投稿者 松本 日時 2001 年 10 月 27 日 22:58:24:
回答先: 科学の理論 投稿者 松本 日時 2001 年 10 月 20 日 10:12:26:
「現代進化学入門,C.パターソン,2001年,原書
1999年」”14証明と反証,科学と政治”より
・自然淘汰に基づく進化の理論は証明されるものだ
ろうか。これまで読んでこられた読者のなかには、
この問いへの答えが「ノー」であり、科学の世界で
いう確かさも他の思考方法における確かさと五十歩
百歩だと聞かされれば、困惑してしまう人もいる
だろう。実は、こうした考えは、偉大な科学哲学者
カール・ポパーが提示したものである。ポパーの
主張によれば、証明あるいは確かさは数学と論理学
だけに存在する。数学や論理学では証明すべき結論
が前提のなかにすでに隠されているのだから、その
意味において、証明や確かさは自明のことだという。
彼はまた、科学を非科学、形而上学、神話から区別
するものは証明ではなく、反証の可能性の有無だと
いう。科学理論の唯一の特徴は、その結論を観察
あるいは実験で反証することができる点であり、科
学者は自らの理論が反証あるいは反駁されたときに、
その理論を捨てさることのできる人間である。これ
に対して、擬似科学ないしは形而上学的理論は、こ
のような形での検証あるいは反証に自らをあばいて
みせることはしない。
・科学において、この意味での古典的事例はニュー
トンの重力理論である。この理論は200年以上も
前に物理学の基礎となり、評価の定まった知識、
科学的確実性の典型とみなされてきた。ところが、
20世紀に入ってニュートン理論はアインシュタイン
理論にその座をゆずった。この交代は、両者を検証
してどちらかを否とする観察の結果行なわれたもの
である。当然ながら、ニュートン理論がまったくの
誤りと結論されたのではない。それがアインシュタ
イン理論ほど普遍的ではなく、真実との隔たりが
それより多少大きいことがわかっただけである。
・またアインシュタインが真理だと示されたもので
もない。これも、もっと真理に近く、より包括的で
一般性のある理論が現れれば、いつかその座を明け
わたすことになるのかもしれない。私たちは、理論
の交代劇の打ち止めがいったいいつになるのか、
けっして知ることはできない。それを知ることは、
真実に到達したことを意味する。しかし、もし真実
をとらえたとしても、それが本当に真実なのかどう
かを見分ける基準を私たちはもっていない。(安直
な信念や世論が、しばしばこの基準とまちがえられる)
・心理分析と占星術は、ポパーがよく例に引く擬似
科学的ないしは形而上学的理論である。たとえば、
フロイト流心理学では、神経症を始めとする精神
障害は幼児期の体験に原因があるとみる。
・ところが、この説を論駁しうる証拠は提出できない。
さらに、患者の行為や過去の記憶は、それがどんな
ものであれ、診断を確証するもののように見える。
ポパーによれば、科学者と擬似科学者の違いは次の
ようなものである。科学者は、自らの理論に対して
もっとも過酷なテストを求め、テストでその理論が
否定されたとしてもそれを受け入れる人間だが、
擬似科学者は自らの考えに証拠を追い求め、その理論
が脅かされるなると、補助的、防衛的な理論を新た
にもちだして、反論から身を守るのである。