投稿者 土星の氷河 日時 2000 年 5 月 30 日 10:48:13:
真実の声として言いたいことがある。それは、ほんとうの生まれ変わりとは「生き方の連続」ではないということです。つまり、生まれ変わりによって「生き方」が変わってゆくということなのです。「生命の連続性」という言葉がありますが、それはその人間の正体(個別化された意識)が連続しているということではありますが、その人間の生き様(センスマインド)が連続しているのではないのです。すなわち、人間は各人生において、その才能を活かしているのです。だから、一つの人生において活かされた才能は、次の生においては活かされなくなるのです。それで、「生命の非連続性」ということが言えるのです。人間は一つ人生を終えるごとに、一つの仕事を終えてゆくのです。それは、一つの生涯においても起こることです。ある職業についていた人間がその職業を退職して、別の生きる営みをはじめたとき、また、人間が伴侶を見つけたとき、そのようなときには、その人間の個性がつくりかえられてゆくように、現世と来世ではその人間の生き方のあり方は大きく変わっていることが多いのです。このような「生命の非連続性」ということを、きちんと体得するならば、前世の記憶がなくとも、人間はしっかりと生きていけるはずなのです。つまり、今生の自分の在り方を1度限りのものと理解するなら、私たちは何ものにもとらわれることなく、自由に人生を楽しむことができるのではないでしょうか。これこそ、禅の悟りではないかと考えるのです。しかしながら、「生命の連続性」を忘れてしまうとき、それは夜郎自大の野狐禅になるのです。つまり、真実とは「生命の非連続性における連続性」なのです。このように理解してこそ、道元の言うような時間のとらえ方ができるのではないかと考えています。これについて、ご意見がある方はメールを下さい。