投稿者 スターダスト 日時 2005 年 10 月 27 日 00:15:24:
回答先: 皆さんの話を読んで 投稿者 天帝 日時 2005 年 10 月 26 日 18:24:49:
サトラレという単語は、コミックスで誕生したものです。
あのマンガは非常に面白く、私も精読しています。人間の内面を厳しくエグリますが、かならず最後には希望が持てる内容になっていますから、物語として快く読めるもののヒトツです。
ですが、サトラレの物語はあくまでストーリーであり仮想であり非現実です。
話は一転します。大変に困ったことに、自分の精神と他者の精神との間との境目を上手に認識できなくなる病気があり、大体において120人に1名ぐらいの確率で罹患します。
この病は太古の昔からあります。別に特別な機械があるわけではありません。人間と言う種がかかえている欠陥が運悪く発動してしまうのです。
この病の最大の特徴は自分が病にかかっていることを本人が認識できないことなのです。病識が無い、とも言います。
1:自分の考えていることが他者に伝わっている
2:他者の考えていることが自分に伝わってくる
3:その伝わり方は通常のコミュニケーションによらない
たとえば、新聞の広告欄に暗号が書いてあり、明日自分はどうしても昼食にうどんを食べなくてはならないと指示されているとか、あるいは、テレビを見ていたら好きな芸能人が出ていたけど思いが通じたので、番組の中で返事をして自分を結婚相手であると示唆しているとか、天気予報で明日晴れだと言っているがアレは私を邪魔しているのだとか、色々です。
【真のテレパシーとはそのようなものではありません】
そもそもテレパシーという単語が世に広まるにつれ、
口で発する言葉を耳で聞く、これの代用品ぐらいの位置づけになっているようです。スリラーや心霊やSFなどで、こういった所謂超能力的なテーマは、わかりやすし主人公などの超人的な活躍に自分を重ねることが出来る面白みからか、大衆に支持されます。しかし、これらはテレパシーのごくごく一片に過ぎませんし、テレパシーの基本の大道からはずれています。
真のテレパシーとは一切の恐怖一切の不安、一切の思い込みのない、客観的な生命間の慈愛の交歓なのです。自分と相手とが同一であることを意味します。
自分と相手とが対立的な関係にあって、それでもなお、互いの精神とのあいだの区別がつかなくなる現象とは全然異なります。これは病いです。
自分と相手とが一体であることが真のテレパシーです。これは全ての生命同士との間の宇宙的な慈愛あふるる交歓です。既に一体なのです。
対立があるところなのにその境目が無い様に思い込むことは求めるところではありませんし、不自然な状態です。対立の根本をなくすべき状況なのです。
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