投稿者 土星のラ 日時 2000 年 6 月 06 日 17:13:44:
回答先: Re: 意識とは何かについて 投稿者 土星のラ 日時 2000 年 6 月 06 日 16:04:14:
意識とは原子の総和です。それが、1+1=3なのです。だから、個々の原子の意識とは大海の一滴なのです。
創造の数学1+1=3は、原子の単純和ではないのです。しかし、1+1=3は真に理解されているのでしょうか。私はそうは思いません。それは1+1=3以上に「1」が理解されていないからです。「1」とは基本的な数字であり、万物の基礎です。それこそが創造者なのです。「1」とは創造的な数字なのです。だから、「1」からすべてが出てくるのです。現実の世界において、「1」とは何であるか?科学こそがそれを明らかにしつつあります。宗教や哲学は「1」を分裂させているからです。ここで、大海の一滴の「一」と、すべてが一つの「一」とはどこが同じでどこが違うのか?そのくらい「1」というのは、わかりにくいものなのです。
私が前のホームページで述べていた1+1=3に関する理解は誤りです。何故なら、それによって「1」を壊しているからです。それは、全く新しいものが新にできると理解したからです。そうではなく、古いものが新しくなり、しかもその中に古いものが含まれているのが1+1=3の真の理解だからです。つまり、1+1=3よりも「1」の方が重要なのです。「1」にこそ、すべてが含まれているのだから。
|> |> 土星のラまたは土星の氷河です。
|> |> 「宇宙と自然科学」の部屋において意識について議論することは大変よくないので、できたら、こちらの部屋で意識について討論を継続できたらと願います。
|> 土星のラです。『アダムスキーを研究するためのホームページ』の「宇宙哲学批判研究」の部分をよく見て、意識についての研究を深めませんか?
|> 真実の研究とは科学的な研究でなくてはなりません。ところが地球においては哲学や宗教などの精神世界を研究するための分野において、個人的な見解が非常に多くの誤解を生んでいる。だから「精神の科学」すなわち「意識の科学」が必要なのです。アダムスキーの『生命の科学』こそはそのような科学なのです。この場合の「生命」とは動植物が生きているような”能動的な生き方”のレベルの「生命」ではありません。むしろ木や石のような”受動的な生き方”にこそ、このような「生命」があります。そうして、このような「生命」とは、物質すなわち原子のレベルに至らない限りわからない「生命」です。原子の「生命」とは、量子力学が明らかにする可能性があります。死骸にもこのような「生命」はあるのです。死骸は受動的な存在であり、受動的な生き方にこそほんとうの生命があります。