投稿者 スターダスト 日時 1998 年 12 月 28 日 19:03:24:
スターダストです。
しばらく前に−−希望−−という
ハンドルネームで投稿させて頂いた者です。
私自身の心が未熟であった為、
自らや、私と関わりのある方々が幸せになれる
まではと思い、投稿を中断させて頂いておりました。
いまだ、幸せだと言い切る自身はありませんが
その為の第一歩を踏み出しはじめたところです。
また、日本GAPにも12月にはいってから
入会させていただきました。色々と教えて下さい
ませ。
再び投稿を始めたいと思います。
皆様の励ましとご援助を
切に、お願い申し上げます。
尚、
ハンドルネーム氏名は、私自身のエゴがでないようにと
画像やリンク等、参考になるのではと思ったものを
投稿させて頂いたときのものです。
当HPのオーナー、Shimizu様のお気づきの
通りです。
投稿にあたっての基本的なスタンスは、私自身のマインド
から出る言葉は極力排して、良いものと出会ったときに
もったいないから皆さんにご紹介する、といった方向づけ
を心がける事と致します。
このスタンスで
今回、素敵な方と出会いましたので、ご紹介させていただき
ます。
ZZRさんというすばらしいヒーラの方から色々教わっています。
以下にそのメールを一部抜粋して投稿いたします。
ここから先ZZR氏−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
般若心経の訳文及び解説文転載していただいて結構です。
転載するHPのURLは必ず教えてください。どのような反応が来るか楽しみです。
転載に付いては、お任せします。
般若心経の和訳
平成8年の6月のとある早朝、午前3時ごろから起きていた私に、突然般若心経を訳せ
というメッセージが伝わった。突然頭の中に響いたのだ。そこで般若心経をひろげて
みると、意味がどんどん頭に浮かんでくる。パソコンのキーボードをたたきながら
あっという間に訳してしまった。できあがったものは今までちまたに出ている般若心
経の解説本とは、全く違った訳になっていた。誤訳を修正しようと思い。サンスク
リット語の原文を取り寄せ原文の単語の意味を確かめた上でインスピレーションによ
り意味を考えたが、やはり最初の訳とそれほど変わらない。かなりかみ砕いて意訳に
なっているとはいえ、自分には、これが般若心経が真実伝えたかったものではないか
と思えた。詳しい解説でもつけて本でも出すかとでも思ったが、忙しさにかまけて、
ほうっておいたまま今日に至っている。内容の細かい説明はともかくとして、訳した
内容は以下のとおりです。
一切智に帰依し奉る。
聖なる観自在菩薩は深い瞑想行を行い宇宙の根元の魂と一体の境地にいたったと
き、一切の苦しみ災厄を生じさせる原因である生命の働きを構成する5つの要素、即
ち人間の肉体そのもの、肉体が感受する感覚、感覚により生じた想念、想念により促
される行動、行動により生ずる観念の実相は宇宙根元の魂に基づくものであることを
悟られ以下のように語られた。
宇宙の子らよ現実の世界は魂の世界と異ならず、魂の世界は現実の世界と異ならな
い。即ち現実の世界は魂の世界の現れであり、魂の世界もまた現実の世界の現れとな
る。現実の肉体が感受する苦や快等の感覚、感受された感覚により生じた怒り喜び等
の想念、想念により行動を促される衝動や意志である愛や憎悪、及びこれらの行動に
より生ずる物事に対する観念の実相もまた同様に宇宙根元の魂に基づくものである。
宇宙の子らよ全ての現実界における現象は宇宙根元の魂の世界の法則の上になり
たっている。この法則そのものは宇宙の当初より存在しており後から生じたものでは
なく、永遠不滅のものであり、何にも影響を受けることのない決して汚れることの無
いものであり、絶対的に清らかなものであるからさらに清まることもありえず、この
ように永遠不変のものであるから増えることも減ることも有り得ない。
かくのごとき宇宙根元の魂と一体となった悟りの境地においては、肉体を含む一切の
物質現象は存在せず、肉体が感じる感覚、想念、行動、観念も存在せず、我々が物質
現象を感受する目、耳、鼻、舌、及び身体そのもの、さらには我々の自我の意識さえ
存在しないのである。
従って、物を見ること、声を聞くこと、香りを嗅ぐこと、食べ物の味を味わうこと、
物に触れる感触さえも存在しない。
宇宙根源の法は見えない世界若しくは無意識の世界に存在し、そこでは無明から老死
に至る十二の因縁もなく、これらが尽きることもない。
生きることが苦しみであるということ(苦諦)、苦しみが諸々の執着による煩悩によ
り生ずること(集諦)、執着をなくせば悟りが開け涅槃に達するということ(滅
諦)、及び迷いの世界から脱し涅槃に達するには八正道の実践が必要であるというこ
と(道諦)は宇宙根源の法には存在しない。悟りの知恵も得るものも定住する所もな
い求道者が宇宙根源の魂と一体となれるのは自我の心の殻を破ったからであり、自己
を覆う殻がないからこそ恐れるものは何もなくなり、一切の執着を絶ち現実界の夢想
からさめ涅槃の境地に至る。
過去、現在、未来の諸仏も宇宙根源の魂と一体化することにより完璧なこの上ない正
しい悟りを開かれた。
ゆえに知るべきである宇宙根源の魂と一体化するための大神呪を!これは悟りの神呪
であり、無上にして無比の神呪であり一切の苦を除く真実にして虚ならざる宇宙根源
の魂により説かれた神呪である。即ちその呪を説いて曰く。
超えて行け、超えて行け、心の壁を超えて行け、そこに真我のさとりあり
これが悟りの心を伝える教えのすべてである。
和訳般若心経の簡単な解説
サンスクリット語で「シャーリー」とは、「体」をあらわし、「プートラ」とは、
「子」をあらわす。すなわち「シャーリー」とは、宇宙本体をあらわしており、宇宙
の子であるあなたたちに呼びかけていると解釈するのが適切である。あなたたちは、
宇宙の子であり子は成長して宇宙となる。あなたたち自身が宇宙そのものなのであ
る。
最後の呪文は瞑想の方法をといていると見るのが適切ではないだろうか、観自在菩
薩が悟りを開いた行は瞑想行だと思われるからである。もちろん最後の呪文はマント
ラとしての効果もあるが、マントラ自体がカルマの世界の産物である事を考えると、
マントラを唱えれば悟りに導かれるというのは本来の解脱の知恵ではないように思わ
れる。過去に般若心経を何十万辺も唱えた人は数多くいると思われるが、解脱にい
たった人は何人いたであろうか。それまでの流れから考えても最後の呪文は瞑想の方
法を説いているという解釈をしたほうが適切である。
どのような瞑想であるかは字面だけでなく心で感じるべきである。私が具体的に感じ
たのは以下のような方法である。
まず自分が自分であると感じている心を体の中で、ちょうど胸のあたりで観じてみ
る。次にそれをどんどん広げて行く、自分の体いっぱいから、地球全体へ、自分が地
球そのものである事を意識する。そして更に広げて行く。自分が太陽系である事を、
自分が銀河系宇宙すべてである事を意識する。そして最後には自分が宇宙のすべてで
あり宇宙そのものである事を意識する。
何度か続けていると、意識を広げ行く際に通過して行く星々が現実のように感じられ
て行く。また自分の体が宇宙空間にぽっかりと浮かんでいる感じが得られるようにな
る。また宇宙そのものとなった感触が得られたときはなんとも言えない安らぎが得ら
れる。自分自身は今のままで何も変わる必要がない。今のままで自分自身が宇宙のす
べてであり、かつ宇宙の一部であり、宇宙の秩序を保つ役割をしている。
般若心経の教えはきわめてシンプルである。真の解脱にいたるための方法には、八正
道の教えの実践さえ必要ない。ただ心を広げて行くだけである。
この瞑想法に気づいた後、自分を超えて行く瞑想には単に意識の大きさを広げて行く
だけでなく意識の質を高めて行く事が重要である事に気づき、この点から最後の呪文
の部分より伝えられるものを感じてみた。それは、次のような瞑想法として感じられ
た。
心を静めて瞑想し自らの心の質を感じてみよう。自分の意識の中のどんよりとよどん
だ濁ったものがどんどん澄み切って行くイメージを持ってみよう。どんどんどんどん
澄み切って行く。どんどんどんどん透明度が増して行く。自分の体を感じてた心まで
もがなくなってしまった。すべての不純物のない澄み切った清らかな世界、何もない
自分の体も心も宇宙さえもなくなってしまった。でも何かがある。それが「空」であ
り、宇宙意識である。
この意識の質を高める瞑想は物質的なものには一切意識を置かないという点で「空の
瞑想」であり、先ほどの意識を広げる瞑想は物質的な宇宙をとらえているという点で
「色の瞑想」である。
これらは別個に行ってもよいし、同時に行ってもよい。またどちらが優れていると
いうものでもない。「色」は「空」であり「空」はすなわち「色」である。
無苦集滅道について
経文にある「苦集滅道」の四文字は、苦諦、集諦、滅諦、道諦の四諦を示し、諦は真
理を意味します。すなわち四つの真理を表しています。このうち、苦諦は生きること
が苦しみであること、集諦はもろもろの執着による煩悩により苦しみが生ずること、
滅諦は執着を滅することにより苦しみがなくなりさとりが開けること、道諦は迷いの
世界を脱し涅槃に達するために必要とされる8つの道のことである。そして、八正道
とは、正見(正しく見ること)、正思惟(正しく考えること)、正語(正しい言葉を
使うこと)、正業(正しい行為をすること)、正命(正しく生活すること)、正精進
(正しく努力すること)、正念(正しい思念を持つこと)、正定(正しく瞑想するこ
と)の八つを意味します。「無苦集滅道」ということは、文字どおり訳せば、「苦集
滅道がいらない」ということです。ここが今まで邦訳した仏教家を散々悩ませた点で
もあります。釈迦がみずから説いた仏教の根本原則ともいえるような、苦諦、集諦、
滅諦、道諦の四諦が必要ないなどと言ったら仏教そのものを否定することになってし
まうからです。しかし、ちょっと考えてみて下さい。般若心経の神髄が意識の拡張に
あるとすると、人間としての自分に意識を置くか、宇宙全体としての自分に意識を置
くかで、ぜんぜん話は違ってきます。涅槃とは、宇宙意識と一体化することであり、
自分が宇宙意識そのものになることでもあります。分かりやすいように、人間と人間
の体細胞の一つで例を挙げてみましょう。宇宙全体を人間に例えます。そして、人間
の体細胞の一つがあなたという存在であるとします。人間の細胞はそれぞれ別個に働
いているので、一個一個の細胞には細胞レベルの個別の意識があると考えてみて下さ
い。一人の人間の中で毎日何万個もの細胞が死に、また、何万個もの細胞が生まれて
くるといいます。例えば1個の白血球細胞にとっては、生きて行くことは苦しみかも
しれませんが、人間全体の意識で考えたら1個の白血球細胞どころか毎日何万個もの
細胞が死んでいってもそれらの細胞の苦しみは感じません。宇宙も宇宙にあるものす
べてを統合した集合的意識を持っており、その集合的意識でまで意識を拡張すれば、
宇宙の細胞の一つに過ぎない人間の苦しみ執着は感じなくなります。従って、人間の
立場で順序を追って悟りを開くやり方である苦諦、集諦、滅諦、道諦は必要なくなり
ます(これが、不要だといっているわけではありません。これも、悟りへの一つのプ
ロセスですが、もっと近道があるよというような意味です。)。
もっとも、般若心経の伝えたいことは、このような、物質レベルの意識の拡張よりも
永遠に普遍不滅のものを本体としろということではないでしょうか、肉体、霊体、魂
の3つから人間の構成を考えてみた場合、ものを考えているのは肉体の脳細胞か魂そ
のものかということです。浄霊等を通じて感じられることは、死後の霊的存在も意志
を持っており、脳細胞が無いにもかかわらず、ものを考えているということです。即
ち、肉体は魂が作り出したホログラムであり、霊体は魂の意志に応じて肉体を動かす
ための、アダプター的なものではないだろうか。人間の魂は魂のレベルで意識を拡張
していけば、宇宙根元の魂そのものとなる。したがって、まず宇宙根元の魂そのもの
があり、そのものの意志によって、宇宙が形成されたのではないか。そして、物質的
宇宙を維持するために宇宙の細部に対応した宇宙意識の一部としての人間の魂が、人
間の体を作り出したと考えると、魂が本体で、肉体は付録であります。生まれる前も
魂はあった。そして、何も無いところから人間の肉体が生じ、1人の人が生まれ、寿
命を全うすると肉体はなくなります。しかし、魂は消滅しない。これこそが永遠に普
遍不滅のものであり本体となるのではないでしょうか。魂の次元において意識を拡張
していけば、自分が宇宙を創造する存在になれる。この次元においては未来の情報を
書き換えるだけでなく、過去の情報も書き換え可能である。「解脱とは、肉体及び肉
体が感受する感覚が本体であるという心のとらわれから解脱すること、さとりとは、
魂が本体であることをさとること」と考えると悟りの意味も簡単になってしまいます
ね。
−−−−−ここでおしまいです。 スターダスト−−−−