つれづれ3 koniyamaバージョン


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投稿者 koniyama 日時 1999 年 12 月 20 日 19:38:27:

回答先: つれづれ2 koniyamaバージョン 投稿者 koniyama 日時 1999 年 12 月 20 日 15:27:28:


目に見えないもの
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見えないものに頼ることが信念だ。
私がこれまで学んできたことは、
この目に見えないものを信じろというレッスンだった。

小さいころから、
私は常に不安との隣り合わせだった。

そして結果はどうだったかというと。
常にまったく問題もなにもなかった。
全てが自分に良い方向になっていた..と思う。
すべての心配が全くの杞憂にすぎなかった。
これを何度も何度も学ばされた。
この単純なことに気づいて納得するまで
相当な長い年月を要した。

大学に進学できないとおもっていたらストレートに進学できたし、
一生一人だと思っていたら結婚して、子どもまでできたし、
社会不適合人だと思っていたら、一応管理職?にもなっていたし。
不況で転職不可能と思っていたら、有利な条件で転職できたし、
持ち家なんかとおもっていたら、借金にしてもマンションを購入できたし、
考えたら個人的なつまらない内容ではあるが、
自分にとってはけっこう大問題であった。
要はこれをどうとらえているかなのだ。

そしてある時気づいたのだが、
常に大丈夫だといってくれる、その目に見えないものこそ
自分が気づくべきものだったのではないかと。

それから、なんとなくすべては良い方向に向かう
ということが実感され始めてきた。
体験が証明してくれるまでは、本当の信念にはならないようだ。

こんな流れで、自分は、自分なりの、正しい道に足をのせた
という実感がおこってきた。

誤解されると困るが、
これは完全な悟りを開いたということでは全くない。
相変わらずとんでもない未完成のままだ。
いまだにエゴイストである。だから居直っているわけだ。
悟りを開いて一気にかわってしまうことなど思う。
ちいさな悟りの積み重ねしかないのではと思う。
このプロセスが
正しい線にそって動いているかいないかの問題。

自分が考えたり行動したりすることは
必ずしもピントがあっていないにしても、
すべてよい方向に向かうという不思議な確信はある。
それ以外はどう考えてもありえないと。
というか最近では、そうしなければいけないと考えている。
もしだめなら都合の良い方向へ変えてしまえばいいだけだ。

仕事でもなんでも自分と関わった人は
すべて良い方向に向かうという絶対的な確信もある。
実際その道筋を見て、自分で納得する以外になかった。
だから、職場でも皆に自信をもってこうしよう、
そうすれば絶対大丈夫だと逆にいえるようになってしまった。

またまだ何もはっきりした結果が見えないにも関わらず
自分なりにビジョンをとりあえず定めて、
それへ向けて、モチベーションを高めて、
仕事をどんどん進めることができるようにもなった。
これは以前の自分には全くなかった展開で、
自分でも驚いているくらいである。

以前の私は一度ドロップアウトしかかっていたのだ。
サラリーマンになるなど世も終わりだと考えて
人生を考えあぐね絶望していた。
神様どうか助けてくださいと...

そしてその導きはアダムスキーなど忘れて世俗に埋没せよということだった。
そして、結局、一番きらいな営業マンになってしまい、
一番泥臭いところを経験させてもらった。
そこでPCを駆使して仕事をハンドリングすることも覚えた。
今は別の会社に移ってから、人をサポートする立場にもなってしまった。

今から考えてみると無駄なことは何もなかったように思う。
ただ私のペースにあわせてじっくりと進んでいるだけであった。

一度娑婆にくだり、アダムスキーは一時忘れることにはしてみたものの、
やはり定期的に思い出しては、
自分を調整してきているような具合だ。

やはり背後になにか見えない確信があり、導きがあるのだ。
それがなんだかはわからないが....
それは純粋に見えないが確かにあるという確信そのものではないかと思う。

それは自分のために良い方向に
常にハンドリングしてくれているはずである。
それを信じていればいいのだと。
またどこまで信じられるか...

でもここで葛藤が生じる。本当に大丈夫なのか...
どれだけそれを信じられるかという葛藤が
日常茶飯事におこってくる。
こういう状態がきっとこれからも続くのだろう。

人生の課題はシンプルなものに集約されると思う。
ある人にとっての人生の課題は、
四面無理解のなかで事故の信念を貫く人生を送ることかもしれないし
ある人にとっての人生の課題は、
劣等感をひたすら克服していくことかもしれない。
またある人にとっての人生の課題は
恵まれた環境の中で、その恵みを生かすかということかもしれない。
またある人にとっての人生の課題は
不安を克服することであるだろう。

いずれにしても私自身に照らすと、
自分が必要とする家庭に生まれてきたことだけは確かだ。
金持ちの家庭には生まれなかったことは不満ではあるが、
それは自分がその環境を必要としていなかったことが
今になるとよく分かるのである。

この世界には目に見えないものを頼れという教えはない。
つねに証拠をもとめ、その証拠以上には生きようとはしない。
そんな具合で、大方の人が、
ただ人生つらいものだという思いのもとに一生を終える。
まことにさびしいことだ。

偉人の人生はにすごいものがあるが、
凡人の人生にだって同じだけの価値があると思う。
大仕事は長い転生のプロセスのなかで持ち回りですればいいだろう。

導かれていることに対する感謝の気持ちは、
自然とそのまま導くものへ向けられるものだ。


皆さん
ありがとう。



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