投稿者 スターダスト 日時 1999 年 11 月 21 日 20:00:16:
昨日、深い呼吸についての
TV番組を教育TVで放送していた。
くいいるようにみていた。
TVによる公開実験により
ある高校の生徒サンたちが
呼吸法により
情報処理能力があがること
また、
呼吸法を多くの学校でとりいれていて
その成果として
良好な人間関係構築に効果があること、
などが紹介されていた。
呼吸法により
脳内においてセロトニン分泌量が
増えることがわかっているとのこと。
セロトニン、この脳内物質は
他の脳内物質のように情報を伝達する
ものではなく、
「多種の情報を伝達することそのものを
コントロールする」物質であることも
学んだ。
番組の紹介はここまでにして、、、
現実問題として、
医学的知見によれば
セロトニンを受け取るはずの
脳細胞は、それ自身の受容体の
働きが壊れるとどうなるか?
これは主に、セロトニン受容体の
減少として確認されている。
(受容体は、脳細胞内にセロトニンを
とりこむ器官)
その人の攻撃性が強くなったりするか、
自己への攻撃生が強くなるか、
又は、重症の場合、鬱病にさえなるのだ。
反対に、セロトニン受容がうまく働くと
ほがらかになり、やさしくなり
全ての作業が効率的に出来るように
なる。
仮に、鬱病にかかったりするなどで、
セロトニンを受容しなくなると
血液中のセロトニンは増大する。
そもそも、あまったセロトニンは
解体されるのだが
解体されるセロトニンの量は
健康な脳細胞の受容量によって
設計されている。
したがって、脳細胞によって取り込まれない
セロトニン量が、分解されるセロトニン量より
かなり多ければ、血液中のセロトニン量は
増えるのだ。
セロトニンの濃度が高くなれば
少ない受容体でも、セロトニンをGETする
確率が高くなり、鬱病者は一時的に
健康な心の状態に戻る。
鬱病者の状態が、シーソーのように
ゆれるのは、これらの作用によることが
認められる。
極端な場合、双極性になって
躁と鬱をいったりきたりとなる。
さて、鬱病に対する薬品は
どのような仕組かを考察しておく。
イミプランなど、いろいろな薬品が
あるが
それらの全てが、
セロトニン分解能をさげること
を目標に作られている。
そうすれば血液中の
セロトニン量が増えるからだ。
ここで、不思議なことに気付く。
1.減少してしまった受容体を増やすこと
をめざした薬品はないのだろうか?
2.セロトニン増産をめざした医薬品はないのか?
実は、このような薬品はまだない。
鬱病者の多くは、セロトニン解体を妨害する
医薬品によって時間をかせいでいるうちに
「自然治癒」するのだ。
受容体が増えるかどうかが
真の治療なのである。
これは、私の独断なのだが
こうした薬品で、時間をかせぐことは
意味があると思われてならない。
セロトニンを受容することで
明るい気分になることが
「自然治癒」を促進するに
ちがいないからだ。
受容体がなぜ減少するか?
私にはわからない。
しかし、文学的表現を許してもらえるなら
「人生に疲れて、擦り切れてしまった」
のだといえる。
さて、我々は、人生に疲れて擦り切れない
方法を知っている。
それは、明るい気分を保つことだ。
それには
深い呼吸が非常に役立つのだ。
そして。明るい、建設的イメージは
身体の健康を取り戻す。
1.減少してしまった受容体を増やすこと
をめざした方法がある。
2.セロトニン増産をめざした方法がある。
ということになるのだ。
実際、深い呼吸は私をずいぶんと助けてくれている。
昨日も
朝、気分がすぐれなかったが
深い呼吸によって、明るい気持ちを取り戻し
午前中に行ったパソコンのトレーニング教室では
生徒サンたちの大喝采をあびている。
生徒の皆さんは、ニコニコ、リラックスした気分で
楽しく、マウスの操作から始まって
エクセルの初級レベルを学んで帰ったのである。
インストラクタのもつ気分が感染し
ときおりまざる、互いの冗談のかけあいは
教室に喜びをもたらした。
そこにいるみんなが、3時間の楽しい気分を
満喫したのである。
職業上、かくして、呼吸法は
かかせないものとなっている。
愛の実践のひとつの方法なので
長文ながら、
ささやかな紹介をしてみた。