投稿者 ドライもん 日時 2000 年 2 月 25 日 00:39:14:
触覚についての考察
アダムスキー著「宇宙からの訪問者」より抜粋
触覚は基本的なるもの、すなわち実際には肉体の魂
全包容的な英知の一部として認められるのです。
なぜならそれは一感覚であり、・・・
中略
すなわち人間と呼ばれる肉体の真の英知は、これまで
非常に誤って用いられ、見当違いされていたものなのですが、
実は触感として知られている感覚が真の英知であり、肉体の
魂または生命なのです。
以下は僕なりの分析です。
一つ実験
まず、目をつぶって手を開いてみましょう。
次に手を閉じてみます。
手を開いているのか閉じているのかは目で見なくても分かります。
当たり前ですね、手の感覚が違うので簡単です。
次に目を開けて、手を開いた感覚と手を閉じた感覚を交互に
繰り返してみます。
すると手を開いたり閉じたりするのを見ることができます。
つまり感覚を変化させることによって手を動かしていると言えます。
これは体の他の部分でも同様にテストすることができます。
今度は全身を使って体操をしてみましょう。
きびきびと体を動かしても良いし、ゆっくりと動かしても良いし、
好きなほうで。
体の感覚に注意を集中してみると、先ほどよりも複雑に感覚を変化
させているのが分かります。
以上のテストで分かるのは、
実際に体をコントロールしているのは、触覚(触感もしくは感覚)
の変化である。
ということです。
今度は呼吸をしてみましょう。
息を吸っているのか吐いているのかは、やはり感覚の違いによって
分かります。
二つの感覚を交互に繰り返せば呼吸を続けることができます。
ここで注意すべきことは、いちいち自分でコントロールしなくても
人間は呼吸を続けるということです。
つまり、自分の意志とは無関係に自然界から感覚の変化が送られて
いるのではないか、ということが容易に想像できますね。
次に一感覚に過ぎない触覚と英知との関係について考えてみます。
自分が怒っているか平静でいるかは鏡を見なくてもわかります。
怒っている気持ちと平静でいる気持ちとを交互に繰り返して、
感覚の変化を注意深く調べてみれば分かりますね。
何が変化しているのか注意深く調べてみてください。
これで分かるのは気持ちと言うのは、実際には体の感覚の状態を
現しているということです。
今度は平和という概念と戦争という概念を交互に思い浮かべてみましょう。
どちらの概念を思い浮かべているのか、目に見えなくても耳に聞こえな
くても分かります。
どうしてでしょう。
これもやはり感覚の変化によって気づいているといえるでしょう。
いろいろと実験をしてみると、一感覚に過ぎない触覚がどのように
して英知を表現しているのかが分かってくるのではないでしょうか。
つぎに目で見てください。耳で聞いてください。
これも感覚の変化なくしてはコントロールできませんね。
つまり人間は感覚(触覚)を変化させることによってあらゆる事を
行っている
といえるのではないでしょうか。
以上のさまざまなテストで
実は触感として知られている感覚が真の英知であり、肉体の
魂または生命なのです。
という言葉が理解できるのではないでしょうか。
このことを
「気持ちは正直だ。心は嘘をつくが気持ちは嘘をつかない」
と簡単に表現した人もいます。