投稿者 星はなんでも知っている 日時 2002 年 3 月 24 日 22:56:07:
知つてるつもり最終回スペシャル
イエスキリストを観終わりました。
釈迦にしても、イエスキリストにしても
彼らが生きた時代背景や、その時代の
権力者、そして民衆の混乱した心の有り様
を写しだしている様に感じます。
人々は、混乱の内で奇跡を求め、多くの
奇跡を示したイエスに対して、さらなる
奇跡を要求し、そして最後に彼が奇跡を
起こさなかつた事に対して、あざ笑い、罵倒
しました。
それでもなをイエスは、父よお許し下さい、彼らは
自分が何をしているのか分からないでいるのです
・・・・・と言いつつ十字架に掛ました。
究極の慈愛と言わざるを得ません。
ここから私達は何を学ぶべきでしょうか!?
飽くなき欲求から自己(心)を解き放つ事の重要
性について投げかけられている様に思えます。
UFOに対して、来てください、見せて下さいと
テレパシーを送り続ける事も、むなしく思えて
きました。
神の国はその人の内にある・・・・・
そして、宇宙の意識と共に。