投稿者 松本 日時 2001 年 9 月 22 日 23:33:05:
回答先: ス:因果と自由意志その4 投稿者 スターダスト 日時 2001 年 9 月 16 日 18:59:02:
|> スターダストによる「因果と自由意志」その4
|>
|> 松|> 「リベットの実験」
|> 松|> ・我々にとって、意識的な今とは半秒過去のことだっ
|> 松|>
た。つまり、我々の意識にはモニタ機能しかなく自由
|> 松|> 意志は幻である。
|> 私見を申し上げます。
|> 細胞ごとに意思があり
|> その行動の結果をあとになって
|> 「ヒト」が知ることになる一例では
|>
ないかと思っております。
∇最近あまり時間が取れなかったので、レスが遅れ
てしまいました。
人間は多細胞生物ですが、この細胞ごとに意思が
あり、それぞれがの細胞の意思が統合されて自己を
創るとなると自己とは何かということも考える必要
があると思います。(自己意識が「自己意識コラム」
という脳単位によって担われているという仮説など)
また、分離脳や多重人格との関係も考える必要があ
ります。
|> 全ての行動がこれらの特別な
|> 例と同じであるとは思っては
|> いません。いかがでしょう?>松本様
∇このような実験はあまり多く行なわれたわけでは
ないので、全ての人、また全ての行動について確認
されたわけでもありません。
そのため、このLibetの実験結果だけでなく、他の
色々な実験もあわせて確認していけばよいと思い
ます。どちらにせよ最終的な結論を出すには”意識”
の発生原理の解明が不可欠であると思います。
下記はLibetらの実験についての説明の一部抜粋です。
1.Libetは、訓練を積んだ被験者が動こうと意図
している時間について研究した。意識的な意志は、
運動の開始に、すなわち筋電図の開始に約200ミリ秒
先行する。対照的に、皮質の陰性電位、すなわち
準備電位、は意図された動きに1,000ミリ秒ほど先行
することが加算平均法を用いたKornhuber,Deeckeと
Libetの研究によって認められている。
2.我々の身体には自分の自由意志や意図で制御でき
ない運動が数多くある。例えば、膝頭を打つと下脚が
前に伸びる膝蓋反射などはその例である。しかし、そ
れは例外であり、意識的な随意運動はまずそれを意図
することがなければ遂行できないと我々は信じている。
随意運度を遂行しようと意図すると実際の運動に先立
って脳波に変化がみられることは以前から知られてい
たが、Libetらは、意識的意図に”先行して”すでに
脳は無意識のうちに運動のための計算をはじめている
らしいことを実験的に確認し意識の研究者たちの間に
論争を引き起こした。
3.この実験とは関わりのない理由で脳手術を受けな
ければならなくなった者で、体性感覚皮質の1点に電極
を設置することを了承した者を被験者に用いた。脳自
体はわずか100分の1秒で刺激からの信号を受け取り、
このような信号に対する予定された「反射」応答を脳
はほぼ10分の1秒で実現するという事実があるにもか
かわらず、リベットの実験によると、これらの患者の
皮膚に刺激を与えたとき、彼らが刺激に意識的に気づ
くまでほぼ半秒かかるのである。その上、刺激が意識
に上るのに半秒の遅れがあるにもかかわらず、患者自
身の主観的印象では、刺激に気づくのに何の遅れも起
きていないのである。
・皮膚への刺激はほぼ刺激の実際の時間に知覚される
ように「見える」
・半秒に満たない皮質刺激は知覚されない。半秒を
越える刺激は、半秒後から知覚される。
・皮質刺激の時点では、皮膚刺激の気づきは現実には
まだなされていない。
・皮質刺激のすぐ後に皮膚刺激を加えたとすると、
皮膚への刺激の方が「先」だと意識され、皮質の刺激
は後になって気づかれる。
4.[グレイ・ウォルターの予知カルーセル]
・グレイ・ウォルターは運動皮質に電極を埋め込んだ
患者で実験を行なった。
・患者に、カルーセル・プロジェクター[回転式スラ
イド映写機]で写されるスライドを見てもらった。
・患者はコントローラのボタンを押しながら自由に
カルーセルを進めることができた。
・患者には知らせていなかったが、コントローラの
ボタンはダミーで、スライド・プロジェクターには
全然接続されていなかった。
・実際にスライドを進めていたのは、患者の運動皮質
に埋め込んでおいた電極からの、増幅信号だった。
・実験の結果、みんなびっくりしてしまった。まるで
スライド・プロジェクターが自分の決定を先取りして
でもいるかのように思われたからである。
・ボタンを押そうかなと思ったとたんに、しかし実際
にはまだそう決意していないうちに、もうプロジェク
ターはスライドを先に進めているのだ。
参照文献
1.「自己はどのようにして脳をコントロールするか,
John
C.Eccles,1998年,原書1994年」
2.「脳と意識,苧阪直行編,1997年」
3.「皇帝の新しい心,ロジャー・ペンローズ,
1994年,原書1989年」
4.「解明される意識,ダニエル・C・デネット,
1998年,原書1991年」
∇下記は参照文献2.が、立花隆氏の臨死体験
(文芸春秋1991〜94)から引用した記事ですが、
ラマチャンドランの「脳のなかの幽霊」にある
”テーブルが学生の大脳辺緑系と結びついて、
身体イメージに取り込まれる実験”
と同様に自己意識に関する実験です。
このリリーの考案については、詳細が不明ですが。
[感覚遮断と自我]
・自己意識とは自分を意識することである。自己意識
あるいは自我は身体のどこにあるかなどというのは
奇妙な質問かも知れない。ファインマンや、評論家の
立花隆氏はリリーの考案した、硫酸マグネシウム入り
の感覚遮断水槽にはだかで浮かび、視覚、聴覚、体性
感覚が遮断されると自己意識がどうなるか体験した。
彼らによれば、自我はもともとからだの中心にあり、
水槽に浮かんでいるとこれが正中線からずれ、やがて
体外に抜け出すという。自己意識が感覚入力なかでも
体性感覚に依存しており、これによりなんらかの身体
座標が構築されているということなのか、あるいは被
験者が単にある種の幻覚を体験したのかは不明である。