投稿者 ラピス 日時 2000 年 2 月 28 日 21:40:37:
自分のなかに、迷いがあります。
それがどんな迷いなのか見つめてみると、
具体的でないのがもどかしい、とか
実感が継続しないのがもどかしい、とか
そんな思いに根ざしている。
要するに自分の状態が確実に把握できていない
それだけなんですね。(笑)
自分の状態を把握するために、必要な手順があります。
その手順を踏む必要が無くなった時が、
「常時接続」であると考えます。
まだまだ、行ったり来たり。
接続中であるかと思えば、切り離されて不安がったり。
でもそれはいつでも接続できますね。
手順を面倒くさがらない限り。(笑)
何度も繰り返すうち、それが自分の「自然な状態」となるのです。
人間本来の自然な状態ですね。
恐ろしく高尚で透明な自分があります。
逆に、エゴにまみれた自分もあります。
まだ、別れています。
エゴをなくすまでは、常時接続は成り立たない。
逆もまた然りです。
常時接続になれば、エゴは力を失います。
(ここでは、エゴはネガティブな意味に用いています)
愛と光をこの身のうちに感じている時、
どんなにネガティブな状況を迎えても、微笑んでいられます。
それは私の眼にはすでにネガティブな意味を持たずに映るから。
愛と光を感じられない時、
あらゆる状況にネガティブを見い出すことができます。
私がネガティブな意味を与えているから。
私の喜びは、周りに反映します。逆もまた然り。
それはとても強い力をもっていて、まるで私を中心に物事が
決まっているかのようです。
不機嫌なひとが微笑みます。泣いている子どもが笑います。
猫が私の膝にのぼってきます。幸せです。
幸せをいつも感じていたいから、私は今歩いています。
時には自分の影を見つめ、そこに光を当て、そしてまた、
歩き出します。
久しぶりで、支離滅裂。(笑)
失礼いたしました。