについて
|> イエスはしばしば「裁き」という単語を使っていて
|> 新約聖書のあちらこちらに記載があります。
|> 例えば、いちばん驚くのは、12人の弟子達が、
|> イスラエル12支族のそれぞれの長となって
|> 彼らを「裁く」という、イエスの言葉です。
|> また、天なる父による「裁き」も良くつかわれる
|> フレーズです。
|> ある書物によれば、イエスの言葉を最初に記録したのは
|> よく言われているようなアラム語ではなく、ヘブライ語で
|> あったとのこと。(イエスはアラムではなく、
|> ヘブライ語で語ったとするのです)
|> ヘブライ語からギリシャ語に翻訳される過程で
|> 重大な誤訳があったとのこと。
|> ヘブライ語において「裁く」という単語には2つの意味があって
|> ひとつは「裁く」であり、そして、もうひとつは、、、
|> 「救う」
|> なのです!
|> 聖書のなかでは、前後の脈絡のなかにおいて
|> 「裁く」をつかっておかしいところは「救う」に置き換えて
|> 読むと良いようです。
|> 2.「火によって悪を焼き尽くす。」
|> 火は、浄化のシンボルであって、滅殺ではないようです。
|> 3.「天国は近い」について。
|> 人によっては
|> 「近い近いと言うものの、さっぱり近くない、2000年も
|> たっても、天国は来ない。何が近いんだ!」
|> と思う方もいらっしゃるとか。。。
|> ヘブライ語において、「近い」に相当する単語と
|> ギリシャ語において「近い」に相当する単語は
|> 相当食い違いがあるようです。
|> ギリシャ語で「近い」はそのものズバリ「近い」
|> であって、離れているけれども、遠くはない、
|> という意味で、そうなれば、先ほど例にあげた
|> 不満も出てこようというもの。
|> ヘブライ語では「近い」という単語は
|> 「ここの周りで」という語感なのだそうです。
|> そうだとするならば、
|> 「天国は近い」という言葉は
|> 「お前たち、わからないのかい?
|> 天国はここにあるんだ、私たちが今いるここが
|> 天国なんだよ?ね?わかるだろ?」
|> という表現なんですね!
|> 久保田先生はかつて、
|> 「この地球が既に金星である」という
|> イメージを描くことを強く勧めておられていましたが
|> 同じニュアンスではないでしょうか?
|> 信念の問題となってくるわけです。
|> 「まわりに不満足な状態を認識するのは
|> 我々の心が不完全なのであって、実は
|> この宇宙は完璧に動いている」
|> という、真理なのではないでしょうか?
|> 自我(センスマインド)の滅却には
|> 時間がかかりますが、一歩一歩
|> 進んでいけば
|> かならずや、自分が既に
|> 天国に住んでいることを
|> 知るようになるのでしょう。
|> 4.「心の貧しき者は幸いである。天国は彼らのものである。」
|> 理想と現実のギャップに苦しみつつも
|> 理想を忘れず、一歩一歩歩む者こそが
|> 「心貧しき者」であると思われます。
|> もちろん、天国は心貧しき者だけの所有物ではありません。
|> 至上なる英知は、すべての人に平等に太陽の光を与えます。
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