投稿者 オーボエ 日時 1999 年 6 月 14 日 21:00:39:
回答先: Re: 心が意識を思うとき 投稿者 ikawa 日時 1999 年 6 月 14 日 20:37:09:
ちゃいさま
>それっていうのは パソコンの BIOSとOS のようなものなのか?
>自身をコントロールする 真髄の自分があるのだろうか? と。
>それは 単に 本能的なものとは言いきれない ように思うのです。
ikawaさんの言っていることも真実です。
ちゃい様の脈絡にそって考えてみましょう。
>自身をコントロールする 真髄の自分があるのだろうか?
そうです。
>それは 単に 本能的なものとは言いきれない ように思うのです。
そのとおりです。
多くの動物は、本能をたくみに使用しています。
意識の表現の低次な反映として組み込まれた機構を使用しています。
そして本能は、多くの場合、宇宙に対して従順です。
動物に関する限り、本能はハードウェア(脳など)に組み込まれていて
宇宙の計画にとって有用な役割を果たしています。
OSやBIOSは実に良く役立っています。
本能は、意識によって、パワーを与えられています。
人間は、創造主から、本能とは別のものを与えられました。
自我および真の自我です。
自我は高度なアプリケーションです。
真の自我はBIOSやOSを通り超して、
大宇宙の情報系につながるインターフェイスです。
自我と真の自我をうまく調和させたとき
人は本能以上の仕事ができます。
この情報系は、同時に、創造のパワーそのものでもあります。
供給される電気でもあり(=生命!)
供給される英知でもあり、
です。
単なる本能ではないと知ったことを
創造主は喜んでいます。