投稿者 /Ka++ 日時 2005 年 6 月 22 日 12:35:06:
夜が好きだ。
世間は眠っており、煩雑な外力を受けないため、勘が冴える。
そしてよく閃きがやってくる。
私がこうして閃くことは、
実は世界中の、どこかの、誰かが想い考えていることであり、
私はそれをただ文章化しているだけなのだと、思うときがある。
私が独自に考えつくことなど、ほとんどなく、
すべてが既に世界に溢れている事を言語に変換しているだけで。
既に共有化されているのに、私から切り離すことが不可能な、
ごく個人的な内容を感じる事柄が沢山ある。
この意味で、私は自由意志とはなんなのか、理解していない。
金星文字と呼ばれる図面を解くことで、
なぜテレパシーや生命について意識するようになり、
またフリーエネルギーの方法を見出そうとするようになるのか?
宇宙の構成を考えるようになるからだ。
円盤を造りたいと考えていると、様々な疑問が浮かぶ。
そもそも円盤は何に対して浮くのか?
惑星はなぜ自転・公転するのか?
太陽はなぜ光っているのか?
仕事や生活に追われている時は、実にどうでもよい疑問だ。
しかし、それらの疑問群には一定のパターンがある。
疑問のほとんどが、
自然界には決まったエネルギーフローが在る、ことを示唆している。
循環、運動と言えば良いのだろうか。
自然界は停止することがない。
もしくは、私たちは停止して見えるような視点に立つことはない。と言える。
ちょっと表現しづらい。
想念も停止することがない。
人間は一種のフリーエネルギーデバイスであり、
適切な出入り口を確保することで、テレパシーの送受信状態となる。
送信と受信のどちらか一方となっている時は想念が体内を貫通しない。
周囲の想念の流れと切り離されている為に、隔絶感が生まれる。
孤独感や不安も同様だ。
では、適切な出入り口とは何なのだ?、というと、これがまたうまく表現できない。
口から食べ物を入れ、肛門から排泄されるのと同じで、
精神的な栄養摂取の為の貫通経路が人間には必要なのだ。
逆に、適切な出入り口が確保できないのはなぜか?、というと、これも不明だ。
なぜだろう?
バンデンバーグ氏や遠藤氏は金星文字に関する記事で、感情について述べている。
これは、感情を無くし機械のようになれ、という意味では勿論無い。
極端な感情によって想念の貫通経路が遮断されることを言っていると思われる。
それがクセになると戻りにくいからだろう。
アダムスキー氏は本で、地球に比べて金星は夢のような世界であると書いている。
私は解読当初(10代後半)からずっと、夢のようなテクノロジーの世界だと思っていた。
少年雑誌の未来はこうなる、という記事のように。
金星は確かにそうかもしれないし、もしかしたら地球の技術の方が進んでいるかも知れない。
しかし、だ。
金星では生まれたときからずっと、想念の貫通経路が外力で遮断されることが無いのではないだろうか?