投稿者 スターダスト 日時 2004 年 3 月 21 日 23:10:38:
回答先: Re: タイムトラベルをやってみよう! 投稿者 X 日時 2004 年 3 月 20 日 21:36:00:
うーん。
意識の旅行と言うのは、一種、望遠鏡で見ているようなもので。
知覚の拡大と言えばいいのでしょうか?
意識による旅行では、過去を「観る」ことは可能ですが
過去に干渉することは、、出来ません。
この限定した意味でなら「タイムトラベル」なのですけれど。
変な喩えで恐縮ですが、過去の時点のテレビカメラから
自分自身というテレビ(受像機)に映し出すようなものでして。
私達は生活の中で世界各地の風景を映したテレビ映像を観る事が
ありますし、「旅行」をテーマにしたものなら、それらを
楽しむことが出来ます。そして、あたかも自分がそこにいるかの
ように感じる事もあるかもしれません。北極の風雪を見れば
寒々とした印象を受けることもあるかもしれません。
しかし、実際には、そこには出かけていません。
同様に、過去を「観る」ことがあるでしょうし、あたかも
そこに行ったかのごとく感じる人も中にはいるかもしれませんが
実際には過去には行っていません。
ところで再言しますが、現在から過去への干渉によって
現在のあり方を組み替えることは不可能です。
これは、アダムスキーがもたらした生命の科学や宇宙哲学の範疇
で考える以前のお話です。論理的にありえません。
タイムマシンに乗って3日前の過去へ遡ったら、3日前の時代に
ある(あなたが近い将来乗るはずの)タイムマシンを爆破して
しまうことが可能となってしまいます。そうすると、あなたが
タイムマシンに乗りこんだはずの「時代」のタイムマシンは存在
しないことになります。あなたは、乗りこむことが出来ません。
そうすると、3日前に遡ってタイムマシンを壊す事もできません。
(デッドロックですね)
論理的にありえない仮定(タイムマシンにのって過去へ遡る)
を行うならば、上にあげたような矛盾がいくらでも出てきます。
これらの矛盾は私達の宇宙では許されません。論理的に
ありえない仮定を捨てる必要があります。
−−
そもそも何ゆえこのような話になったのか思い起こしますと
未来から宇宙人がやってきて特定の個人の運命について
予言し、しかもその予言通りにことが進んで行く、、
そのような御発言を観て非常に驚いたからです。
過去への干渉はできないという明確な論理を言う必要があると
感じましたし、一方、もうひとつの大事な要素も発言する必要
があると感じました。
それは、私達の人生は私達の責任において自分自身が選択した
道を歩いていくのだという哲学です。
これに反し、誰かに決定してもらった人生をなぞるようなことは
できればおやめ頂きたいとも思いました。
へんな教団の指導者が生命をないがしろにする指示を出し
その命令に黙って従い殺人をおかし自身の生命をも無駄に
散らしてしまう、そのようなことが世界中にいっぱいあります。
この場合、指導者にも責任がありますが、黙って従う柔弱な
精神、誰かの指示待ちの精神、を私は非常に問題視しています。
誰かに決定してもらった人生をなぞるようなことは
できればおやめ頂きたいとも思います。
タイムマシン論争など、ハジッコのお話です。
もっとも申し上げたいのは主体的に生きるかどうかです。
−−
なお余談ながら。
未来へ行けるタイムマシンは可能です。
行ったきり戻ってこれません。
浦島効果といわれる物理学的にしっかり
裏が取れた原理を使えばいいだけです。
高速に運動する物体の時間は遅れるように
みえる、このことは、既に実用化されていまして
私は先日、その機械を搭載した自動車に乗りました。
その機械とはカーナビです。
カーナビは人工衛星と通信をしているのですが
人工衛星内の時計はウラシマ効果で遅れてしまうのです。
そのためにあらかじめ想定された補正を行って
時間を刻んでいます。この補正がないと
私達のカーナビは、自分が今どこにいるのかを
正確に判定できなくなってしまうのです。
未来へ行きたいのなら
このウラシマ効果をもっと大胆に使えばよいわけです。
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もうひとつ余談を。
アダムスキーの見地では
未来からの情報を予め知ることが出来ます。
ただし、それは蓋然性であって、それを避ける事が
出来ます。私達の自由意思でもって、未来を変えるのです。