投稿者 ラピス 日時 2000 年 6 月 21 日 00:53:22:
「心が響き合う」という瞬間は、えもいわれぬ幸福感があります。
最近、そんな機会が増えてきました。
昔は買い物に出るのもためらう程、対人恐怖症もどきだった私が
今は人と会ったり話をしたりすることがとても好きになりました。
本当に驚くばかりです。
幼い頃に教えられた「立派な人」という観念が、
「自分もそう在らねば、認めてもらえない」という思い込みを生じて、
いつも周囲のために自分を取り繕うことに必死だったのかもしれません。
でも、「そのままの自分でいいんだ」ということに気づいてから
生きるのがとても、楽になりました。
自分を認めることは、他存在を認めることに繋がるのが、少しずつ
感じられるようになってきました。
心を開いて接することが、どれほど心地よい人間関係を生じるか
解り始めてきたようです。
インターネットを始めてから、私は様々な気づきを経てきました。
そうしているうちに、掲示板で、メールのやり取りで、
「心が響き合う」という素敵な感覚を経験するようになりました。
顔も知らない、声も知らない、どんな境遇で、何才で、
下手をすると男か女かそれさえも知らない人と、
心が響き合うという感覚を共有するのは、本当に楽しいんですね。
そして、それは現実の生活に於いても同時進行で起こり始めます。
保育園の送り迎えで、他のお母さんたちと顔を会わせるのが
苦手だったのが嘘の様に楽になっています。
守るものが無くなれば、相手に心を開くことで、愛を送ることで
いくらでも心は響き合うのかもしれません。
「今の自分」が真実であるなら、何を取り繕うことがあるでしょう。
感じるものを感じるままに、表現したって、
もうお母さんにお尻を叩かれることはないんですから。
心の響線を磨いて、より美しいハーモニーを奏でるように
「私」は「私」を生きて行きたいと、そんなことを感じていました。