投稿者 /Ka++ 日時 2004 年 3 月 07 日 12:07:13:
回答先: Re: すごいんですね。 投稿者 海風の舞 日時 2004 年 3 月 06 日 19:34:30:
|> 『私は そうは思いません。
|> 私は この掲示板はそのような目的のために用意されたものではないと思うからです。
|> こちらの管理人さんは 大変に寛大な方ですので
|> 広い心で自由な書き込みを許していらっしゃるのだと思われますが
|> 『この掲示板の存在価値』の判断は 作られた管理人さんのご判断だと思います。
|> 少なくとも 私の個人的な意見・感想としては
|> このような内容の書き込みは 適切とは思いませんし
|> アダムスキー哲学についての情報を 真剣に求めている来訪者にとっては
|> 迷惑な内容と思われます。』
私は私の存在価値を他人に決めて欲しくないなあ。
そういう枠にはめられたくもない。
身の回りのたかだか数人の欲を満たすために生まれてくるわけじゃないんです。
テレパシー障害を持つ人は、その状態・障害が続くことに危機感があって書くわけで。
それは「今そういう人たちがいる」という情報だと思います。
別の見方をすれば「一方的に被害を受けて、支配されている分には楽だね」とも言えます。
それらの支配が無くなった時、人は自分で舵をとらなきゃいかんわけですから。
そっちの方が難しいよ。
また、皆さんアダムスキー哲学とひとくくりにしていますが、それってどうなんでしょう?
いつまでも「アダムスキー哲学はアダムスキーだけのもの」という感じを受けます。
ひとりひとり感じ方も考え方も違っている。
まず、それを受け入れるだけで良いと思います。これも難しいです。
地球人が進歩できるのなら、アダムスキーの伝えたことに存在価値があるのでしょうか?
破滅の一途をたどるなら価値が無いのでしょうか?
進歩すれば、自分の欲を満たすための価値判断はしなくなるでしょう。
ある作家の書いた言葉で
寸分の誤差のない人生なんてないのだ。
と書いた人がいました。
比べて、私の人生なんてプラスマイナス100%の誤差があると言いたくなります。
そこで、算数のできない神様を認めてしまえるかどうかでしょう。
以上が、アダムスキー哲学と存在価値という言葉にひっかかって思った感想です。