投稿者 Tatsuro 日時 2004 年 5 月 07 日 21:40:54:
回答先: 因果律と自由意志 投稿者 伊知地 充 日時 2004 年 5 月 07 日 04:41:56:
難しいですね。
もしよろしければ教えていただけますか。
理解できるかどうかわかりませんが。
ただし、僕は倫理学は全くどんなものか知らないです。
倫理学を知らなくてもわかる解説がもし可能ならばでいいです。
|> 心は内在的な《現象》であると思います。
|> 現象である、というのは心がいつも結果だからです。
|> 自らの心の一瞬一瞬を自らの意志で決定する、つまり、自己原因的であるすべを
|> われわれは知りません。たとえ1秒後であっても、自分の心の状態を予測したり、
|> 決定したりすることは経験していませんし、不可能です。心が自己原因的である
|> ためには、自分の心を支配するもう一つの心(主体)を想定することになり、こ
|> れは無意味なことです。
なぜ心の一瞬一瞬を意志で決定する必要があるのかなあと
思いました。
この議論にはここに不自然な設定があるように思いますが。
というか、ここで意志という言葉をつかうこと自体、意志という
言葉に何らかの共通の理解を想定してしまっていると感じます。
何かをしよう、これをしよう、これはやめておこう、
がんばろう、集中しよう、
リラックスしよう、、、、、
意志というのはこういうもんですよね。
@こころざし。考え。
A物事を成し遂げようとする心ぐみ。
B[心]考え選び決心する心の働き。
C[倫]道徳的行為の原動力
自由意志ですから、
束縛、強制などを受けず、思いのままに働く意志
ですね。
国語辞典(角川書店 久松潜一 佐藤謙三編)
に載っていました。
|> このことから、因果律から逸脱した自由意志というものが存在したとしても、自
|> 己原因的な自由意志というものは到底考えられないのです。
|> 感覚、感情と同じようにわれわれの意志はいつも(主観的に)偶発的です。計画
|> して意志を生じさせることはできません。かといって、意志のすべてが因果律で
|> 決定されているとも断言できないでしょう。自由意志(倫理学的な自由意志)と
|> いう言葉自体が奇妙なだけです。
|> 心を生じさせているものはわれわれの脳を含めたわれわれの身体そのものである
|> と思います。正確に言えば、われわれの心はわれわれの身体そのものであると思
|> います。《心は身体に宿っている》という古典的な考えには従うことが出来ませ
|> ん。だから、どちらかが片方の力に従っているわけではないと思います。心と身
|> 体は一枚の紙のように表裏一体であっていずれかが主体と言うものでもない。
|> 薬剤の投与や脳内物質の分泌、あるいは電極の利用によってわれわれの心の状態
|> が著しく変化することが知られています。逆に、心配事があると胃酸過多で胃が
|> 痛くなったり、心の持ちようで身体能力が向上したり、病気の快復が早まったり
|> もします。これは一見物質である身体と精神である心の相互作用にも思われます
|> が、単に一つの事象の表裏を語っているに過ぎないともいえるわけです。
|> 心と身体は双方とも《結果》ですが、同時進行していると思います。一枚の紙の
|> 片面を折ると、裏にも同じような折り目ができます。心の傷と申しますが、深刻
|> な精神障害を負った患者の脳には物理的な傷が観察されるともいいます。これは
|> 心のショックによって脳に傷がついたわけでもなく、脳内の変化が心の病をひき
|> 起こしたわけでもないと考えます。どちらも原因ではなく別側面の結果にすぎま
|> せん。われわれの立脚点によって心が主人公になったり、身体が主人公になった
|> りするだけのことです。
|> われわれは自らの意志(脳を含めた体全体)をすべての事柄を超越してにコント
|> ロールできる存在ではありません。われわれは常に結果としてのみ存在します。
|> 存在自体が宇宙の無限の表現としての結果なのですから。したがって、宇宙が決
|> 定論的な秩序に支配されていようが、でたらめの秩序が混在している宇宙に存在
|> しようが関係ありません。
ここからなぜ以下の推論が成り立つのかよくわかりません。
|> 自由意志なるものはわれわれには存在していません。