動物の意識


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投稿者 松本 日時 2000 年 12 月 24 日 16:31:35:

∇動物の意識について紹介している書籍からの
一部、抜粋です。
「意識する動物たち;レスリー・J・ロジャース」
・私は動物の行動を研究する科学者として、他の
動物種の声を聞けるようになる日は近づきつつあり、
彼らのコミュニケーションは我々の手の届かない
ものではないと信じている。
 そこに到達するためには、我々は見方を変え、
言葉の真の意味で理解しようとする気持ちが必要
になる。動物を単に人間の目的のために利用する
意図ではいけないのだ。

 残念なことに資金提供を受けている研究は、利用
目的のものがほとんどであり、「我々と共に生命と
時間の網に捕らえられている」動物たちの理解を
目的とする研究に寄せられる援助は比較的少ない。

 この問題は二つの部分に分かれている。今彼らを
研究しておかなければ多くの動物が絶滅してしまい、
一緒にいる「生命と時間の網」からいなくなって
しまう。利用面ばかりでなしに彼らの行動を研究
する必要性を認識することは、態度を変えること、
我々と彼らの間に築かれてしまった境界線を崩す
ことを意味するのだ。
 
・動物が意識をもつと考えるか否かによって動物
の扱い方が変わってくる。それゆえ、動物における
認知と意識が動物の福祉にとって極めて重要な問題
であることは間違いない。これは研究に限らず、
人間が動物を利用する他の分野についても言える
ことである。

・英国オックスフォード大学のマリアン・ドーキンズ
は、動物が痛みを感じるか否かの決定は絶対的な根拠
に基づく必要がないと述べている。意識のないロボット
であるか、(人間のような)意識の要素をすべてもち
合わせたものであるか、どちらか一方を選ぶ必要は
ない。つまり痛みを感じる能力を全くもたない動物と、
我々の知るような痛みの感覚をもつ動物間で選択する
のではないということだ。

 このような推論を行う場合に、動物を階級づけして
人間をその頂点におく傾向が見られる点が問題になる。
他の動物に比べて意識の要素を多くもつと考えられる
動物もいるが、多い少ないの問題ではなくて、動物に
よって意識の種類が異なっているのかもしれない。
 そして同様に、痛みの感覚も多い少ないの問題では
なく、いろいろな動物にさまざまな傷みがあるのかも
しれない。このような概念化を支持する例として、
人間がいろいろな種類の痛みを経験するという事実を
挙げることができる。
 
・ここで一番気になるのは心理的な痛みかもしれない。
たとえば、我々は親しい友が死んだ後に喪失感を覚え
つらい思いをする。アメリカ手話で意志を伝えること
のできるゴリラのココは、彼女のネコが死んでしまっ
た後に同じような気持ちを表した。飼い主の死後、
やせ衰えて死んでしまったイヌの話も知られている。
 そのような例は多くあるが、ものを失う痛みへの
科学的な研究はなされていない。

 我々は他者がつらい思いをしているのを見て苦しむ
こともあるが、それは我々が感情移入するからである。
 ある種類の動物に関してはかなり有力な手がかりが
得られているように、もしも動物が他者の心の状態を
理解できるとすれば、他の動物が苦しんでいるのを見
てつらい思いをする可能性も考えなければならない
だろう。

 ゴリラのココは他者の悲しみがわかり、彼らのため
に悲しむことをはっきり実証した。ココは世話をして
くれる人が悲しむ様子を見せたときに「悲しい?」と
手話で合図を送った。別のゴリラが水浴を嫌がって逃
げ出そうとしている写真を見せられたココは、「私、
泣く、そこ」と手話で話した。これは彼女が写真を
認識したことと、感情移入ではなく自分に関連づけ
同一視したことを示唆している。

 別の状況下では感情移入が見られた。マイクルと
いう仲間のゴリラが部屋から出たがって泣いていた
とき、ココは「かわいそう、外」と手話で示した。
 研究室や農場には、他の動物が実験されたり殺さ
れたりするのを見たり聞いたりしてこのように考え
ている動物がたくさんいるかもしれない。現在の
ところ、動物福祉の指針はこうしたことをまったく
考慮に入れていない。



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