投稿者 松本 日時 2003 年 8 月 13 日 14:07:50:
回答先: Re: どこかのスレッドの続きです。 投稿者 スターダスト 日時 2003 年 7 月 16 日 22:55:56:
|> ピグマリオン症候群という名前が
|> ついていたのだったかと思います。
|> どこかで読みました。
|> ブルーバックスだったかなぁ?
∇以下は”量子場への道”から。
「古典場から量子場への道,高橋康,1979年」
この問題についていまここで文句を言い出すと
収集がつかなくなるから,きわめて楽観的に,
力学において質点という概念をのみこんだときと
同様に,’点’で定義された場を1つの数学的
抽象化として一応受け入れることにしよう。
ただし Synge 先生の言われる Pygmalion 症に
かからないように注意しよう。この点については
”あとがき”でざん悔をして罪をつぐなうこと
にする。
[J.L.Synge:Talking about relativity]
数学的モデルと現実の物理的対象とをごっちゃに
する病気を彼はPygmalion 症と名づけて警戒して
いる。
慢性のPygmalion 症にかかっては困るが、急性
くらいは許してもらいたい。
確かにわれわれは,点という純数学的なものを
物理学に持ち込んでPygmalion 症にかかっている
のである。
しかしながら次の点は注意しなければならない。
巨視的な物体については,物の大きさという
概念は割合はっきりしているが,微視的世界では
物の’大きさ’とはいったい何を意味するので
あろうか。
電子が大きさをもっているとはいったいどういう
ことであろうか。
大きさをもっているとしたら,それは何から
できていて,何が電子を電子として安定に保って
いるのであろうか・・・・といった疑問が次々と
続くことになる。
どこかでこの悪循環を絶たねばならない。つまり,
どこかで’電子の大きさ?’という疑問自体が
意味を失うはずである。
∇以下は・・・・。
[これはある若い科学者がEinsteinに会ったときの会話]
”先生,先生のノートをぜひ見せていただきたい
のですが・・・・”
Einsteinはきょとんとして、”いったい何のノート
のことかね?”
若い科学者は続ける。”私はベッドの横にいつでも
ノートを置いておくのです。いいアイデアが浮かん
だらすぐ書いておかないと翌朝忘れるといけないので。
先生のそのようなノートをぜひのぞかせて下さい。”
”君はそんなことをするのかね”とEinstein。
”私は書きとめておくほどそんなにたびたび
いいアイデアが出ないので,ノートを置いておく
必要を感じたことはないのだよ”