投稿者 ラピス 日時 2000 年 1 月 14 日 17:06:37:
回答先: Re: 「素」の自分 投稿者 スターダスト 日時 2000 年 1 月 14 日 12:51:23:
私は「無力感」という怪物を連れていましたよ。
「彼に対して何も出来ない。私は無力だ。何の力も持っていない。」
そんな思いを幾度感じたことでしょう。
その度に自分という存在を見つめ直し、理由を探し、果てしなく
深い闇に入って行きました。迷って迷って、どこまでも続く闇を
ただ歩いて歩いて…。
「無力感」という怪物はその闇を支配していました。
まるで私のなかがすべてその闇に被われているかのようでした。
ひとすじの光が、その闇に差し込みました。
光に照らされた「無力感」は、「私」でしたよ。
「ただ、生きている」それだけの私。
「私は無力だ」そう感じる度に「それでも生きている」という
思いに行き着きました。
それならば、淡々と生きていこう。
無力だと感じる程に、何も期待せず。淡々と。
他に何ができるというのか。「生きる」という以外に。
他にどんな力があるというのか。
私には何の力もない。でも、生きている。
ここにこうして存在している。
私が力を持たなくとも、周りはちゃんと回っている。
そのなかで私も、回っているではないか。
流されて、流されて、流されて、ふと、気づくと自分で泳いでいて。
浮かんでいるのは自分の意思。
生きているのは自分の意思。
生かされているのではない。私は自分で生きることを選んでいる。
誰もがそうだ。誰もがそうして自分を生きている。
なぜ、彼を信頼できなかったのだろう。
彼の大切なプロセスを、信じてあげられなかったのだろう。
他に何もできはしなかったのに。
ただ、信じてあげるだけで、よかったのに…。
とんでもなく傲慢だったことに気づき、自分に対しても他人に対しても
その「プロセス」を信じるということを知りました。
私はスターダストさんの「プロセス」を信じています。
あなたという存在が、持っている輝きを信じています。
闘うことなく、くらいつくされてみてはどうですか?
その怪物がどうしてそこにいるのか、その声を聞いてみてはどうですか?
その声は、紛れもなくあなたのものでしょう。
私は一度ならず、狂いましたよ。(笑)
自分と外を遮断して、手当りしだいに傷つけて、「誰も触るな、
私に関わるな」と、あらゆるものを否定して、自分の生さえも否定して。
そうして解ったことは、「それでもここに居る」でした。
それも良いかもしれません。
自分の闇を知る時、本当の自分を見つめることになりますからね。
闘うことを止めた時、「ただ受け入れる」しかないことを知った時、
人は本当の自分を初めて知るのかもしれません。
大切なひとを手放す時には、痛みがありますね。
でも、それを赦すことができれば、それは自分にとっても相手にとっても
大きな贈り物となるでしょう。
「ひとりきりだ」と感じるかもしれません。
それを充分悲しんだ後、きっと新たな光を見い出すことになるでしょう。
だって、あなたは、確かに、そこに、居るんですから。(^^)
生意気申しました。ごめんなさいね。