投稿者 松本 日時 2001 年 11 月 04 日 13:20:18:
回答先: Re: ス:因果と自由意志その2 投稿者 スターダスト 日時 2001 年 11 月 03 日 23:56:15:
|> むろん、私は、
|> 自由意志の存在を肯定する者です。
|> アインシュタインのように存在の否定はしません。
∇「自由意志の存在」と「非決定論論的世界観」とは
よく整合しているように思われます。
またパウリの手紙から判断すると晩年のアインシュ
タインの考えは「決定論」から「非決定論」に近づい
たようです。つまり「自由意志の存在」を認める
方向へと。
下記はパウリの手紙です。
・1954年3月31日付けのウォルフガング・パウリ
からマックス・ボルン宛の手紙で、パウリは、
プリンストンでのアインシュタインとの会話
についてこう記している。
「とくに、アインシュタインは、しばしば思われて
いたほど(かつては、わたくしに対して何度も強調
したことがあったのに)、いまでは「決定論」の考
え方を根本的であるとは考えていない・・・同様に
して、自分が理論を認めるための基準として、
「それは厳密に決定論的か」という問いを使ってい
るということに異を唱えている。アインシュタイン
の出発点は、「決定論的」というよりも、むしろ
「実在論的」である。それは、彼の哲学的先入見
が一風変わったものであることを意味している。」
[アインシュタインは、あきらかに、実在論を放棄
したいとは思っていなかった。とはいえ、わたくし
にしてもそうだが、彼はいつの日か実在論に反対
するかなり強力な議論が提示されたなら、実在論
を放棄せざるを得なくなるかもしれないことを
認める用意はあったと思う。]
下記は、ポパーの本の続きです。
[なぜ形而上学的決定論を拒否するのか−パルメニデス
との対話]より
・特殊相対性理論について先に展開した議論を考えて
みると、アインシュタインのような人がどうして確信
的な決定論者でありえたのかと疑問に思われるかも知
れない。
その答えはこうである。
アインシュタインは、思想を形成していた頃には
「科学的」決定論を信じていたかもしれないが、後年
での彼の決定論は、率直に言って宗教的、形而上学的
な種類の決定論だったのである。
・アインシュタインは、実験から理論を導き出せるよ
うな妥当な論証などないことは明瞭に見て取っていた。
そしてまた、疑いもなく、科学から形而上学を導き出
すことを許す妥当な論証がないことも明瞭に見て取っ
ていた。
ところが、アインシュタインは、そうした考えとは
まるっきり正反対の方向に議論を展開した。
彼は、なるほど、自己の物理学理論もつ見かけ上決定
的な性格の上に彼自身の形而上学的決定論を基礎づけ
ようとはしなかった。
だが、物理的実在そのものは決定論的であると信じて
いたので、自分の物理学理論が決定論的な性格をもつ
べきことを要求したのである。
(同じように、彼は、この世界と物理的実在は単純で
あると信じていたので、物理学理論が単純であるべき
ことも要求した)
・アインシュタインは、「科学的」決定論に対する
わたくしの反論に興味を示してくれた。
そしてまた、この反論は、それまでに彼が考えもしな
かった観点から問題にアプローチしているとも感じた
ようだ。
けれども、アインシュタインは、「科学的」決定論に
対するわたくしの反論がたとえ妥当であったとしても、
形而上学的決定論や見かけ上決定論的な理論に対する
自分の好みは揺さぶられはしないと考えていたようで
ある。
それもあって、わたくしは、彼の形而上学的決定論を
より直接的に攻撃しようと試みた。
・このテーマにかんする論文を読んだ翌日、わたくし
は、アインシュタインと私的に会話を交わした。
まず、彼自身の形而上学的決定論を描き出してみた
ところ、彼はその説明に同意してくれた。
そして、わたくしは、アインシュタインを「パルメニ
デス」と呼んだ。
というのも、彼は、この宇宙はパルメニデスの三次元
閉塞宇宙のように、変化のない四次元閉塞宇宙である
と信じていたからである。
(第四の次元は、もちろん時間である)
アインシュタインは、彼自身の世界観についてのこの
説明と、映画のアナロジーとに完全に同意してくれた。
そのアナロジーとは、こうであった。
神の目から見れば、映画はまさにそこにあったので
あり、そして、未来も過去とまったく同じようにそこ
にあったのである。
いいかえると、この世界ではそもそも何も生じなかっ
たのであり、変化は、未来と過去の違いと同じように、
人間の幻想であった。
・わたくしは、この世界観を二つの議論で攻撃した。
・第一の議論は、この世界についてのわれわれの
経験にはこの種のパルメニデス的な形而上学を保証
するものはなにもないという議論であった。
アインシュタインはこれを認めたが、つぎの点を思い
出してもらうまでは、強い印象を受けたようには見え
なかった。
それは、彼が、量子論のある解釈を救おうとする試
みに反論するために、つい最近になって似たような
議論−われわれの経験のうちには、遠隔作用の導入を
保証するものは何もなかったという議論−を用いて
いたという点である。
・第二の議論は、より形而上学的な性質のもので
あった。
それは、この宇宙は映画のように、しかも映画に似て
四次元にわたってあらかじめ決定されていると仮定
すると、受け容れがたい結論がいくつも出てきてしま
うという議論である。
そのうちの三つを述べておこう。
・第一に、未来が過去によって因果的に含意されてい
ることになるから、ちょうど雛が卵に含まれるように、
未来は過去のうちに含まれていると見ることができて
しまう。
アインシュタインの決定論では、未来はあらゆる細部
にいたるまで完全に過去に含まれていることになって
しまう。
とすると、未来は余剰になる。
それは余計だったのである。
すべてのコマが第一のコマによって厳密に理論的に
含意されているような映画を見ることは、ほとんど
意味がない。
しかも、この巨大な余剰は、形而上学的な意味におい
て、アインシュタインの単純性についての考えと折り
合いをつけることが難しいものであった。
・もうひとつの帰結は、われわれ人間自身が変化を
経験し、時間の流れを経験する仕方を解釈し直さな
ければならないということであった。
この点を説明するには、ふたたび映画のアナロジー
を使わなければならないだろう。
われわれは、この世界の継続的なひとコマひとコマ、
つまりわれわれを取り巻く世界の「時間薄片」と、
その継続的な順序を経験する。
しかしこれは、時間の矢は主観的であり、われわれの
経験する時間は幻想であると言うに等しい−この見方
は、観念論的な主観主義的哲学の核心的な部分を形成
するとともに、それ以上に観念論的で主観主義的な
帰結とも結びついている。
ところが、アインシュタインのもっとも深い信念の
ひとつとは、実在論だったのである。
・最後の帰結は、さきに指摘しておいたように、まっ
たくの矛盾であるように見えた。
変化しない世界のコマの継続が経験されているなら、
少なくともひとつのことがこの世界で変化している。
それは意識の経験である。
映画のフィルムは、すでに存在していてあらかじめ
決定されているにしても、時間的変化があるという
経験や幻想が生み出されるためには、映写機を通して
(つまり、経験するわれわれ自身に総体的に)流れて
いき、動いていかなければならない。
これと同じように、われわれは四次元閉塞宇宙に相対
的に動いていかなければならない。
なぜなら、未来が過去に変わることは、われわれにと
っての変化だからである。
そして、われわれはこの世界の一部なのだから、世界
には変化があることになるだろう−これはパルメニ
デスの見解と矛盾する。
・こうした批判に答えることは、不可能ではないかも
しれない。
その点は、わたくしも認めたが、有効な答えを見出す
のは容易なことではないだろう。
われわれ自身の意識が時間いっぱいに広がっていて、
時間の中で共存していると考えたとしても、なんの助
けにもならないだろう。
こう考えても、なぜ時間はそのように広がっては経験
されず、「時間薄片」の継続として経験されるのかを
説明しなければならないからである。
変化は現実であって、それをうまく説明しようと思え
ば、この世界について観念論的な見方を採らざるを得
なくなる−パルメニデスのように、変化しない実在と
変化する幻想的な現象世界を区別せざるを得なくなる。
そして、たとえそのように説明したとしても、幻想と
いう客観的な事実−現実−を説明しなければならない
し、また、たとえそうした事実が幻想的であると認め
たとしても、それが除去できないことも説明しなけれ
ばならないだろう。
(大部分の視覚的な錯覚の場合には、錯覚に陥って
いることを知っていても、錯覚を追い払えない。錯覚
は事実であり、じっさいには多くの場合に生理学的に
説明できる事実である)
・以上のような困難を考えて、わたくしはつぎのよう
に指摘した。
これまでのところもっとも単純な解決法は、過去と
未来の非対称性を認めないような形而上学的などんな
見解も拒否し、未来が過去によって含意されている
とか、なんらかの意味で過去に含まれているといった
ことを認めない見解を受け容れることである。
いいかえると、非決定論的世界観を受け容れることで
ある。
非決定論の形而上学は経験により近いように思われた
し−「科学的」決定論の擁護論が妥当でないことが、
あきらかになりさえすれば−新しい困難など、なにも
生じてこないように思われたのである。
・以上がわたくしの議論であった。
パルメニデスは、いつものように、こうした議論を
辛抱強く検討した。
彼は、これらの議論に感銘をうけたが、答えはない
と言った。
わたくしは、さらに問題を追及することはしなか
った。