投稿者 希望 日時 1998 年 7 月 15 日 21:41:03:
回答先: Re: 自由意志について 投稿者 Junichi 日時 1998 年 7 月 15 日 20:47:25:
> > でも、父の家はどこにあるのでしょう。
> > 今、この時、この場所が、
> > 既に父の家である
> > と、土星のマスターなら
> > おっしゃって下さるのでしょう。
>イエスが常に教えていた事柄である、神の前に常に必要な
> ものは満たされるという信念が必要だったわけです。アンデレはそれを忘れて、常識
> 的な思考に陥るという過失を犯したのでした。
> Junichi
> > 既に父の家にいるのだから
> > 放蕩息子のたとえのように
> > 息子は父の、息子への無償の愛に
> > 気づかなければなりません。
これも信念のひとつの形だと思います。
信念に欠けたところには真の希望は
ありますまい。
私は、父の愛情を十分に感じ取っては
いないのです。
聖書の記述では良くわかりませんが、
放蕩息子が、家に戻るのは、
父の愛情が欲しかったからに違いありません。
たとえ遠く離れていようとも
父は、我が子に愛情をそそいでいますのに。
−−−希望−−−
> 私たちは、父のもとに居ながら無知なために、似たような状態になっていると想像
> できます。
> この状態から父のもとに帰って恩恵を受けるには、この例では、海水から真水を
> 製造する方法を知るのと同じことだと思います。これが「宇宙の意識との一体化」に
> 例えられるように考えます。
宇宙思念あるのみですねえ。
−−−希望−−−