投稿者 瑠璃 日時 2000 年 7 月 01 日 23:12:41:
「力」というものについて考えてみましょう。
飛行士が宇宙空間に浮かんでいます。
どの惑星の重力も作用しない無重力空間とします。
そこへ隕石が飛んできました。
飛行士の脇を通って後ろへ飛んでいきます。
この時、飛行士が得られるデータは、
「隕石が直線に動いた」
ということです。
飛行士が後ろを見ます。
ひとつの星があります。それは回転しています。
飛行士が得られるデータは、
「星が回転している」
ということです。
以上から何がわかるでしょうか?
飛行士に対する、
隕石の直線運動と星の回転運動が記述できます。
しかし、実際起きた現象はそうなのでしょうか?
隕石が宇宙空間に浮かんでいて、
飛行士が飛んでいったとも言えます。
星が止まっていて、
飛行士がその周りを回っているとも言えます。
あなたの視点を飛行士に置いた場合にのみ、
隕石と星の運動現象が記述できるのです。
しかし、隕石や星に視点を置けば、
全く逆の記述ができることになります。
どの視点でも、現象の記述しかできません。
そして、それは
「直線に動いた」「回転している」
という事だけなのです。
よく「力が原因となって物体が動く」と言いますが、
間違っています。
力は原因ではないからです。
同様に「重力が原因となって物体が落ちる」というのも
間違いです。
物理では力の概念をベクトルで表示します。
しかしこれは「この向きに動きました」ということを表示しているだけです。
現象を録画した後、コマ送りして「次のコマではここまで移動した」という
"現象を記述したもの"です。
ある高さから石を落とすことにします。
手を離した瞬間に石はどうなりますか?
「重力がはたらいて落ちる」と考えますか?
違います。
日常「ものが落ちる」という経験をしているから、
今度もそうなるに違いない、と考えているに過ぎません。
宇宙空間で手を離したらどうなりますか?
石が落ちることはありませんよね。
「重力があるからものが落ちるに違いない」
というのは地球人が陥りやすい"現象から現象を解く"思考です。
これが"習慣的想念"というやつです。
論理学ではトートロジーと言います。
「力」は「現象」の別表現に過ぎません。
向心力や遠心力は存在しません。
観測者が集められるデータは
「星が回転している」ことだけなのです。
*
物理学での視点とは、
人間が持っているような五官に限りません。
宇宙空間に回転している飛行士がいて、
それを見ている浮遊者がいます。
視点を浮遊者にします。
何が見えますか?
回転している飛行士が見えます。
この時浮遊者は、
周囲の止まっている星空に対して「飛行士が回転している」と言えます。
では、視点を飛行士に切り替えましょう。
何が見えますか?
星空が回っているのが見えます。
ちょうど一回転する毎に浮遊者が視界に入ります。
浮遊者は星空と同じく周囲を回ってるようです。
ここで飛行士の視覚を無くします。
もはや目で周囲の景色が回っていることを認識できません。
まだ聴覚があります。
周囲の音を聞いて、音源が周囲を回っていると認識できます。
よって、逆に自分が回っていると考えることは可能です。
飛行士の聴覚を無くします。
耳で周囲の音の変化を認識できなくなりました。
まだ触覚があります。
(ここでは触覚≠意識。単なる圧力や熱などのセンサです。)
宇宙空間に塵があって、腕に当たります。
それが一方向からであるときは回っているとわかります。
逆に自分が回っていると考えることも可能です。
飛行士の触覚を無くします。
皮膚で圧力や熱などの変化を認識できなくなりました。
まだ嗅覚があります。
宇宙空間のある特定の場所に臭い付きガスがあります。
周期的に臭いを嗅ぐとすれば回っているとわかります。
逆に自分が回っていると考えることも可能です。
飛行士の嗅覚を無くします。
鼻で臭いの変化を認識できなくなりました。
まだ味覚があります。
これについては、あまり意味がないので割愛します。
ここで飛行士の味覚を無くします。
さて、五官を失ったあなたは
周囲が回転していることを認識できますか?
自分が回っているかどうかわかりますか?
全く感覚の無い物体でしかない飛行士は
周囲がどうなっているのか、自分がどうなっているのか
全くわかりません。
現在の科学で言う「視点」とは主に視覚を指します。
しかし、目に見えない事柄はどうやって解けば良いのでしょうか?
電磁気などは目に見えません。
だからこそ、重力の謎が今まで解けなかったのです。
では、「視点」とはいったい何を指すのでしょうか?
以下がこれから先の科学に必要な考えです。
*
五官を失った飛行士がいます。
飛行士は回転しています。(これは第三者が記述したこと)
それを見ている浮遊者がいます。
飛行士と浮遊者は人間とします。
2人は意識があるので想念を使って話ができます。
この想念伝達をテレパシーと名付けます。
では、飛行士の視点になってください。
五官によっては何もわかりませんが、あなたには意識があります。
周囲の状況を知るためにテレパシーを発します。
返事がありました。
相手は浮遊者と名乗りました。
では、3次元的に浮遊者の位置を調べることはできるでしょうか?
あなたは自分の身体の構造などを知っているので
3次元の空間というものを知っています。(意識によって調べたということ)
前後左右上下の認識ができるので、
相手の位置を割り出すことが可能です。
浮遊者とテレパシーで話していると面白いことに気づきました。
浮遊者の位置は、
前、右前、右、右後、後、左後、左、左前、前。
と周期的に変わっていたのです。
ここで「浮遊者は自分の周りを回っている」
ということが判明します。
また、逆に「浮遊者に対して自分が回っているのかも知れない」
と考えることもできます。
指向性を持つテレパシーを使えば運動が記述できるということです。
ここでは飛行士と浮遊者は人間でしたが、片方が無生物であったり、
両方が無生物であったとしても同じ結果になります。
仮に、人間に意識があり無生物には無いとしたら、
私達人間は物体の運動を認識することができません。
つまり、
物理で物体の運動を記述するということは、
「物体に意識の存在を認めている」ということです。
科学で法則を記述するということは、
「互いの意識の関係を解き明かしている」ということです。
五官を失った飛行士は、もう人間でなくとも良いことになります。
「意識を持った物体」です。
あなたはその視点に立てたのです。
それがどういう意味を持つと思いますか?
あなたは人間である前にひとつの意識です。
他の生物をはじめ、植物や鉱物などとも話すことが可能なのです。