投稿者 ラピス 日時 2000 年 2 月 11 日 00:08:56:
回答先: ラピスさんへ 投稿者 スターダスト 日時 2000 年 2 月 10 日 23:06:57:
スターダストさん、あなたの真摯な想いに、深く深く、感謝いたします。
|> 私どもは
|> 「宇宙の意識」を「意識する」毎日です。
|> これは、
|> ガイダンスを求めることと構造が似ています。
|>
|> では相違点は何か?
「チャネリング」という概念自体が、以前とは変化しているのかも
しれませんね。少なくとも私の中ではそういう感じです。
これは、あくまでも私個人の見方です。
多くのチャネリング本を見て来ました。
会話形式で公開録音といった内容のものも多いですね。
チャネラーに答を求める人々の多くは、「自分以外の存在」に
質問をします。答を求めます。その答に感動します。
それはあたかもキリスト教における、キリストと信者のようにも
思えます。(語弊がありましたら、ごめんなさい)
チャネルしている意識体を、極端な場合「万能の神」のように
崇めます。
私が捉えているチャネリングとは、あくまでも「私」という
存在がメインです。(個人の視点で捉えるとして)
どのようなメッセージも、「私」を通して伝わり、「私」を通して
経験されます。
ですから、チャネリング本を読んでも、それが私の経験として
現れ、知識が知恵として確立されるまでは、それはただの言葉です。
私の選択したメッセージが、仮に「否定的なもの」を含む場合、
その否定的なものとは、紛れもなく「私自身」の中に存在します。
私はそれを知る必要があって、そのメッセージを選択したのです。
次には恐らく、違うメッセージを選択することでしょう。
私はメッセージの源は、偶像的な存在ではなく、「宇宙」であると
感じています。時には「神たる存在」という表現もとりますが。
しかるに、その「神たる存在」は、私達ありてあるものすべてを
内包する根元的な存在です。
そうした意味で、私の中では「宇宙=神」ということになります。
それでは、なぜ私が「チャネリング」という表現を取るのか。
それは、今現在の私の顕在意識にはない「情報」を得るからです。
私は「もう少し先に進みたい」という時、私の内部の「神たる存在」
に答を求めます。以前は漠然と祈るだけだったのですが、最近は
文字どおり「チャネル」します。周波数を合わせるような感じです。
「周波数を合わせる」というのは、つまり「意識する」ということと
同じですね。(具体的な操作も為されているかもしれませんが、今の
ところ、説明不可能です。)
私にとっての「チャネリング」は、誰もが知らず知らずのうちに
日常的に行っていることの様な気もします。
簡単にいうなら、自らの「崇高な部分」を意識するだけです。
そういった意味では、チャネリングというのはとても身近なものです。
特別なものではなく、まして危険なものなどではあり得ません。
ただ、与えられた知識を、自らのものとして経験するか、崇めるか
の違いです。
ひとつの事柄を違う視点で眺めれば、様々な要素が加わり、様々な
過程が加わります。でも、最終的に辿り着くのは同じものです。
私はその方法は知らないにしても、こちらの皆さんの学んでおられる
ものに、違和感は感じません。
目指しているものは「同じ」だと思うからです。
皆、同じです。
同じところから、来ているのですもの。
必要を感じ、私事を書き連ねさせていただきました。
不適当な内容もあるでしょうが、今私にできる精一杯の表現です。
読んで下さって、ありがとうございます。
そして、この機会を与えてくださったスターダストさん、
心からお礼を申し上げます。
これは、私自身が現在見つめているものでもありました。
「すべては、私を通して、為される」
そういうことです。