投稿者 風 日時 2002 年 6 月 22 日 20:36:17:
回答先: 個人の分析と想念のコントロール 投稿者 スターダスト 日時 2002 年 6 月 21 日 20:39:21:
*有難う御座います。
日々の生活に追われ、ややもしますと忘れがちになって
しまいます。
やはり、ア氏は偉人であった事を、再確認させられました。
時折、心をニュートラルにしてくれるこのホームページが
わたしは好きです。
|> 個人の分析と想念のコントロール
|> ジョージ・アダムスキー
|> 求道的な人ならほとんどだれでも、人間の向上という点で自分が直面す
|> る問題をときとして考え、ときどき小さな光明を見出しますが、自分と
|> 自然との関係や人類との関係の完全な概念をつかむことはなかなかでき
|> ません。
|> 人間の心はそわそわして急速に結論に達しようとするものですから、現
|> 象の奥にある真のバックを見ることができないのです。心がみずから平
|> 安を体験するほどに平静な状態になりませんので、”宇宙の意識”との
|> 完全な一体化を得ることが不可能です。
|>
|> あなたがとらねばならぬ最も重要な段階は、セルフコントロール(自
|> 制)の練習です。”心の動き”においては特にそうです。想念はきわめ
|> て急速に心の中を通過しますので、それがコントロールされない場合は
|> 暴走する列車にたとえて良いでしょう。しかし想念のスピードは列車の
|> スピードどころではありません。これがコントロールされないと自身や
|> 他人に大変な危害を与えることになりがちです。機関士は自分の機関車
|> を走らせる機械類を完全にコントロールする必要があります。さもない
|> と多数の人名が危険にさらされることになりますので、機関士の責任は
|> 重大です。もし彼が一般人と同様にそわそわした短気な状態で行動する
|> ならば、列車をコントロールすることの重要さに気がつかないでしょ
|> う。
|>
|> 人間が自己の想念をコントロールしないとき、自分の気ぜわしい心が他
|> 人にたいして起こすかもしれない危険に気付きません。
|>
|> 人間が起こす何かの想念は、空間に放射されます。それを制することは
|> できません。なぜならそれは絶えず進行し、どこかで具体的な働きを起
|> こすに違いないからです。想念は他の波動に接触する際それに影響を及
|> ぼしますし、また想念は肉体内に宿っています。それが良き想念ならば
|> 肉体内ばかりでなく空間においても多くの有益な働きをし、それが接触
|> する物体すべての内部に調和ある振動を起こします。もしその想念が快
|> いものでなければ、同じ働きが起こるけれども、それは空間で有害な働
|> きをし、そこで類似の性質の事件を自身のほうへ引き寄せ、肉体内に不
|> 調和な状態を起こし、平穏な細胞すべてを混乱させます。かかる状態で
|> 続く想念は結局は肉体全体をアンバランスにし、その内部に苦痛をひき
|> 起こします。
|>
|> バランスのとれた肉体とは自然のままの安らかな調和した状態にある肉
|> 体です。この場合細胞のすべては各自の仕事を正常に実行します。この
|> 状態にあると肉体は身軽になり、宇宙の意識と一体化します。
|>
|> 心身ともに健全になろうとする人は自分の想念をコントロールすること
|> を学ばねばなりません。また、想念は強力であって、本人の選び方次第
|> で建設的な方向にも破壊的な方向にも向けることができる事実を知る必
|> 要があります。ときとして習慣を打ち破るのはきわめて困難で、これま
|> で暴走させていた利己的な想念は、直接に放射される破壊的な想念より
|> もコントロールすることが困難です。
|>
|> 自由意志を持つ人間が、自分に最も苦痛を与えるそのような方向にの
|> み、その自由意志を応用していることは、奇妙です。ときとして、これ
|> は他人から同情を得るために故意になされることがあります。また、と
|> きには他人の注意を引くためにやります。自分がグループのなかできわ
|> だった人間であると考えて、それが自己のエゴを満足させるからです。
|> かかる人はそのようなやり方で他人が注目してくれるものではないとい
|> うことを考慮にいれていません。なぜなら”意識”はえこひいきしない
|> ので、だれでも右の人から受ける影響によってその人の内心を知ること
|> ができるからです。これはもちろん本人の個人的なエゴの拡大を阻止し
|> ます。人間が自分こそ最も重要な存在だと確信するために、自分で行う
|> 行為を通じて、いかに膨大なエネルギーが浪費されることでしょう。虚
|> 栄と利己主義という面で自己の存在の強さと力を行使することは本来、
|> 人間に許されていることではありません。人間は自己の、より大いな
|> る”真の自我”にたいする謙虚な召使たるべく創られています。ゆえに
|> 人間はこの事実に気がついて、頑固な優越感ならびに尊大さを捨てない
|> 限り、万物の創造者である”宇宙の意識”との正しい関係を確立するこ
|> とはできません。
|>
|> かかる自我の虚偽性を排除するのは容易なことではありません。”虚偽
|> 性”は長いあいだ、人類の承認を得てきましたので、人間の支配者にな
|> っています。しかしあなたが生命界における自己の地位を見出そうとす
|> るならば、自分の利己性を高次な活動の分野に変形させねばなりませ
|> ん。
|> これは少数者でなく多数者のために有利になるような奉仕の方法を見つ
|> けることによって最も容易に成就されます。あなたが他人にたいして奉
|> 仕を行えば行うほど自分を個人として考えなくなります。人間が自分自
|> 身を、何かの義務を果たすために創造された、一経路とのみ、みなすこ
|> とを知り、その義務を果たすことが必要なのだと考え、その奉仕の好機
|> を与えられたことを喜ぶならば、そのとき本人は”父”の仕事について
|> いることになります。その仕事とは何かということになりますが、或る
|> 人は大衆にむかって奉仕することに適しているでしょうし、或る人はど
|> こかひっそりとした場所ですばらしい仕事を見つけるかもしれません。
|> そこでは個人的に決して知られることはないかもしれませんが、みずか
|> ら姿をあらわしてくる仕事類にたいして非個人的に働く限り、本人は立
|> 派に奉仕していることになります。
|> 生命の目的は個人的に物事に上達することではなく、宇宙的な意味であ
|> らゆる行為を統合することにあります。この広大な世界で個人的な思考
|> を保つのを助ける想念ならば何でも持続されねばなりません。もし人間
|> がちょっとのあいだ宇宙的な想念を持って、のちに自我へその想念をも
|> どすならば、建設的な奉仕に変えられるはずの多くのエネルギーを無駄
|> に拡散することになります。
|> 各人は、人間としての想念を高めるために自分自身の方法を発見しなけ
|> ればなりません。自分自身を研究し、自分の心が働く様子を研究しなけ
|> ればなりません。自分の行為と反応を観察し、いかなる想念が自分の肉
|> 体に最も平安な調和ある状態を生じるかを調べる必要があります。全く
|> 同じ人間は二人といないからです。教師は研究者すべてに普遍的な法則
|> を与えるでしょう。各人はその法則をそれぞれ異なる方法で応用するこ
|> とです。
|> 各人は生涯において遂行するべき運命をになっています。或る人にとっ
|> ては、それは、恐怖を克服することであるかもしれませんし、或る人に
|> とっては、嫉妬心を絶滅させることであるかもしれません。或る人は困
|> 難な仕事を行うことによって報いを得るでしょうし、或る人は深い信念
|> によってそれを得るでしょう。高位の人は謙虚さを学ばねばなりません
|> し、生来謙虚な人はその柔和な性質を積極的な活動を結びつける方法を
|> 見出さなければなりません。各人によって方法は少しずつ異なるので
|> す。
|> 人間はまず、自分自身を発見し、次に、一個人としての自分の義務を、
|> 万物と自分の関係を、万物を通じて現われている意識や英知との一体性
|> を、発見しなければなりません。誠実、正直、愛などによって得られる
|> 知識と知恵の量は無限です。かかる有益な奉仕の生活に自分を投げ出し
|> た場合、いかなる特権が人間に与えられるでしょうか。それはあらゆる
|> 生命との相互関係にあるという広大な概念に通じる真の航路で人生とい
|> う船をあやつるために人間がなすかもしれないいかなる努力にも相当す
|> るほど価値があります。そのとき人間はイエスが言ったように心から言
|> えるのです。
|>
|> 「私と父は一体である」と。